2018年12月25日火曜日

ハンセン病と全生園

12/17、薬物乱用防止講演で東久留米にきた。
たまたま地図にハンセン病資料館というのが見えた。
足の向くまま清瀬市に入り、社会事業大学、東京病院と歩いて来たので、こちらもついでに見学しようと思った。
場所は東村山市になるから、3市をてくてく歩いたことになる。。

写真中央の看板を見ると3行で

国立感染症研究所
ハンセン病研究センター
薬剤耐性研究センター

とある。
あれ? 感染研が戸山から移転してきたのかな?
と思ったら、「国立感染研究所ハンセン病研究センター」だった。

なお、感染研の本部はまだ新宿区戸山にある。
ここで整理しておくと、
1947、国立予防衛生研究所(予研)設立。当初、東大伝研(現医科研)内に設置され、1955、上大崎の旧海軍大学校の跡地(品川庁舎)に移転。

学生時代、1978~80年のどこかで、教授の命令で目黒駅すぐそばの予研、品川庁舎に、サンプルをもらいに行ったことがある。カビのスラント(斜面培地)だったか、ペニシリンの力価検定用の枯草菌だったか忘れたが。

当時は海軍大学校の建物をそのまま使っていた。しかし若いころは歴史などまったく興味がなかった。後年見に行ったら高級マンションになっていた。あの時、もっと見ておけばよかったと後悔している。

1992、品川庁舎から新宿区戸山(戸山庁舎)に移転。
1997、国立多摩研究所がハンセン病研究センターとして併合された。

さて、ここにあった多摩研究所は、ハンセン病に特化していた。
1955、国立らい研究所として設立
1962、国立多摩研究所と改名、
1997、改組し予研の一部になる。

そして
1997年4 月、名前が予研から感染症研究所に変わったのである。


どこが入り口だろう、と見回すと、すぐ「納骨堂」の矢印が眼に入る。
先に見ておこうと左手の森にいってみた。

ここも広い。

書いてある通り。

納骨堂うら

納骨堂の表
ここに墓があるということは、死んでも故郷に帰れなかった、誰も迎えに来なかったことを意味する。

史跡案内板。相当広い。

恐らく娘が患者であろう。
遍路から戻ったら、ここに入れられる。
生き別れは死に別れより辛いのではなかろうか。


資料センターの入り口が分からず、うろうろしていたら、
工事をしていた人に「月曜は休みだ」と教えられた。
入り口のガラス扉は養生されていて、分からなかった。

仕方がないので外に目を向ける。
 
桜の並木というより森。
かつての患者住居跡が撤去され、桜の並木が林として残ったのだろうか?
・・・・いや、違った。

全生園は想像以上に広い。
患者の宿舎はずっと奥に広がっている。
というか、不覚にも「全生園」の意味をこの時初めて知った。

入っていいのかな?とも思うが、門も注意書きも何もない。
住民の通り抜け道にもなっているようで、少しずつ入っていく。
広いのに誰もいないというのはなぜか不安になる。
左前方に住居が見えた。
同時に白衣の看護師さんらしき人を含む3人ほどが遠くに動いた。
ということは、まだ患者がいるのだろうか。

「居住者地域につき立入をご遠慮ください 園長」

第一面会人宿泊所
他にも2か所あった。

驚いたことに向うからギターを担いで歩いてくる若者がいた。
思わず顔を見たが、瞬間的にそらしたから分からない。
しかし、よく考えたら若者の患者はいるはずがない。
このあと自転車の女子高生にも会う。
立入禁止の札があったんだけどな~。

永代神社
昭和9年伊勢神宮の余材払い下げを受けて建立されたという。
なぜこの名前になったか分からない。

「山茶花46」と宿舎に名前がついていた。

帰宅して写真に撮ってきた地図(建築基準法86条認定の看板)をよくみると
ここは単に「46寮」となっていたが、東の方は
八雲、高砂、朝日、千歳、黎明、あるいは、
ききょう、さつき、ゆり、あるいは、
牡丹、柿、樫、葵、利根、などの「舎名」がついていた。

テニスコート
奥に野球場もある。

「最初の火葬場跡」とともに、いくつかある金属製案内板の文章は上手いと思う。

散歩している老夫婦は近所の人と思われた。

帰宅してからグーグルマップを見たら、私は北東の端をかすめる程度に歩いただけだ。
それでも衝撃は十分。
瀬戸内海の長島は知っていたが、こんな近くにもあるとは思わなかった。

Wikiで調べたら、全国13か所の療養所の入所者は
2012年 2134人 平均 82.1才
2014年 1840人 平均 83.6才
全生園は2012年で243人、83歳。

1958年、東京で開かれた第7回国際ハンセン病学会で強制隔離政策を批判されたが、国は変えなかった。患者が普通の病院にかかれるようになったのは法改正の1996年以降である。
また、患者同士が結婚するときは断種が条件で、96年まで”優生”保護法の適用疾患であった。


今回、樹木希林最後の主演で「あん」という全生園が出てくる映画もあることを知った。

空堀川。ほんとに水がない。

ネットには全生園ツアーなどのサイトもある。
旧図書館、旧少年少女舎などの古い建築。
県木の森、望郷の丘など故郷に戻れなかった無念さをあらわすもの。。

イギリス大使館事件、光田健輔、無らい県運動、長島事件、本妙寺事件、多くの一家心中。川端康成と北条民雄、
プロミン、ダプソン、リファンピシン、
大分勉強になったが、もう一度じっくり来るべきところだと思った。

好奇心で見るようで気が引けていたが、幸い、全生園や資料館、関係者はできるだけ多くの人に来園、交流、見学してもらいたいようだ。2012年には、外にあった保育園が敷地内に移転してきている。

何の予備知識もなく、年の瀬に偶然足を向けただけだったが、今年訪れた場所では一番記憶に残るだろう。


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