2023年3月4日土曜日

クロスエアタワーの目黒区施設と天空公園

東京23区の地図を集めている。
2月22日、下北沢で世田谷区の地図をもらったあと、目黒区の地図をもらうため、目黒区の駒場まで歩いてきた。
2023‐02‐22 12:02 
駒場東大前駅 西口
下北沢駅からここまで1.6キロ、21分。
(実際は地図をもらうため代沢支所に立ち寄ったからもっとかかっている)

12:04
かつて駒場の駅から南に登る坂のすぐ西に公務員住宅があった。
学生時代、ここに住む高級官僚の息子の家庭教師を数か月した。その後、宿舎は廃止され、2017年は建物がまだあったが、今回は更地になっていた。

坂を上がると淡島通りに出る。
突き当りの駒場エミナースは、1992年友人の結婚式で来たが、今はプラウド駒場になっていた。
都立駒場高校との間の道を南下する。
駒場東邦中学・高校入口の案内板があった。
1976年、座間のいとこがここを中学受験して、近くだから結果を見にいってくれと頼まれた。何度見ても名前がなく、不合格を伝えるのがつらかったが、彼は第一希望の栄光学園に受かり事なきを得た。
12:13
警視庁第三機動隊の建物群(写真)の間を下りると、東邦大学大橋病院がある(写真左)
このあたりは学校や官庁、公共施設が多い。
1909(明治42)年ころの地図を見れば、
帝大農科大学の南、すなわち公務員宿舎のあたりは駒場練兵場があった。そして淡島通りの南、つまり駒場高校、第三機動隊、駒場東邦、大橋病院のあたりは騎兵実施学校、近衛輜重兵営、騎兵営の文字がある。そして坂を下り切った玉川通りの南は駒沢練兵場、砲兵旅団司令部、兵営があった。

12:18
高速道路の下を通る玉川通り(国道246号)を渡る。
上空はコンクリートの巨大なループ。

このループは山手通りの地下を走る中央環状線と高架の首都高(渋谷方面、東名方面)をつなぐ大橋ジャンクションである。ビル何階分もの高低差があるから、車は何周もしなくてはならない。
私が駒場から大橋あたりを歩いていた昔は、中央環状線がなかったからもちろん大橋ジャンクションもなかった。地下鉄の東急田園都市線も建設中で、この場所は東急のバス営業所があった。
歩道橋を渡りきるとクロスエアタワー。
地上42階の高層高級マンション。
3階から6階と11階から41階が分譲住宅や地権者の住宅、
7階から9階には図書館や区役所出張所などの公共施設がはいっている。

歩道橋からの入り口は、高級マンションか高級ホテルのエントランスそのまま。
区役所などにありがちなお知らせなどの貼り紙、告知板などない。
9階に上がると目黒区北部地区サービス事業所と目黒区立大橋図書館があった。

目黒区の地図はすんなりもらえた。
同じフロアに屋上への出口があった。
出ると大橋ジャンクションの上にできた庭園だった。
12:23
高低差のある斜面もあり、とても屋上とは思えない。
お弁当を食べているOLもいた。
私もベンチに座り、リックのなかを探しおやつを食べた。


12:30
ここは目黒区立公園の一つである。
12:30
左:クロスエアタワー、右:目黒天空公園
同じ建物の屋上のように思えたが、橋でつながっているのが分かる。

12:33
地上に降りてクロスエアタワーを振り返る。
目黒区というのはお洒落で金持ちだとつくづく思った。
区役所の出張所という機能は同じでも、建物はほかの区と全然違った。
12:33 氷川神社
クロスエアタワーと玉川通りを挟んである。
就職して大宮周辺に住むまで、氷川神社で知っているのはここだけだった。

12:35
下の山の手通り(環状6号線)と上の玉川通りをつなぐループ。
これは昭和50年(1975)にあった。大学1年生の秋、川口の叔父に車を借りて都内を初めて運転した。駒場の寮の裏に駐車して、夜、世田谷区深沢のアルバイト先まで車で行ったとき、このループを通った。車の免許は同年代の者より早く取ったが(高校生割引!)、都心を乗り回すようなお洒落な男にはならなかった。
後年、大橋ジャンクションと聞くたびにここのことだと思っていた。

ここから渋谷のセルリアンタワーまで950メートル、12分である。


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