2020-08-03
鬼子母神西参道
1,2回来たことがある。はっきりしているのは堀内さんと明治通りの地下一階新潟料理店でわっぱめしのランチを食べた後、目白まで散歩したとき。2004年12月28日。
その後一度くらい一人で来たかもしれないが、ほとんど記憶なし。
ほとんど唯一の記憶、フクロウの人形(今調べたらすすきみみずく)を売っていたのはこの建物か。
たまたま閉店中なのか、もう営業していないのか不明。
記憶ある場所を探して北東の門を出て北を見ると、道路の向こうに寺のようなものがある。
2020-08-03
近づくと威光山法明寺
810年真言宗の威光寺として創建、1312年に日蓮宗に改宗、寺号も改めた。
ちなみに横切る道は弦巻通り、弦巻川の暗渠である。
山門から入って振り返ると、参道の向こうが鬼子母神。
そう、鬼子母神は法明寺のお堂だったが、間が低地で田んぼでもあり、そこに民家が建ち並び、飛び地のようになってしまったのだろう。
誰もいない。
左に玄静院、右に観静院と塔頭が並ぶ予想外の大寺。
みみずく会館(法明寺施設)と真乗院
少し高いところにある法妙寺本殿は静かで誰もいなかった
2020-08-03
再び鬼子母神に戻る。
コロナでも参拝客はそこそこおり、
まるで、こちらの方が法明寺の本殿のようだ。
奥にはお祓いしてもらうのか若い男女が座っていた。
ところで、鬼子母神は仏教用語であるから母を呉音でよんで「きしもじん」が正しい。
インドの女鬼神、子供が500人いて、栄養をつけるため人間の子どもをとらえて食べていた。それを見かねた釈迦があるとき彼女の子どもを隠したところ半狂乱となり、子供を失う母の気持ちが分かったと反省する。
そのご彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。
法華経の守護神として日蓮宗・法華宗の寺院で祀られることが多く、鬼型と天女型がある。
「恐れ入谷の鬼子母神」で知られる真源寺、
ここ法明寺鬼子母神堂(鬼の字には「角」が無い)、
市川市の遠寿院(法華経寺塔頭)の鬼子母神が
江戸三大鬼子母神といわれる。
大黒堂は売店のようになっていた。
南に向かう石畳が表参道のようだ。
2020-08-03
16年前来たときはまだ古い家が少しあった。
こういう神社仏閣の周りは昔、茶屋など岡場所だったのよ、と堀内さんが話されていたのを思い出す。池袋がターミナルとなる前は、都電に近いこちらが賑わっていたことだろう。
この右のほうに入ったところに手塚治虫の旧下宿先・並木ハウスがあるらしい。
2020-08-03
池袋の駅前をとおる明治通りのバイパスとして新しく道路を作るようだ。
区役所、図書館から造幣局跡地まで、東口は再開発ラッシュである。
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