2021年4月4日日曜日

秋葉原駅にあった青果市場

秋葉原駅は貨物駅だったものが1932年に高架の旅客駅となった。
同時に直交する総武線の乗換駅ともなった。
2021‐04‐04 13:07
だから三層構造で地上の改札から総武線に行くには京浜東北線のホームを通るという複雑な構造をしている。
代々木は総武線の線路を90度曲げると同時に立体交差させ同じ階に並べているし、南浦和は交差しても二層であるから、秋葉原の複雑さと古さは際立つ。
最初に秋葉原駅を使ったのは1974年。
高校3年生の夏休みに上京見物、たぶん乗り換えたはずだが、記憶はない。

2回目ははっきり覚えている。
2021‐04‐04 13:04
同じ1974年の11月2日、剣道班の高倉仁史氏、関谷幸雄氏とともに駿台模試を受けるために上京した。高倉の父上の好意で高輪にあった日本鋼管のホテルのような寮?研修所?に泊めてもらい、翌朝品川駅からお茶の水に行くのに秋葉原で乗り換えた。
朝食を食べていなかったので、この駅のミルクスタンドでパンを立ち食いした。
この店は当時もここにあったのだろうか?

今この写真をみて80年代?ころのテレビ番組を思い出した。
東のほうから総武線に乗ってきた人が駅の停車時間で立ち食いそばを食べられるかという企画。ドアが開くと券売機にダッシュして、必死に口に入れ、ほおばったまま閉まるドアに飛び込んだ。本当にできるかどうか、私もいつか試してみたいと思いながら何十年も経ってしまった。
13:12
探したが今秋葉原に立ち食いソバはない。

乗り換えでなく初めて駅から外に出たのは、つまり初めての秋葉原は、
1975年の夏か秋。
普通の人と違い電気製品を見に来たのではなかった。
帰省したとき父親から野菜か花の売り上げ伝票をもらった。
これを秋葉原の東京青果市場にもっていけばお金になるという。

学生時代私は仕送りしてもらわなかった。昭和50年春、大学入学するとき父親がライトバンで私と衣装ケース1つ、布団、それと箱一ぱいのリンゴを寮まで運んできてくれた。深夜に出たので早く着きすぎて、構内に駐車して時間をつぶした。車の中で封筒に入った20万円を渡された。初めて子供を東京に出す。心配だったのだろう。「足りなくなったら連絡しろ」と言われたことを覚えている。

ちなみに当時我が家の年収は(奨学金申請で覚えているのだが)96万円とか104万円だった。今の主婦のパートみたい。ごまかしたのではなく、出荷量に農協の決めた単価をかけたらこの数字になったらしい。これで祖父母を含め7人が暮らし、父親は大学へ行けとは言わなかったが反対もせず、田舎では極めて珍しく、子供3人とも希望通り大学に行かせてもらった。

さて、夏休みに帰省した時その20万円は使い切っておらず、まだいらないといったのに持たされた。そのハガキくらいの大きさの売上伝票を何枚か持ち、初めて秋葉原駅に降りた。

市場で人に聞きながらうろうろし、外階段を上がって事務所に行き、換金したことを覚えている。
このころはまだ家庭教師のアルバイトもしていなかったが、大学入学と同時に育英会の奨学金を十分もらっていたし、寮だったから金もかからず、貯金してしまったのではなかろうか。

その青果市場はどこにあったか?
上京してすぐに買った地図 1975
青果市場は秋葉原駅の北西の区画。神田明神通りの北側にある。
今の秋葉原UDX(2006年竣工、22階)の場所である。

もう少し詳しい地図を探していたら
アングル別冊(1979年10月)には駅に隣接するように神田市場と書いてある。
はて、市場の位置はどちらが正しいのだろう?

国土地理院 1979‐1983
当時の航空写真を見れば確かにUDXの場所は市場である。
いっぽう総武線ガードに近いところはなにやら小さい粒粒が見える。
そのあとの年代の航空写真では粒粒が整列していたり、市場の移転、閉鎖が決まった後は粒粒が消え白線のみ残っている。
これはどうも市場関係者の屋上駐車場ではあるまいか?
すなわち両方とも正しく、駅北西の区画はそっくり市場だったのである。

その屋上駐車場のあった場所は駅前広場と秋葉原ダイビルになった。
(地上31階、2005年竣工)

秋葉原の青果市場が神田市場と言われたのは、この場所が神田山本町であることももちろんだが、震災前は神田多町にあり神田青果市場と長らく呼ばれてきたからである。
今の区立千代田小学校(90年代まで神田小学校)の前にあった神田市場が震災で壊滅、昭和3年(1928)帝都復興計画で移転した。江戸時代以来の青果市場であったが、鉄道の時代となれば、貨物駅のあった秋葉の原のほうが相応しい。
明治40年(1907)
(goo地図は区分図を融合しているから区界付近はダブっている。)
まだ総武線はない。
上野から貨物線だけ南下して終点となり、水運が使えるよう神田川から池が掘られていた。

駅の北西方面 13:18
神田青果市場は1989年埋め立て地にできた大田市場に移転した。
青果の神田・荏原市場(蒲田分場含む)、水産の大森市場、花卉部門を統合した東京中央卸売市場である。
市場は場所を差すこともあるが、運営していたのは会社組織、
大田区移転後も社名は東京神田青果市場株式会社である。

跡地には近代的なダイビルと秋葉原UDXができた。

2021‐04‐04 13:17
駅構内から見た北東方面
左から京浜東北線南行き、上野東京ライン(北行き、南行き)、新幹線(半地下)と並ぶ。

上野方面から延びて行き止まりとなっていた貨物線の跡地は、駅前広場や富士ソフト秋葉原ビル(写真中央、2007年竣工、地上31階)、秋葉原センタープレイス(右手前、2007年、16階)などになった。

かつて京浜東北線に乗れば汚くて古い青果市場の建物がすぐわきに見えた。


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