2017年8月11日金曜日

駒込病院2 鷹匠屋敷、避病院を経て


今通院している駒込病院は、家の庭から見えるほど近い。

駒込病院は御鷹匠屋敷のあとである。
尾張屋版江戸切絵図は、すぐ下(40,30)の吉祥寺や、高林寺、蓮光寺、養源寺もあるから、現在の地図と合わせやすい。

(40,100)の酒井安藝守の屋敷前の道が今の保健所通り。
その下(40,80)、「植木屋多シ」とある、「シ」のあたりが我が家である。

御府内場末往還其外沿革圖書(国会図書館)の上下駒込村をみると、
1.御鷹匠屋敷 のほかに
2.御鷹部屋
3.御鷹方御役屋鋪
4.千駄木御鷹仕込場
があった。

1はもっとも有名な駒込病院の場所。
2は尾張屋版にもあり、今の動坂公園から本駒込図書館にかけての斜面地
3は尾張屋版では、酒井安芸守から松平備後守(今の須藤公園のあたり)の屋敷にむかう途中、可児孫十郎、中島勇之丞ら、武家が20件ほどある場所。彼らは鷹関係の幕府役人だったのだろうか。
4は、吉祥寺の北、富士権現と天祖神社の間に描いてあった。
江戸時代、我が家の周りはなかなか面白い場所だったようだ。

鷹関係はいつか別の機会に書く。
これら敷地は幕府瓦解とともに無用となったはずで、明治12年に避病院が作られた。


明治40年

避病院とは伝染病隔離病院のことで、治療法が全くなかった当時、隔離のみが流行を止める有効手段だったが、収容されたものは皆死んだことだろう。江戸弁で避病院は死病院である。

伝染病には赤痢、痘瘡、腸チフスなどもあったが、とくにコレラは江戸末期の開国以来、たびたび流行、明治10年はとくに患者14816、死者8027人という。この年はコレラ予防法心得が制定され、全国で病舎を急造、人里離れた民家や寺を借り上げ避病院とし、終息後は焼却された。この年、東京は内務省、東京府、陸海軍が避病院を本郷向ヶ丘など4か所、浅草など3か所、小石川小日向、北品川に設置した。もちろん設置には常に近隣住民の反対があった。千駄木坂下町にも計画、反対運動があったときく。

明治12年(1879)再び流行。全国で患者16万2637人、死者10万5786人に達する。
内務省はこの年8月に墨東病院、大久保病院の敷地に避病院を設置、9月には駒込の鷹匠屋敷跡10,822坪に避病院を開設。しかし10月には流行も終わり、10月には駒込避病院は閉院した。

明治14年には駒込避病院が東京府にはらいさげられ、建物は解体され敷地のみとなる。
明治19年、6月、東京府は避病院の将来計画を立て、駒込、本所、大久保、広尾の4か所を常設とした。8月、また大流行し、急きょ、本郷向ヶ丘の避病院から病棟2棟、事務所、付属建物を駒込に移築した。

その移築前の建物は、下の地図(明治16年)にある。いまの東大地震研究所のあたりである。のちに一高から東大農学部になる本郷弥生の地はこのとき、東京府のもので、避病院のほかに癲狂院もあった。


明19年11月には公式には避病院の「避」がのぞかれ、東京府駒込病院となったが、明治40年の地図を見る通り、一般には避病院と言っていたようである。

その後、天然痘、しょう紅熱、コレラなどが流行るたびに開院、閉院を繰り返しながらも建物の改築を行い、全国の避病院の模範となった。
明治30年には東京市に移管、常設伝染病院となった。
明治34年、それまで院長は東大から派遣されていたが、組織変更され有給院長をおくことになる。この年、駒込ピペットで有名になる二木謙三が赴任する。

参考:「駒込病院125年の軌跡」(ネット)、「国立医薬品食品研究所小史」第5号(宮原誠)

なお、一般病院(内科、外科)が併設されたのは、昭和6年になってからである。

私が駒込病院にきたのは、
1、1977年4月ー12月 本駒込にいたとき毎日、病院前を自転車で通った。
2、1986年5月、新入社員の中原さんが私の同級生・山本一夫氏の下で卒研をしたというので、当時この敷地内にあった都立臨床研にいた彼を訪ねた。優秀な彼はその後、母校の教授となった。
3、2013年、ごく近くに引っ越し、しばしば眺めるうちに、ついに2016年、健康なのにお邪魔して見学、屋上から自宅を探した。
4、2017年8月2日、謎の高熱、下半身付随ということで初めて病人として入る。入院を勧められたが面倒くさそうなので断わり、毎日のように通うようになる

さて、5回目は何か?



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2 件のコメント:

  1. 通院されていたとは! 難しいお病気かしら?
    これだけの記事をお書きになれる程に回復されたのですね。安堵致しました。
    そういえば数日前にみた「徹子の部屋」で、美川憲一がアメリカ公演の数日前に現地で急に立てなくなった話を思い出しました。彼は水分をほとんど取らない習慣で、膀胱から菌が入ったそうです。1日の入院で公演には支障なかったそうですが、高額な入院治療費に驚いたという話でした。
    どうぞお大事に。早くダンスができるまで回復されますように。

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    1. 佐藤さん、お見舞いありがとうございます。
      だいぶ回復して、平熱になりましたし、椅子なら難なく立ったり座ったりできます。でも一時は寝返り打てず、寝起きできず、ズボンもはけず、、でした。

      医師は、流行性筋痛症とか、感染・発熱と股関節硬縮を結びつけたがるのですが、妻は私の水分をとらない習慣(トイレは1日2~3回しか行かない)を指摘し、むしろ風邪のような高熱のときに解熱剤を飲んでラテンB級の競技会に無理やり出て、股関節周りの筋肉が熱中症のように硬縮したのではないかと言っています。今、美川憲一の話を伺って、私もそう思ってきました。

      まだ足は本調子ではないので、菜園にも出ず、ずっと家の中にいます。月に20-30本書いていたブログは7・24以来長期中断していましたが、ようやく再開するまで回復しました。
      結局、原因は分からず(感染すらはっきりせず)、なんとなく治りそうです。

      病気というのは突然来るものだということを実感しました。
      そして病気になるとダンスはもちろん、ブログも菜園も一切興味がなくなり、じっと目をつぶる日々になることも知りました。

      佐藤さんも気を付けてください。

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