サルファ剤は、いつ日本に来たか?
戦前の薬学雑誌と東京医事新誌をみて、大体プロントジルは1937年ごろから記事が出始め、同時にスルファニルアミドの国産品も発売されていることが分かった。
バイエル社製プロントジルは1936年には入っていたと思われるが、そこをもう少し調べた。
資料は医学中央雑誌。国内医学文献の抄録誌である。
現在冊子体はなくなり、医学、薬学、看護、獣医から生物、化学関係まで和書7000誌を網羅。各論文、記事について抄録を集め、ネット配信しているが、創刊は1903年(明治36年)。
創刊者の尼子四郎は、開業医であった。
毛利元就に滅ぼされた山陰の戦国大名尼子氏の流れをくむ家に生まれたという。東大を出たが体を壊し広島に帰り、その後上京し明治36年(医中誌創刊と同年)、千駄木50番地に開業。国許の旧藩主、本郷弥生の浅野家も診たというのは名誉であったろう。この時期、近所に漱石がいて(隣接する57番地)、「吾輩は猫である」に甘木先生として出てくる。( 斎藤晴惠 )
創刊時の事務所は本郷区春木町、南江堂支店内であったが、その後、千駄木の自宅内に移ったという。千駄木菜園としては、これを見ないわけにいかない。幸い、国会図書館デジタルライブラリーで読める。
もちろん古いものは誌面の画像データなので、キーワード検索などできず、一つ一つ見ていくしかない。
で、結果。
最も早いのは1936年2月、
「可能性疾患に対するプロントジルの応用」(林謙敏、荒木鵄弭郎)である。
東京医事新誌2968号p455 とは・・・・見逃していた。
それもそのはず、1935年12月に開かれた熊本医大東外科教室第22回研究会、プロントジルの試供品を使った症例報告で、会議抄録が東京医事新誌に掲載されたのだが、索引に乗せられなかったのである。
36年は3報が国内雑誌に掲載された。
ぐっと増えるのは1937年になってからである。
同じ1937年7月に発売された2剤については、ゲリソン(山之内)よりテラポール(第一)のほうが論文化されている。
東大・近藤の話によれば、テラポールは5月くらいから使い始めていたようだ。
20170813 サルファ剤の日本登場6・医学中央雑誌
20170724 サルファ剤の日本登場5・英米との比較
20170722 サルファ剤の日本登場4・製薬メーカーの動き
20170721 サルファ剤の日本登場3・医師はいつ使い始めたか
20170720 サルファ剤の日本登場2・東京医事新誌
20170715 サルファ剤の日本登場・薬学雑誌
千駄木菜園 総目次
0 件のコメント:
コメントを投稿