妻は健康のためといって毎日歩いている。
週3日のパートは根津神社近くまで歩いて通い、それ以外の日は違う方角に向かう。
しかしやがて歩くのが飽きたらしい。そりゃそうだろう、用もないのに歩くなんて私には考えられない。そのうち彼女は文京区のパン屋さん巡りという目標を見つけ、昼飯前の散歩が日常になった。
しかし梅雨の終わりごろから暑くなり、中断していた。
それが久しぶりに歩くという。
朝暑くなる前に、蓮の花を見に不忍池まで行くというので、私もついていくことにした。
6:25
どうせなら音が鳴るという開花の瞬間をみたかったが、目覚まし鳴ったのが6時。
しかも彼女は支度に時間がかかり、私は庭で野菜を見ながら待つ。
2021-07-19 6:27
千駄木小学校の前の廃業文房具屋さんは一般住宅になった。
この時間、犬を連れた散歩とジョギングの人だけ。
宮本百合子旧居跡の門柱を過ぎ、高風荘。
ここは明治天皇の女官だった千種孝の隠居所だったところで、宮本百合子日記には葬儀の様子がある、と妻に教えるもあまり興味なさそう。
6:30
左の角の伊東邸は数年前まで大きな日本家屋だった。伊豆を本貫、日向の大名であった伊東氏の通り字「佑」が表札にある。10年近く気になっているがご挨拶する機会もない。
右は旧安田楠雄邸。
この保健所通りは、通りに面しただけでも我が家の前から吉丸一昌、山崎朝雲、高村光太郎、宮本(中條)百合子、松平子爵、安田邸、須藤邸、島薗邸、岡本銀行頭取邸などが並んでいた。しかし子孫が住まわれているのは須藤邸だけで、建物として残っているのも安田、島薗邸だけ、マンションになったり細分化されたりして景色が変わってしまった。
6:33 団子坂の朝日
不忍通りは暑くてうるさそうなので、坂を下りずに薮下道をいく。
6:34 観潮楼となりの早川邸跡。
マンションが完成して初めての夏。植え込みも伸びたが、樹木と塀で建物が見えなかった頃に比べるとすっかり景色が変わってしまった。
6:36 汐見坂
朝倉響子邸あともマンションに。
鴎外、荷風が登りながら眺めた石垣は消滅した。
ツタの家(右)の北は一時不動産市場に出たが、日本医大が買ったようだ。
元々住宅地だが、周辺に広めの土地が出れば必ず日医のサテライトオフィスになっていく。
6:38
日本医大裏の解剖坂
すっかり景色も変わった。
ここ北東の角は解剖室、霊安室があったのだが、坂名の由来も分からなくなった。
東大、医科歯科大、順天堂大、大学病院はどこも拡大していく。
公的医療費のひっ迫から在宅医療が奨励されるが、その流れは見えない。
むしろ町の小さな医院は目立たなくなっていく。
6:39
根津神社裏門坂の途中、西門から覗くとラジオ体操の最後、深呼吸をしていた。
それにしても、なぜ本殿周りの柵の外、こんな隅っこの通路でやっているのか?
と思いながら境内を進んだら分かった。
本殿前の広いところは人でいっぱい。あれは、あふれた人たちだったのである。
体操終わってもおしゃべりタイム、
根津、千駄木、弥生、谷中、いろんなところから集まり、毎朝来れば顔見知りができ、さらに紹介されて、街の情報を交換しながら人の輪が広がっていくのだろうか?
輪に入れずずっと一人の人もいるだろう。たぶん私。いや私はここには来ないだろう。
お隣の伊藤先生の奥さんもいらしているはずだが、と、探すも分からず。
ラジオ体操って誰かがラジカセ持ってくるのだろうか?
でも遠くの人は聞こえないだろう。中心の人の動きを見て合わせるのかな? でも建物の陰になっている人もいる。それは隣の人に合わせることがウェーブのようにリレーされてくるのかもしれない。末端の人は中心で何が起きているか分からない。
かといって自分たちのためだけにラジカセを別に持っていくのは御法度であろう。
端のほうで他人に合わせて手足を動かすだけならわざわざここまで来ることもないとも思うが、往復歩くということも大事なのだ。
6:41
それにしても白装束のような服が多い。
似合っても似合わなくても衣装は大事だ。
ジョギングなども普通の格好で走ったら何事かと周りの目を引いてしまう。
電話のないころは医者に走る人はいただろうが、今はトイレに行きたいのかな、と思う。
たまに電車に遅れそうになると駅に走るが、あまりかっこいいものじゃない。今はそういう体力もないし、急ぐ必要もなくなった。
根津というのは小さな家がびっしりあった街だが、古い家も少なくなった。
6:43
根津教会 1919年(大正8年)築。
2018年10月20日、根津千駄木祭りで入った。
祭壇が角にあり信者席が弧を描いている。
不忍通りは歩きたくなかったので、弥生坂の途中、信号のないところを横断、東大浅野キャンパスの裏道に入る。
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6:47
大学構内であるが住民も通るのだろう。
スロープだけ残った建物跡
6:49 東大職員住宅跡。
2017年ころ、すでに大部分廃墟であったが、まだ居残っている人が少しいらした。
しかし今は完全に無人で柵に囲まれている。
6:52 ここで初めて不忍通りに出る。
右はルネッサンスタワー上野池之端
2005年築、もとは松坂屋配送センター跡地というが、記憶にない。
向かいは上野動物園(西園)。
西園は不忍池の北池を含むから鳥類や両生類が主かと思っていたが、キリンなどもいるようだ。
最後に入ったのはいつだろう?
あれ?子供のころの長野からきた東京見物のときだけか?
「私は子ども3人とも一人で連れてきました」
と妻が怒ったように言った。
6:55 不忍池到着
家から29分。あまり爽快さはない。
さてハスは咲いているかな?
(別ブログに続く)
20210719 上野公園11 ハスはいつ咲くか?
(以前のブログ)
20210206 日本医大の建て替えと薮下通り、汐見坂の消滅
20181201 拡大する日本医大2、神泉病院
20181015 拡大する日本医大、解剖坂、猫の家
20181011 林町2 高風荘、中條、高村、市嶋
20181010 林町1 島薗、須藤、安田
20170206 藪下通り、汐見坂と荷風
20170107 弥生3・浅野家正門跡
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