東京23区の地図を集めている。
1/24 豊島、新宿
2/13 文京、台東
2/14 渋谷
2/16 北
2/17 板橋
2/21 荒川、葛飾、江戸川、墨田
2/22 世田谷、目黒
2/27 品川、大田
以上15区の窓口に行き地図をもらい、あと8区。
東部の足立、江東、
都心の千代田、中央、港、
西部の練馬、中野、杉並が残っている。
3月1日、この日は午後、練馬区光が丘のパーティに誘われた。
この機会を逃すと練馬区なんて行く用事がない。ついでに杉並、中野も回ろう。
朝から回ればほかの区も行けるのではないか?
そこで地下鉄一日乗車券を買った。
2023‐03‐01 8:53
千駄木駅ホームにて、地下鉄一日乗車券。
自動券売機で買える。都営も乗れて900円。
ちなみに千駄木から光が丘までは片道423円。
まず向かったのは千代田線で3つ目の北千住。
9:02着。
足立区の南端だが、区役所出張所の区民事務所がある。
9:09
千代田線ホームから地上に出るのは時間がかかった。
区民事務所は北千住駅前の丸井の中にある。
平日の朝だと改札口に急ぐ人ばかりで、買い物客のいない丸井も、出張所用の入口しか開いていなかった。直通のエレベーターで上がり、地図がありませんかと、来所者の案内をしていた女性に聞くと、窓口の女性に確認に行った。
戻ってこられて、足立区には無料の地図はないという。
有料地図なら区役所にあるが、ここにはないという。
9:14
今まで15区を訪ねたが、行ったところはすべて、出張所であっても地図はもらえた。
そんなことはあるのだろうか? ないというのは本当だろうか?
防災地図とか、街歩き、観光地図とか、何かあるのではないか?
納得できず、区民事務所を後にする。
北千住付近の地図をみると、旧日光街道を少し南へ行ったところに足立区千住庁舎というのがあった。そこに行ってみよう。
9:16
駅前通りはどことなく地方都市を思わせる。
旧日光街道にぶつかり南に曲がる。
9:18
旧日光街道は、北千住駅前通りから南は千住本町商店街という。
この道は何回か通っている。
ブログ
20201224 北千住4 森鴎外旧居はタワーマンションに
9:20
歩きながら左(東)を覗くと、文化財的な歯科医院の看板が見えた。
今昔のブログを見たら、2年前に来た時もこの写真を撮っていた。
そのときこの写真左側の高層マンションは工事中だった。
実はこの敷地は鴎外森林太郎の父が開業した橘井堂(きっせいどう)森医院があったところ。
9:22
二年前フェンスで覆われていた周囲はすっかり整備され、周りこむと森鴎外旧居橘井堂跡という碑が建っていた。
森林太郎は東大在学中は竜岡門付近に下宿していたが、明治14年に卒業してから17年にドイツへ留学するまで、ここ千住から三宅坂の陸軍病院まで人力車で通った。
日光街道をさらに南下、千住一里塚跡などがある大踏切通りを過ぎると、左に千住庁舎がある。
9:27
千住庁舎
9:28
しかし中に入ると、足立福祉事務所、千住保健センター、子育てサロンなどが入る病院のような雰囲気の施設で、一般人相手の窓口もなく、とても地図がもらえるような場所ではなかった。
早々に退散し、駅に向かった。
しかし地図を諦められない。
9:32、足立区役所に電話してみた。
自動音声ガイドではなく、ちゃんと案内嬢が用件を聞いて担当部署に回してくれた。
確かな情報として、やはり地図は一部100円で販売しているという。防災マップもないのかと聞くとこちらも100円で冊子になっているらしい。またそれらは区民事務所などにはなく、本庁にしかないという。
東武線の梅島駅から徒歩12分というので、今回はとても行く気にならず、諦めた。
次の目的地は江東区。
今まで地図をもらうには、区役所だけでなく、支所、出張所も含め、駅に近い施設を訪ねていたが、やはり区役所がいい。墨田区役所、品川区役所で分かったが、区役所は大きいから、入口近くに総合案内所があり、地図をもらうのがスムーズ。そして出張所などには在庫がないかもしれないが、区役所ならば(もし、あるなら)確実にある。
