今まで四国に行ったことがない。
用もなかったし、これからもない。
特に旅行好きでもないが、行ったことがあるのとないのとでは四国関連の考え方が違ってくるかもしれないと、一度は見てみようと思った。
一番見どころが集まっている県として香川を目的地とした。
西日暮里駅から高松駅まで
飛行機だと
1 05:24→09:15 3時間51分 50,467円 乗換3回
2 06:23→10:00 3時間37分 45,517円 乗換3回
新幹線だともう少し気軽だが
3 05:43→10:26 4時間43分 18,550円 乗換2回
(思ったより早い)
夜行バスは
4 21:15→ 08:22 約11時間 7900円 乗り換えなし
用もなくて何が何でも行きたいというわけでもないので日帰り、安いほうが良い。
夜行バスの一択となった。日帰りなら現地滞在時間もいちばん長い
バスは5月初めに予約したのだが、このところ切り株の掘り出しとかダンスとかしているうちに、何も準備せずに6月10日の当日になってしまった。
いくら行き当たりばったりに慣れているといっても、これはまずいと、出発数時間前から調べ始めた。
当初は高松城、丸亀城、讃岐富士くらい見れば、香川県の代表的都市の繁華街と、ため池、田園も見れるだろうと思っていた。しかし、旧陸軍11師団のあった善通寺、その先の琴平神宮も行けるかな、と思い、さらに地図を見ていたら讃岐国分寺あたりの地形というのも見たくなった。
こうなると1時間に1本くらいしかないだろう香川県内の列車の時刻を調べなくてはならない。
(現地に行ってからスマホで調べるのは操作が慣れていないし、電池がなくなると写真が撮れない)
各地での所要時間が不明だから、何時の列車に乗るか、行ってみないと分からないが、朝から夕方までの行動計画に応じて、いくつかのパターンを書きだした。
2024₋06₋10
行くべき駅の発着時刻。
夕食後、この紙一枚と、急いで印刷したグーグル地図数枚だけ持って自宅を出発。
21:10
バスタ新宿。ことバス703便の乗車が始まる。
向こうのNTTドコモタワーに時計があることに気づいた。
今まで四国の人とあまり接点がなかった。
今、まわりは四国の人ばかりであることに不思議な感じがした。
バスは大橋JCTから東名高速に入ると思ったら、湾岸道路に出て横羽線を南下した。空いている道を選んだわけではなく、横浜駅で客を乗せるためだった。
今、高速夜行バスはカーテンを閉めたまま走るようだ。窓際だったのにどこを走っているか分からず。
明石大橋、鳴門大橋を通ったはずだが、よく分からず。
徳島県に上陸してすぐ、石切り場の横のような、何もない山中に停車した。コトバスステーション鳴門インターという琴平バスが運営するターミナル。
ここで高知県、愛媛県に行く人は小型バスに乗り換え、バスがガラガラになった。
4県の人口、面積は
愛媛(133 万人、5677 km2)
香川( 95 万人、1876 km2)
徳島( 71 万人、4146 km2)
高知( 69 万人、7105 km2)
であるが、バスの乗客の行き先内訳は分からない。
徳島市内に入り、右に徳島城址がちらりと見えるとすぐ線路をくぐって駅についた。
2024₋06₋11 6:22 徳島駅。
ここで何人か降りると大型バスの乗客は香川県に行く4人だけとなった。
バスは名田橋で吉野川を渡る。
6:35 吉野川
日本三大暴れ川の一つとして四国三郎の異名をもつ。
さすが水量は多い。川幅は荒川(鴻巣あたり?)に次いで全国で2番目に広い。
(奈良県内の紀ノ川の上流も吉野川という。葦、野は地名になりやすい)
再び高速道路(高松自動車道、E11)にのってしばらく行くと瀬戸内海が見えた。
7:05
スマホをみれば小豆島のようだ。
香川県はこの島を入れても、全国47都道府県で一番小さい。
かつては大阪が一番小さかったが、1988年瀬戸内海の島で岡山との境界未定部分を見直したときに最小となり、その後は大阪が埋め立てを繰り返しているため、差は広がりつつある。(次は東京、沖縄の順)
もう一つ香川が日本一のものがある。県として独立したのが一番遅い。なんと明治21年、1888年12月である。
明治4年(1871)7月の廃藩置県は藩と幕府直轄領を県にしただけで、大小300もの県ができた。これでは不便なため、4か月後に3府72県に統合された(第1次統合)。四国は松山県、宇和島県、香川県、高知県、名東県の5県。
その後、統合は3府35県(明治9年、1876)まで進んだが、今度は逆に面積が大き過ぎるために分割が進められ、明治22年(1889)には3府42県(廃藩置県の対象外だった北海道と沖縄を除く)となって最終的に落ち着いた。
この間、旧讃岐の国は、面積が小さかったことが災いし、1873年2月には名東県に編入された。2年後の1875年9月に香川県として分離されたが、翌1876年8月には今度は愛媛県に編入された。この間、四国の旧分国の一つとして住民は不満だったであろう。そして、12年後の1888年12月にようやく香川県が復活して、現在に至る。
予定の8:20よりだいぶ早かった。
7:57
JR高松駅は、長崎、青森、函館のように、海に向かう行き止まり駅である。
高松城は地図だと港湾の一部に見えてしまう。
8:05
県庁所在地で改札がホームの端に一つだけというのも珍しいのではないか?
