2020年8月10日月曜日

市島邸の解体、高村光雲邸跡地の今

8月1日だったか、夜、不忍通りから大給坂を上がり、久しぶりに違う道を通ってびっくり。市島邸の門が解体され、工事のフェンスが張られていた。
近所では最も立派な屋敷だった。
2018-10-10
市嶋家の千駄木邸正門


2018-10-10
市島邸向かいは半床庵。

市嶋邸は越後新発田の大地主、市嶋家の東京屋敷である。
市嶋家はかつては西の保健所通りに面した警視庁アパートまで含む大きな敷地(松平家4000坪)を所有していたが、近年はその一部にある屋敷も無人のまま老朽化していた。

市嶋家は「早稲田の四尊」市島謙吉(春城)の本家筋にあたる。
1997 年 宗家・市嶋信氏が早大に対して、所有する千駄木の邸宅の将来的な寄付を約束、敷地内には学生寮が建設されることとなる。
2000 年 学生寮竣工。
2008 年 市嶋信氏死去、宗家の千駄木邸が遺族から正式に早稲田大学に寄付された。

なお宗家は嶋の文字を使う。
早大の春城氏の出身、筆頭分家、角市市島家は島である。

 
2018-10-10
早稲田大学市嶋記念学生寮。
2000年2月末竣工、コンクリート造11室の、女子専用の学生寮だった。

千駄木学生寮はできたが、日本家屋のほうは表札もなく、2019年5月には塀の倒壊防止の横鉄材が補強されていたくらいで、本当に早稲田が所有しているのか疑うほど手付かずの状態だった。

それが先日一気に動いた。
木造の正門が撤去された1週間後、8月8日の夜、ダンス練習のあと再び通ると、樹木も伐採され大きく変貌していることが暗がりでも分かった。
翌朝、明るくなってから見に来た。
2020-08-09
狸坂上、半床庵(左)の角まで来ると森がなくなり変わり果てた姿にがっかり。
2018-10-08
2年前は道路も落書きされていなかったか。

2020-08-09

鬱蒼とした樹木も切り株だけになった。
庭も当然破壊され、石燈籠の屋根も庭石とともに転がっていた

解体工事の発注者は三菱地所レジデンス。
解体業者はフジタ道路

1軒民家を挟んだ並びの市嶋記念学生寮も解体するようである。

市嶋邸側から学生寮を見る。
学生寮は奥の方で市嶋邸とつながっているから、三菱地所が一括して開発するのであろう。


市嶋邸の裏に回ってみた。

2020-08-09

2年前、2018-10-10
かつて市嶋邸の裏は野草がはえ、春の七草で家になかったナズナとホトケノザを探しに来たことが思い出される。

解体主が早稲田でないということは、早稲田は三菱地所にマンション用地として売却したということだ。
キャンパスから遠く、利用しにくいから市嶋家も仕方がないと思うだろう。
全く使っていなかったから老朽化が激しく、早稲田は初めから土地を売却するつもりだったのだろう。

2020-08-09
市嶋邸の北西、林町ガレージは高級老人ホーム「ホスピタルメント文京千駄木」になった。
ガレージ所有者だった伊東氏が経営しているのか、土地を売却したのかは不明。


ついでに近所でも普段歩かないところに行ってみる。

高村光雲、豊周邸はどうなっただろう?

高村邸 2017-02-05
南に自転車を走らすときは、たまにこの前を通った。
竹藪のある素敵な家だった。

光雲の孫、当主の高村規(ただし)氏は、我が家の隣のご主人と千駄木小学校の同級生であったが2014年亡くなられた。屋敷は、しばらくはそのままであったが、2018年更地になってしまった。
2018-10-08

それほど古くはなかったから、何とか残せなかったものだろうか。
区立の子供彫刻教室(兼公民館)とか、レンタルアトリエとか。

2020-08-09
この日、更地を見てから10か月後に来ると、3階建ての家が5軒並んでいた。

駐車の邪魔になるからか、高村光雲旧居跡という区の案内板も撤去されていた。

旧安田邸のうらにある高村アパートはそのままだった。

ついでに南に歩く。
団子坂からの大観音通りを越えて千駄木1丁目にはいる。

空き家は多い。

2018年に来たときは更地だったが、幼稚園になっていた。
向かいは岩田専太郎の金土日館

表札がなく門に草が生えているから、そのうちマンションになってしまうだろう。
あるいは日本医大が買うか。

2020-08-09
千明邸は健在だった。左は日本医大健診医療センター。

別ブログ





(2021‐05‐03 追記)
あさ、市島邸をみてきた。
2021‐05‐03 7:25
今月着工、来年12月完成とある。
明治期以降、多くの文化人が住んだこの町も老人ホームが林立するのかな。
確かに町は静かで、私も含め老人が多い。
しかしあまりにも高額で(2019年オープンしたとなりのホスピタルメント文京千駄木)ここらの人は入れそうもない。


4 件のコメント:

  1. その後、建物はどの様な状況になっているのでしょうか?
    ツイートさせていただきました。
    (美珍麗・探訪)

    返信削除
  2. 今朝見てきたらまだ更地のまんまでした。となりのホスピタルメント文京千駄木と同じように、地上4階(地下1階)の老人ホーム、5月着工、令和4年12月完成と書いてありました。あの森と門と日本家屋、レストランなどで残ればよかったのですが。。。。。

    返信削除
    返信
    1. ありがとうございました。

      新潟の市島邸について少々調べていた中で、このページに辿り着きました。
      本日、ブログ美珍麗・探訪『市島邸』に掲載いたしました。
       https://mosu3.blog.fc2.com/blog-entry-262.html

      削除
  3. 拝見しました。さすが新潟の本邸は立派ですね。千駄木林町の市島塾はどこかで読みました。
    新発田というところは文化度が高いのでしょうか。近くの本郷西片に新発田出身者の学寮が今でもあります。

    返信削除