7月10日に田辺三菱製薬・戸田の図書室閉鎖でもらってきたものを開いてみた。
岩波「科学」につづいて今回は「医学のあゆみ」。
B6版。
A4の半分であるA5よりさらに小さい。
A4の半分であるA5よりさらに小さい。
第2巻1号~6号(昭和21年8月15日~12月15日)の6冊が1つに製本されていた。
発行元は日本医学雑誌株式会社。
この会社は1944年8月創立、1950年、医学書院と改称した。
本郷の春日通りの新社屋はDiseasesの翻訳でいったことがある。
従業員227名
ところが「医学のあゆみ」は現在も続いていて、医歯薬出版から出ている。
こちらは創業1921年(大正10年)1月、創社 1951年(昭和26年)9月という。
現在社屋は本駒込。我が家から歩いて10分くらいの近所。
従業員96名 大手の一つ。
明らかに別会社である。調べたら
日本醫學雑誌株式会社 (1巻-10巻4号 (昭25.10))
→医学書院 (10巻5号 (昭25.11)-12巻2号 (昭26.8))
→医歯薬出版 (12巻3号 (昭26.9)-現在)
であり、継続中に発行元が変わったのである。惜しむらくは製本するときに奥付などのページを廃棄してしまったこと。会社の所在地などが分からない。
目次を見れば
ペニシリン、サルファ剤、ストレプトマイシンといった新薬の記事が多い。
戦争が終わり、一気に世界の先端情報が入ってきた。
かと思うと杉田玄白の「形影夜話」といった古典?も口語訳されて載っている。
「形影夜話」も自伝「蘭学事始」も彼の号である杉田鷧斎の名で出ている。
言葉使いだけでなく平仮名が多くなっているのは、敗戦後の国語問題の影響か。
「医学のあゆみ」は緒方富雄(1901 - 1989年3月31日)が中心となって編集しているようだ。
富雄は洪庵の子(後継者)である緒方惟準の二男・緒方銈次郎の三男。
つまりひ孫。
このとき45才。
岩波の科学でも編集委員であったが、ここでも活躍している。
毎号、最後のページで「読者に」というあとがきを書いている。
また表紙も毎回変え、その解説もしているから、彼が毎月選んでいたのではなかろうか。
ちなみに第2巻(1946)は
1号 Claude Bernardの手書き原稿
2号 江戸時代の奇形の図 (上の写真)
3号 Laennecの間接聴診法の発表論文
4号 アメリカ医師会の承認薬に対する承認証
5号 蘭学時代の翻訳医学書の中身
6号 ドイツ医学書出版社Fischer とSpringerのしるし
参照
・田辺三菱図書室閉鎖で古書廃棄
・戦時中の岩波「科学」
・緒方惟孝君略伝と緒方一族
・緒方病院と緒方ビル、適塾
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