2017年5月3日水曜日

高崎城と無料自転車

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緑まぶしい5/2、高崎に行った。
高崎駅は30年近く前、下仁田へ行ったとき降りているはずだが、全く記憶なし。

長野に変えるときいつも通過していたし、毎日のように「高崎線」に乗っているのだから、もっと早く来るべきだった。

初めての駅前、西口をまっすぐ歩くと高崎城にぶつかる。

築城したのは井伊直政。
遠州井伊谷の領主の家に生まれるも、幼少期に寺に預けられた。このあたりは大河ドラマでやっているだろうが、私は見ていない。今川氏滅亡の後、家康に預けられ小姓から出世して武田滅亡後に士大将となった。その後の戦功で家康関東入府と同時に(代々の松平家臣ではないのに)譜代大名筆頭の12万石で上野に領地をもらった(1590)。


当初は箕輪城(高崎市北部)にいたが、1598年かつて和田城のあったこの地を選んで築城に着手する。しかし関ヶ原のあと、三成の彦根(佐和山)に移されたから、ここにいたのはわずか2年ばかり。さすがにNHK大河の直虎の幟はなかった。





三の丸の堀と土塁が残るが、内部は内堀がすべて埋められ、広範囲に市役所、高校、中学、音楽ホール、NTT、医療センター、図書館、裁判所などがゆったりと建つ。駅から来ると全くの平地であるが(平城)、西側は烏川の崖となっていて、立地としては良い。中山道、三国街道が合わさる、関東北西の防衛地点として小田原に似た役目があったかもしれない。

巨大な高崎市役所。


僅かに残る乾櫓(県重文)。
乾とは北西だが、ここは東の真ん中あたり。はて?と思ったら明治に廃城となって農家に払い下げられ、納屋に使われていたものを再び移築復元したからとか。

陸軍歩兵15連隊記念碑。
廃城となって陸軍管理となり、歩兵連隊が入って江戸期の建物が壊され、戦後さらに公用地になったことが、この官庁中心に市街化されてしまった原因だろう。もちろん駅に近い平城で便利すぎたことも災いした。

南側の堀には鯉がいっぱい。私が見ていると集まってきた。
これは本能ではなく、学習であろう。魚の知能は意外と高いのかもしれない。

堀の南に隣接する高崎公園。

頼政神社と大染寺があった場所だという。大染寺は城主・松平家の私的祈願寺であったが、明治に廃寺となった。本来の城址が役所や学校でつぶされてしまい、ここのほうが城址っぽい。

クジャク、ウサギ、ハトが共同生活。

こちらはガチョウと亀が仲良し。

西の烏川を望む。下は国道17号。
もう少し行って橋を渡るところから18号が始まる。
高速道路ができるまで、電車でないときは常にこの道を通って長野へ行ったり、東京に戻ったりした。
道路の東側が高台になっていること、近くに高崎城址があるということは知っていたが、まさかお城のすぐ下を走っていたとは思わなんだ。

市役所の前の無料自転車。
100円入れても返す時に100円戻ってくる。
7か所のどこで借りてどこで返しても良い。
ためしに乗ってみたら、ブレーキ、タイヤ空気圧、よく整備されていて、家の自転車より快適だった。こんなんだったら最初に気付いた高崎駅西口から乗ってくれば良かった。
走っているとこの無料自転車に乗っている人がよく目につく。
高崎は良い町だ。


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