8月に始めた居酒屋アルバイトは12月をもって終了した。
月曜と金曜の夜だったが、月曜は予約がないと呼ばれない。金曜も20時から東大薬学の女子が実験終わって駆け付けたら交代するから私は2,3時間の勤務。
労働時間は一か月で10~15時間くらいだった。
ここはけっこう繁盛して忙しかった。居酒屋バイトは高度な気配りと要領の良さを必要とする。しかし大将の要求(もてなしのレベルの高さ)は高く、私なりに頑張ったけど、とても務まらないと思った。
「時給1050円でここまでやらなくてはいけないのだろうか、最低賃金なら気楽な単純作業であるべきではないか」と言ったら「甘い!世の中はアルバイトだってみんなそうなんだよ」と妻に怒られた。
もう無理だと、最初に辞めさせてくださいとラインで申し出たのは、一か月半すなわち6週間ほど務めた10月初め。
その時は、「もう少しやってみて月末に決めたら」と返され、続けたら慣れてきて11月もやってみようと思った。しかし相変わらずミスをするし注文が殺到したときの恐怖感は消えなかった。
さらに問題になったのは腰痛。
特に洗い物などは少しやっただけで背中の下が痛くなる。我慢してやっていたけど、体を壊しては何にもならない。
11月19日、思い切って腰痛のことを伝え、シフトが決まっている12月までで辞めたいとラインに書いた。健康問題ということで今回はすんなり受け入れられた。
生ビールは楽だったけど、日本酒は嫌だった。
バイトを始めたばかりのころは銘柄を覚えようとしたが、その必要もなかった。
面倒だったのは八海山などそれ専用のおちょこがあること、たいていの客はいろんな銘柄を飲むからそのたびにお猪口を変えなくてはならないこと、など。
なるべく燗酒は出ないように祈っていた。
日本酒は難しかったな~
勉強したけど、客と会話する余裕もなかった。ここの刺身盛り合わせは、その日の仕入れに応じて8種の魚が出る。
慣れたアルバイトの人だと8種の名前だけでなく魚の特徴も説明している。
100種類ほどもあるお魚図鑑が各テーブルに置いてあり、鮮度と種類の豊富さは店の自慢の一つである。
魚ノートは作り始めただけ中断
9月のころ、先輩アルバイトの人に後ろについてもらって刺身盛り合わせを一度説明したが、その後は、店も多忙で私がやらせてもらうような余裕もなかった。
大将は厳しいけれど、すべて言うことは理にかなっていて、仕事も正確で速い。最初につかれた職場で同期の中で一番に包丁を握らせてもらったというのもうなづける。それだけ我々に対する要求も厳しい。特に何回も同じことを注意される私にはイラつき、呆れられたことだろう。
ほぐし(骨取り)に手間がかかる鯛土鍋飯が名物なように、効率、手間より客の喜びを第一とされ、テーブルセッティングなど店内の清潔感、スタッフの対応にも高いレベルを求められたのは、尊敬に値する。
料理によっては正面の方向を指示される。しかし皿を出すときテーブルの上が片付いていなくて、お客さんが受け取ってくれたりして、大将の指示通りできなかったな。
サンマの塩焼きも脂がぱちぱちいっているうちに持っていくよう細かなことにも気を配られた。
しかし、ある日、忙しい最初のお通しが「生わかめのしゃぶしゃぶ」だったことがあった。そのためだけにガスコンロと鍋、取り箸、ポン酢入り取り皿を用意しなければならない。予約は18時から、19時から、というふうに来店が集中するもので、そんなときの生わかめは、ドリンク調製、料理注文聞きと重なるからパニックになる。
普通の人はこなせても、私はもたもたするから大将の口調も厳しくなる。そんなときは奥様が実にやさしく、ありがたかった。スタッフも優秀で優しかった。
客は駒込病院、日本医大関係者、千駄木周辺の家族連れなど常連、地元が多く、比較的紳士的で支払い金額も高かった。料理をもっていくと(特に若い客は必ず)ありがとうございますと言われたし、いろんな方面で勉強になった。
しかし一番の収穫は、私の41年間の職業人生は特殊だったと気づいたこと。ベーカリー、居酒屋、スーパーの品出しを経験して、世の中が少しわかった。これからは健康第一。今までの経験、知識・技能を生かすような生き方より、社会と広く、未知の分野と付き合っていくべきだと思った。
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