2020年8月9日日曜日

目白台の豊坂。豊島区高田との境を歩く

江戸川公園、芭蕉庵、肥後細川庭園をすぎると、遊歩道のような道もおわり、両側が民家になる。
面白いことに北は依然として文京区目白台だが、南の川側は豊島区(高田一丁目)である。

明治11年、小石川区が発足した時、区域は市街地を中心にしたから街道筋は遠くまで伸び、農地は入り込んでいても区域にはならなかった。明治22年の15区で東京市発足の時は、ある程度区域は丸くなった。千登世町、雑司ヶ谷村をふくむ北豊島郡高田村は小石川区に編入する話もあったらしいが、そのまま昭和の豊島区成立まで境は変わらなかった。
田んぼ(左下の緑)と武家地の差が市内と村の境になった。

いまでこそ駒込、巣鴨、千川を含む豊島区の他の区域と離れ、文京区目白台の南という辺境?であるが、昔は豊島区ではなく高田村単独であったし、すぐ南の対岸には南豊島郡戸塚村があったから地図上で違和感はなかった。

2020-07-26 豊川稲荷
この道の南、背中側に行くと神田川の北でも新宿区(淀橋区、戸塚町)になる。明治時代まで神田川が蛇行していたためである。

豊川稲荷を右に見て緩やかな坂を上がっていくと行き止まり。

東京音楽大学目白台グランド
奥の方にテニスコートがある。
この大学は中目黒(本部)と池袋にキャンパスがあるが、なぜ目白台に土地を持っているのだろう?
崖上の緑は田中邸か、目白台運動公園か。

行き止まりなので西に曲がると坂の途中に出る。

2020-07-26 豊坂。
 とよさかと読む
坂下に豊川稲荷社があるところから名づけられたというが、稲荷はだいぶ東南に離れている。しかし一帯は高田豊川町といった。

ちなみに、豊川稲荷の南で神田川にかかる豊橋はゆたかばしと読む。三河の豊橋と区別するためだろうか。

江戸期この一帯は、大岡主膳正、武蔵岩槻2万3千石の下屋敷だった。
北町奉行大岡忠相は旗本(のち1万石)であるが、ここの一族である。

復元江戸情報地図だと豊坂はむしろ北東の志摩鳥羽藩3万石の下屋敷だが、いずれにせよ、明治になってできた坂である。

坂上は目白通り。
右は日本女子大付属豊明幼稚園
目白通りとの角は日本女子大図書館

坂の途中で洒落た洋館が見えた。

2020-07-26
近づくと日本女子大豊坂別館とある。
以前はレストランだったらしい。
この大学も近くに出ものがあると買い集めているのだろうか。
しかし建物をそのままに利用してくれるのはありがたい。

このあたり道路の敷石も美しい。

このあたり道路面もおしゃれ。
地図にはなく私道のようだ。

フェアロージュ目白台一丁目静凛館
このあたり高そうなマンションが並ぶ。

2020-07-26
路地の行き止まりに、両側とも素敵な家があった。

裏のマンションはフェアロージュ目白台一丁目静凛館

坂を少し降りると昭和の懐かしいアパート
山アパート

新しい高級マンションと古い昭和の家屋。
文京区の西、目白台と神田川に挟まれたところは、ひっそりと落ち着いたいい住宅地である。




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