2017年8月13日日曜日

第28 明治の医師は多くが無試験だった

明治36年末における兵庫県衛生公職の統計である。 
薬学雑誌1904年度 236頁

第26話、「医者の配剤による事故」で少し触れたが,当時の医師にはさまざまな人がいた.その具体的数字を薬誌の地区通信欄(神戸通信)で見つけた.興味深いので羅列する.

明治36年12月末における兵庫県の医師は総数1184名.
内訳は,
・大学卒業 62,
・試験及第 236,
・奉職履歴 17,
・府県立学校卒 215,
・従来開業 398,
・高等学校卒 99,
・旧試験及第 77,
・外国学校卒 12,
・限地開業 2,
・従来開業子弟 66.

試験及第というのは、明治の当初は医学校を出なくとも医師になれた。野口英世のように済生学舎のような予備校を出て、医術開業試験を受験した。京都に二つ目の大学医学部が出来たのは明治32年だから、この大学卒業とは東大である。

ほとんど漢方医であった「従来開業」が一番多いのは、全国一緒である。いくら明治国家が西洋医学を学んだものだけを医師にしたくとも、急には育たない。無免許、江戸以来の医師を残さねば、大混乱する。ハイカラ神戸を擁する兵庫は、まだ「従来開業」が少ない方だったかもしれない。

高等学校というのは、全国に5つあった高等中学校の付属医学部を出たものである。第一(千葉)、第2(仙台)、第3(岡山)、第4(金沢)、第5(長崎)である。

一方,薬剤師は総数117,
・大学卒 4,
・高等学校卒 3,
・試験及第 57,
・旧試験及第 40,
・外国学校卒 3,
・府県立学校卒 10.
薬剤師には従来開業とか,子弟とかの身分の人はいない.
彼らは文明開化の新しい学問をきちんと勉強したという自負がある.
ゆえに医薬分業導入問題では,自分たちこそ西洋医薬を処方しうる資格者であると医師に対抗したかもしれない.
ただ,総数は医師の10分の1.
当時,医師側が医薬分業に反対したときの言い分は,薬剤師が少なく受け入れ態勢ができていないということだった.医師10人分の薬は出せるような気もするが,当時の医薬品の品質の悪さ,扱いにくさを考えればそうかもしれないとも思う.そのあたりをメーカーがほとんど解決してしまった現代からは,想像しにくい.

ちなみに,看護婦は276名.
・試験及第 51,
・県立養成所卒 121,
・赤十字社卒業 10,
・赤十字社府県支部卒 62,
・京都同志社卒 15,
その他 53.

また,産婆は総数1715,
・内務省免許 72,
・地方庁免許 132,
・限地 63,
・従来開業 1448.

助産婦が一番多いのはなんとなく明るい社会を感じさせる.

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