また、区役所は区の顔であり、様々な23区の雰囲気が分かる。
うまり、北千住から江東区役所にいく。
幸い、地下鉄の駅から近い。
北千住駅に戻り、日比谷線の始発電車に乗る。
いったん千代田線の地下に入ってしまったら日比谷線は一番上の3階だった。
北千住は多数の路線が乗り入れて、その利便性から今、住みたい街ランキング上位の駅だが、朝の通勤は大混雑なのではなかろうかと思っていた。しかし、日比谷線の始発電車はガラガラだった。
時計を見ると9:44
家を出てから1時間経ってしまったのに、まだ地図は1枚もゲットしていない。
茅場町で東西線に乗り換え。
10:14東陽町駅に到着。
10:18 東陽町駅
永代通りと四つ目通りの交差点
地下鉄入り口が、洪水時に備え道路より高くなっている。
この駅はダンスの競技会がホテルイースト21でよく開かれたので、2005年と2006年に2回ずつ、最後が2015年、合計5回来ている。
江東区など東部の地域は景色に変化がないため、何度来ても東西南北が分からない。
地下鉄出口の交差点にある地図は、案内板に立って見ている方角が上になるよう描いてある。北が上になる地図よりも、向いている方角が上になる地図を好む人のほうが多いということだろうか?
地図を見なくても、江東区役所はイースト21に行くとき前を通っていたので道は分かる。しかし、何回も来ているのに、今回、地図を見て区役所が駅の北にあることを初めて知った。
10:21 江東区役所着
足立区と違い、地図は一階の一番近い窓口ですぐ下さった。江戸川区と同じく、ハザードマップなどと一緒に「暮らしの便利帳」に挟まった転入者用のキットであった。地図だけで良いですというと抜き出してくださった。
「ここにいてはいけません」という江戸川区のハザードマップはインパクトがあったが、江東区もほとんどが埋め立て地。心配になる人もいるだろうが、国土地理院の等高線地図を見ると近年の埋め立て地はむしろ江戸時代からの陸地より標高が高い。
埋め立てというと、江東区は埋め立てによって陸地が大きく増えた。
明治15年に11平方キロ(のち深川区、城東区となる相当地域)だったのが、大正時代に15平方キロ、昭和15年に20平方キロを越え、私が上京した昭和50年に31平方キロ、今は40平方キロと3倍以上になっている。
いま立っている区役所前も東京湾から大分離れているが、仙台掘川の南、木場の東だから明治時代は波打ち際だった。
今、江東区は豊洲、有明も含め(フジテレビお台場は港区)、区の形もすっかり変わり、面積は6位、人口は8位まで増えている。埋め立てのなかった北隣の墨田区などを大きく引き離した。
さて、
上の区役所の写真でも見えるが、すぐ先の左のほうにイースト21が見えたので懐かしくなってちょっと足を延ばしてみた。
10:28
イースト21、の入り口
虎ノ門のホテルオークラの系列である。
10:30
イースト21の前の横十間川親水公園
ダンスで来たときは東西南北を気にせず、また知識がなかったから気にならなかったが、横十間川は江戸城から見て横、つまり南北に伸びる掘割である。しかし、ここは東西である。はて?
いま地図を見たら、横十間川は錦糸町駅のそばの猿江恩賜公園の東を確かに南北に流れているが、江東区役所の北で西に曲がり、東西方向となり、この先、西側で南北に並行する大横川につながっていた。
2015年最後に来たとき、ダンスは二回戦で敗退し、時間があったのでこの遊歩道を西に歩いて木場公園まで行ったことを思い出す。
初めて東陽町にきた18年前、2005年は競技ダンスを始めて半年、JDCのノービス級で49組中6位に入った。
翌2006年、3回目に来たとき13組中2位となってD級に昇級した。
最後の8年前、2015年は6人目のパートナーとDSCJのB級になっていて、翌年のA級昇級を決め、一番熱心に踊っていたころだった。
年月は速い。いつまで踊れるだろうか。
(続く)
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