2022年11月20日日曜日

八戸から各駅停車で南部をゆく

2022‐11‐03 8:38
本八戸駅から、八戸城、根城をへて、JR八戸駅に来た。
駅舎こそ新幹線停車駅らしく新しいが、周りに繁華街はない。

8:38
こちらが八戸市中心街のある方向の東口
9:12
西口のほうは、駅舎から見下ろせば、まるでつい最近まで東北の原野だったかのように何もない。

八戸駅は
1891年(明治24年)日本鉄道青森線の尻内駅(しりうち)として開業した。
1894年 日本鉄道青森線支線が八ノ戸駅(のちに八戸駅に改称)を開業
1906年 日本鉄道が国有化
1909年、青森線は東北本線、支線は1909年八戸線となる。
1971年、八戸駅(初代)は本八戸駅に、尻内駅が八戸駅に改称された。

もともと、八戸という城下町にできた駅ではなかったのである。
さて、八戸から盛岡に行く。
新幹線にのると自由席(特定特急券)が1840円、乗車券が1690円で合計3530円。
所要時間28分から32分。
一方、在来線各駅停車は3110円。所要時間が1時間22分。

わずか420円の違いでこれだけ時間が違えば全員新幹線に乗るだろう。

なんでこんなおかしなことになったかというと、新幹線開通により東北本線がJRから離れ、青い森鉄道と岩手銀河鉄道になったからである。運賃は1690円から3110円と倍増した。これではますます客は離れ、本数も新幹線と比べ圧倒的に少ない。
実際、盛岡行きは9:30の次は驚くことに13:35までないのである。

各駅停車は、駅を2つ3つ乗る高校生など地元の人だけの電車になっている。

さて、改札口の前で大分迷ったが、各駅停車で行くことにした。
もう二度と来ることはないので、八戸、盛岡のほかに、その間の小さな駅、南部地方の町まで(車窓からだけでも)見てしまおうと思ったのである。特に用事のない旅行というのはこういうものだろう。

駅の土産物屋で好きなピーナッツ入り南部せんべいを買って電車に乗り込む。
このせんべいを食べると杉原重孝さんを思い出す。

9:30定刻通り電車は八戸駅を出発。
9:32
本数少ないのに乗客が少ない

八戸駅を出てすぐ東北の原野が広がる。
9:34
八戸から一つ目、高岩駅着
新しい道路(国道104号)と新幹線のほかは何もない。

9:38
苫米地駅
人名にもあるが、どういうところか知らない。

9:38
ガラガラなので反対方向も撮り放題。

9:42 剣吉
八戸から3つ目の駅。

9:44
名久井岳。
南部小富士ともいわれる。標高615メートルと意外と低い。

9:47 諏訪の平
青い森鉄道は八戸からずっと馬淵川(まべちがわ)に沿って走っている。
八戸城や根城のすぐ北を流れていた川である。
電車が諏訪の平を出ると、川は蛇行し、まっすぐな線路にまとわりつくため、電車はしばしばこの川を渡る。ゆったりとした流れに木々が枝を張って、あたかも河童が住んでいそうな景色。そうした伝説が生まれるのも分かる。
9:51 三戸
「南部利康霊屋」という名所案内板
南部27代利直(盛岡藩2代)の4男であった利康は、1608年三戸城中で生まれた。1626年、一族である南直義の家を継いで浅水城主となり、五千石を領した。
 三戸城内に邸宅を構えて常住し、1631年、病のため24歳で逝去した。
盛岡藩3代、南部重信と八戸藩初代、南部直房の兄にあたる。

目時駅は写真を撮り損ねた。
以後、各駅の写真を撮ることはやめた。

0 09:30八戸
1 09:35北高岩
2 09:38苫米地
3 09:42剣吉
4 09:47諏訪ノ平
5 09:51三戸
 苫米地から三戸まで三戸郡南部町
6 09:55目時 

