12月16日、長野の弟がきた。
私が長岡へ行った話をしたら、彼は小千谷会談の慈眼寺に行ったという。
「じがんじ」というから、
「いや、寺はふつう呉音だから、ガンじゃなくてゲンじゃないか?」
ネットを調べたら、同名の寺は、染谷墓地の裏をはじめ全国あちこちにある。
「じがんじ」と読むのもあり、結論付かず。
そのあと皆で根津のはん亭と横山大観記念館に行く。
解散後ひとり歩いて千駄木に戻る途中、言問通りに出た。
寺がある。
このあたり珍しくもないから無視しようとしたが写真を撮る。
なぜなら「天眼寺」。
朝の会話を思い出す。
てんげんじ? てんがんじ?
山門不幸とは住職がなくなられたか。
このまま通り過ぎるところ、はっとした。
太宰春台の墓があると看板が出ている。
長野県人なら皆知っている。
しかし私を含め誰も、彼が何をした人か知らない。
とにかく県歌「信濃の国」で子どものころから皆大声で歌った。
5番は偉人をうたう。
旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆この国の人にして 文武の誉れたぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず
しかし、木曽義仲はまだしも、信玄の五男・仁科信盛、儒学者の太宰春台とは地味すぎる。1900(明治33)年、浅井洌(1849 - 1938)が作詞したときの、長野県の偉人とはこんな人しかいなかったのだろうか。
まあ、真田幸村、小林一茶も偉人という感じじゃないし、明治以降の人をあげると差しさわりがあるし。
そっと入るが、都会の寺らしく境内は狭い。
建物の間から奥に墓が見えた。
奥平松平家?
それほど大きな墓域ではないのだが春台の墓は見つからず。
諦めて帰ろうとして看板をよく読むと
円頭角柱形の桿石、隷書で「太宰春台先生の墓」と題、高さ1.32m、
とあるので、再び戻るもやはり見つからず。不思議。
天眼寺を出たあと、言問い通りを北にわたる。
ここは善光寺坂という。
江戸切絵図(近江屋)にすでに善光寺はないけれど、天眼寺の上にセンコウシサカ、善光寺前町、善光寺門前の文字がみえる。松平伊豆守(大河内)の上は寛永寺。
寺、坂、道の多くは今もある。
1978 -80年頃、その坂の途中に、今は駅ビルなどでよく見るリトルマーメイド、アンデルセンのパン屋があった。
現在自炊すれば多分スーパーの安い食パンばかり買うであろう私としては、信じられないことだが、40年前はここのパンをよく買った。
理由は食器がもらえたのである。
コーヒーカップ、スープカップ、小皿などAndersenと書かれた食器は、1981年就職と同時に箱に入り、大宮寮を出て団地住まいとなった1983年復活した。
翌年そこへ妻が嫁に来た。
ほとんど使ってもらえなかったが、彼女も覚えていた。
どこかにあるかもしれないと言われ引越しの段ボールを探したがなかった。
捨てられたらしい。
谷根千74号(2003)にリトルマーメイド根津店のことが書いてあった。
ここにあった善光寺湯(「時間ですよ」のモデルとか)のオーナー松田橿雄さんが廃業、1976(昭和51)年にビルに建て替え、広島と青山にあったアンデルセンのフランチャイズ店になり、彼自ら青山店で修行したという。当時はまだ珍しく車で買いに来る人もあったとか。
15年前、2003年の時点でも、毎月15日のリトルマーメイドの日に600円以上買うとオリジナル食器がもらえたようだ。40年前はどうだったのだろう?
その場所がいったいどこだったか、以前来たときは分からなかったのだが、今回、天眼寺の並び、少し上に「マツダフラット」というマンションを見つけた。名前からして多分ここの右側1階だろう。
残念なことに、いくら見ても当時の店内の記憶は浮かんでこない。
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