2018年12月23日日曜日

日本社会事業大学にいってみた

12/17、薬物乱用防止講演で東久留米総合高校にきた。

地図を見ると、この高校の北方、清瀬市方面に不思議な一角があった。
病院、学校はじめ、公的施設が集中する広大な地域。

その中に日本社会事業大学というのがある。
どこかで聞いたことあると思ったら、先月から調べていた戦前戦中の医学雑誌、「健康保険医報」を所蔵する全国でも数少ない施設の一つ。

高校から黒目川と雑木林の自然豊かな道を歩いて1.7㎞ 21分。

来て驚いた。
広い。

学生の姿が見えない。
調べると定員が一学年180人、大学院は80人。
各校舎は2階がデッキでつながり、雨の日も下を通れば濡れない。
私立大学というが、普通なら文系単科大学でこんなに広い校地は必要ない。
校地の周りも雑木林だから、余計広々している。

あと名前も不思議。
「日本社会事業大学」なんて無味乾燥、事務的でおかしくないか?
普通は地名、学問(医学とか)、分野(国際、福祉とか)いろんなものを盛り込むものだ。
図書館の係の人に、なんでこんなに広いのですか? と聞いたが分からないと仰る。
歴史を聞いたら、全国の大学史が集まった棚を教えてくれた。

自分の大学くらい別においておけばいいのにと、やっと探す。
パラパラ見たがよくわからない。

帰宅して検索。

戦後の1946年、厚生省が日本社会事業学校を設立。
専門学校、短大を経て1958年大学に。
土地・建物は国有、財源の多くは国費であり、同省の天下り先とか。
学費も国立大学と同じ。要するに厚生省が作った私立(公設民営)。

興味を引いたのは、当初は原宿、東郷神社の東、明治通り沿いにあったこと。

私は1995年、海軍将校の戦後親ぼく団体「水交会」に入会した。
事務局が東郷神社。海上自衛隊の音楽会なども東郷会館で開かれ、ここには何回か来た。そのころ、明治通り沿いに閉鎖されたような大きな建物があった。

あれが何だったか?

かつて、その辺りの明治通り沿いには金持ちの女子学生の寮、東郷女子学生会館があった。古典ギター部で1年下、岐阜県出身の女子が入っていた。
今調べると9階建てで収容人数480名、1991年閉鎖。
現在はセコムの本社ビル。

一方、社会事業大学があったのは同じ並びの北隣。
もとは海軍将校会館(海軍館)。重厚な洋館だったが、戦後GHQに接収された。
返還後に日本社会事業大学が置かれ、洋館はそのまま使われた。
同大学は1989年に清瀬市に移転、海軍館の建物は1992年に解体されたという。
その後、渋谷郵便局の仮局が一時置かれた後、2009年に原宿警察署の新庁舎が建った。

私が見た1995年は、ロープが張られ、閉鎖された建物だったか、更地になった敷地だったか、考えているうちに分からなくなってきてしまったのだが、東郷女子学生会館だったような気がする。

目的の戦前の雑誌は昭和12年までしかなく、東京医事新誌と合併した昭和15年のものはなかった。

1985(昭和60)
日本社会事業大学が来る前、この一帯は国立療養所東京病院を中心に、公的な施設と都営団地ばかり。
あたかも立川や習志野のように旧軍の広大な敷地の跡のように見えるが、ここは軍ではないようだ。(続く)


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