ここまで青い森鉄道、八戸から25分 25.9km 690円
次の金田一温泉からいわて銀河鉄道、盛岡まで1時間22分 82.0km 2,420円
9:56
河童が出そうな景色は何回もあったのだが、山と違って一瞬だがら撮ることができずに、そのうちこんな人工的な川になってしまった。

9:58
7 10:00金田一温泉
  駅に「ざしきわらしの里」と書いてあったが、岩手県なら遠野はじめどこにもいるだろう。それより金田一京助のほうが気になる。彼は盛岡市内の生まれ。

8 10:04斗米(とまい)
  このあたり各駅に到着の際は音楽が流れる。演歌なのか民謡なのかよく分からず。

9 10:08二戸

10:08 二戸駅
久しぶりの町。
二戸市は岩手県最北端の市で、新幹線の停車駅でもある。
ここは二戸郡で、九戸郡はまた別にあるが、九戸城址(九戸氏の居城)は二戸にある。

10:08
二戸駅の東に崖が見えた。
馬淵川の馬仙峡である。
10 10:13一戸
11 10:18小鳥谷(こずや)
 小鳥谷駅を出てすぐ、線路と並行して流れる小繋川(馬淵川の支流)で工事をしていた。ちょうど休憩時間のようで、工事の人々が線路わきの草の上で車座になってお茶を飲んでいた。紅葉の中、笑い顔がまるで絵のようだった。

12 10:24小繋(こつなぎ)
小繋川は小さいが、線路のすぐそば、葦と笹の湿原を蛇行するように流れていて、雨が降ったら一面水浸しになりそう。人家、田畑はほとんどない。

10:27
小繋駅と奥中山高原のあいだ。
13 10:33奥中山高原
14 10:40御堂(みどう)
15 10:44いわて沼宮内
16 10:49岩手川口
17 10:54好摩(こうま)
ここから盛岡市である。
10:52
姫神山 標高1123メートル
日本二百名山の一つ。独立峰だが火山ではないらしい。
石川啄木が愛した山。
渋民を挟んで反対側の西にそびえる岩手山の妻だったという物語がある。
岩手山・早池峰山とともに盛岡城から仰げる南部三山のひとつ。

10:58 渋民駅
啄木の故郷である。
彼は1886年(明治19年)南岩手郡日戸(ひのと)村(現盛岡市日戸)に、曹洞宗常光寺住職の石川一禎の長男として生まれた。1887年春、1歳の時に、父が渋民村(現盛岡市渋民)の宝徳寺住職に転任したため一家で渋民村へ移住した。

10:58
啄木の顔入れ看板が奥のほうにしまってあった。
本来はホームで山などを背に置くのだろう。
しかし乗降客もおらず、誰も利用しそうもない。
それにしても、これを作るのは観光協会だろうか? 
なくても困らないと思うが。
18 10:58渋民
19 11:03滝沢
滝沢村は南に隣接する盛岡市のベッドタウンとして人口が増え、2002年には5万人を超える日本一の村だった。2014年に単独で市に移行。西の岩手山の山頂まで市域であり、陸自岩手駐屯地、岩手県立大学、盛岡大学がある。

20 11:05巣子(すご)
巣子を過ぎると新幹線と並行して走る。
新しい家、大きなビルも見えた。
盛岡が近くなったことが分かる。

いつの間にか電車も混んできた。今日は文化の日。
向かいの長い椅子席に女子高生(中学生?)が4人並んで座っていた。
盛岡の街に遊びに行くのかな?
弘前美人、青森美人とよく言うけど、盛岡も美人が多い気がする(関東甲信と比べて)。そんなことを考えていたら一人と目が合って慌ててそらした。

21 11:10厨川(くりやがわ)
22 11:13青山
23 11:18盛岡 終点

11:20 盛岡駅前
弘前、八戸と違って、同じ城下町だが、駅前から大都市の雰囲気がある。

八戸から移動を兼ねて24駅も初めて見られて良かった。
一県で四国の面積に相当するという岩手の山河も見れた。
ところどころ眠ってしまったけれど。

(続く)

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