2022年6月26日日曜日

貧乏性で廃品利用の家庭菜園


2022-06-23
トウモロコシの穂が出てきた。
昨年自家採取した種から育てたもの。他の野菜も苗は極力買わず、種から育てている。

トウモロコシは茎が倒れやすいので枠で囲んで、その中を麻ひもでさらに仕切る。
この枠はファンシーケースの鉄枠。

ファンシーケースなんて死語だろうか、要するに小さい電話ボックス型でファスナーで開ける衣装ケースのようなもの。
外の壁というか袋というか、不織布がボロボロになって廃棄したのだが、枠だけとっておいた。
毎年、枝豆とかシシトウとか、倒れやすい野菜にこの枠をすっぽりかぶせ、重宝している。

野菜つくりをしていると、なんでも利用しようと思う。
我が家は貧乏性だから、お土産などの箱の紐、袋はもともと捨てずにとってある。ほとんど使わずに引っ越しのとき邪魔になるのだが、家庭菜園をすると結構役立つ。
頭で考え、廃品がそれなりに使えると結構楽しい。

廃品は自分で捨てずに取っておくだけでなく、新たに拾ってくることもある。
粗大ごみのときは必ず見てプランターや支柱が出ていればもらってくる。
近くの戸建ての工事現場からもらった板切れは、耕した畝の中に足を踏み入れるときの足場として最適である。
(写真)左側通路の敷石タイルや、また、庭を区切って畝を作ったときの土留めの細長いタイル。
これらは不忍通りのタイル屋さんで半端タイルが出た時「ご自由にお持ちください」と歩道に出してくれるのでもらってくる。
特に使う当てがなくてもタダだともらってしまう。
当てがなくてももらうなんて、こんな貧乏性な人はいるだろうか?
こういう行為は一歩間違うとゴミ屋敷をつくることになり、妻はひどく嫌う。

桜の切り株
それでも桜の切り株を持て余したときは、保存していたこれら大型タイルのおかげで土留めができて、株の上にイチゴを植えられた。
写真に写っている苗の黒ケースは大学の粗大ごみ置き場から拾ってきたもの。
物を運ぶときはもちろん、直射日光や鳥から若い苗を保護するときは、上からかぶせたりして大活躍している。

2022‐06‐23 サツマイモと枝豆
枝豆のところに立っているのは、網戸を処分したとき分解してアルミの外枠をとっておいたもの。支柱の代わりに役立っている。短い枠もマルチ抑えに使える。(網は防虫ネットの代わりに使った)

そして写真の黒マルチは黒ビニール袋を切って広げたもの。

こんな私が菜園アドバイザーのパートを始めた。
お客さんは物をばんばん捨てる。
麻ひもやマルチは使い捨てが標準だから構わないのだが、もったいなくて仕方がない。枝の誘因の麻ひもなどは短くて済むから、私が指導で紐を使うときはゴミ箱から拾って使っている。

また支柱は使い捨てではないが廃品が出る。
支柱は初心者が変な方向に力を入れて差し込むと曲がってしまうことがある。
いったん曲がると次に差すとどんどん曲がり折れてしまうから、曲がったものは廃棄処分。しかし廃棄も金がかかる。
そこで2回に分けて何本かもらってきた。
少々曲がっていても我が家の支柱より立派だし、なんせ千駄木菜園は慢性的に支柱不足である。
(210センチの支柱をもって恐る恐る電車に乗ったのだが、特に駅員さんには咎められなかった。しかし近年のエスカレーターは気を付けないといけない。昔スキーを担いで上がった階段と違い、引っかかると大事故につながる)

さて、支柱をもらってきたものの、我が家のシシトウ、パプリカ、オクラなどは実生のため発育遅くてまだ支柱を使う必要がない。

そこで物を掛けるハンガーを作った。

移植ごて、ハサミ、ノコギリをとりあえずかけた。

上の写真で支柱以外の材料も廃品である。
横の棒は2年前に東大農学部のゴミ捨て場から拾ってきたもの。
竹ぼうきの柄の部分だけ六方最密充填の7本ずつ、商品のようにきっちり縛って3束も出ていて、使う当てはなかったが、とりあえず1束もらってきた。長らくゴミ屋敷のように放置していたが、今回ようやく日の目を見た。

そして支柱と横棒を縛ったのは靴紐。靴は捨てても紐は残す。
紐は野菜つくりに必需品だが、よくある荷物を縛るビニールひもは紫外線に弱いため外では使えない。

さらに、ひっかける金具はカーテンをかけていたもの。カーテン、レールは捨てても金具だけとっておいた。世間の人はこのケチぶりに驚くだろう。(当時野菜つくりをしていたらレールもとっておいただろう)

気を良くしてもう一つ作った。(材料同じ)
縦の支柱が台形すなわちハの字に歪んでいるのは、安定化させるため。
今度は横棒2本に、斜め棒を加えて少し堅固にした。
完成したらロシア軍の「Z]になってしまったことに気づいたが、横棒を手前にしたいのでこのまま。(Zは上下逆にしてもZだが、裏表逆にすればSになる。)

移植ごてもじょうろも、これで定位置が決まった。
いつも庭中を探し回るという妻に、これで文句を言われなくなるだろうか?

竹ぼうきの柄とパート先からの破損支柱は、まだこれだけ残っている。
千駄木菜園は金を使わないが頭と時間を使う。

世間の人は簡単に新しく買ってくるだろう。
しかし千駄木は近くにホームセンターはないし、ふだんの行動範囲でただで手に入るならもらっておくべきだ。

農家で育った子どものころを思うと、祖父も父も何でも自分で作った。
物置きすら作るから、小屋を壊しても扉や板、廃材をそっくりとっておく。当時はプラスチックはなく、畑で使う支柱として竹や棒、丸太は大量にとってあった。

小学校高学年でハトを飼ったときは、祖父が廃材を使って立派なハト小屋を作ってくれた。まるで二階建て切り妻屋根の民家を小さくしたような小屋で、ハトは”一階の屋根”に着地し、”二階の窓”から入っていった。さすがに瓦葺ではなかったが、屋根は廃材のトタンを張ってくれた。

私が廃材を拾ってくるのは、貧乏性という性格に加え、研究所での仕事も関係しているかもしれない。
電気生理学を専門にしたから、脳切片や培養細胞を灌流する標本槽など水回りや、ハムノイズを遮蔽する顕微鏡の覆いなどは自分で作らねばならなかった。
だからいつも粗大ごみ置き場に行って鉄板や金網、鉄棒、バケツ、銅線、木の本棚などを拾ってきた。すぐに使わなくても、いざというときに使えるようにと、何でも拾ってきた。
今の研究者はお金があるから自分でがらくたから作ることなどせず、装置のセットアップなどは業者に丸投げする(すでに20年前もそうだった)。そしてお金がない人は最初から研究しない。しかし昔はお金がなければ廃品を再利用して実験したのである。

もったいない、といって捨てなかった時代。
何でも自分で作った時代。
私はぎりぎりその時代を知っている。
良い時代だったと思う。



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