8:14
駅前広場は何もない。
(国土地理院、高松駅)
何もないのは、かつて一面線路だったからだ。
8:17
「海水池」、「高松港方面」というエスカレーター。
この駅の特殊性が分かる。
高松駅は(お城は近いが)高松市の中心ではない。
かつて高知、松山、徳島と、四国全県の県庁所在地からの特急列車は高松まできて、ここから宇高連絡船に乗り換えた。1988年4月、本四備讃線(瀬戸大橋線)ができるまで、80年にわたり、四国の玄関口だった。
ちなみに、今は
特急「しおかぜ」:岡山- 伊予西条・松山
特急「南風」:岡山 - 高知・中村
特急「うずしお」:岡山 - 徳島
快速「マリンライナー」:岡山 - 高松
寝台特急「サンライズ瀬戸」:東京 - 高松
が走っている。
8:17
高松駅全景。
このあたりの景色は1988年以降に一変したわけだ。
さて、この後、高松城を見てから予讃線の各駅停車で国分にいった。
そこで讃岐国分寺跡をみてから讃岐の農村を歩いて一駅先の讃岐府中まで行き、香川県埋蔵文化センターを見学。
そこから再び列車に乗って坂出をすぎ丸亀下車、丸亀城から讃岐富士をみた。
さらに土讃線で善通寺に行き、陸上自衛隊資料館の乃木館を見学、最後は金比羅さんのある琴平まで足を延ばした。
それらはのちに書くことにして、高松に戻ってきたあとを書いておく。
さて夕方、最後に訪ねた琴平は金刀比羅宮まで行かず、参道を途中で引き返したため、1時間半ほど早くかの地を出た。すなわち、1時間以上早く高松に戻ってきた。
行くあてもなく、琴電で一番大きな駅と思われる瓦町で降りた。琴平線から長尾線、志度線が分岐するターミナルである。高松駅が四国の玄関口として機能し、市民とは関係なかったのに対し、瓦町は市の中心街にある。
18:12
琴平電鉄瓦町駅
駅ビルはかつてそごうが入り、その閉店後は高松天満屋、ここも閉店した後は専門店や高松市民サービスセンターなどのテナントが入る瓦町FLAGという商業施設になっている。
ストリートピアノがあり、デッキでは高校生があちこち座り込んでおしゃべりしていた。
駅前から西に菊池寛通りがあった。通り沿いに生家があったとか。
疲れていたので行かず。
瓦町駅から西に行くと南新町商店街という南北に伸びるアーケード街にぶつかる。
そこを高松駅に向かって歩いた。
18:31
アーケード街は国道11号線を横断すると丸亀町商店街となる。
11号というのは、番号から分かるように徳島、高松、松山を結ぶ、日本列島の骨格を通した最初の国道の一つである。
丸亀町グリーンという商業施設に四国銀行やダイワロイネットホテル、サイゼリア、ロフトなどが入っている。
アーケードは、東京の下町商店街と違って広く、ところどころにモールのようにベンチやテーブルが置いてあり、少し休んだ。
19:07
アーケードは延々続く。
岩佐佛喜堂本店。
19:15
丸亀町アーケードは東西のアーケード(兵庫町商店街、片原町商店街)と交差する。角にルイヴィトンもあった。さすが県庁所在地の商店街である。ここで西に曲がり、兵庫町のアーケードに入った。
さて、バスは20:30発、そろそろ夕飯を食べなくてはならない。
讃岐と言えばうどんである。
そういうものに乗らないタチだが、瓦町駅からずっと手に持って見ていた地図はうどん店の地図である。
高松市中心部の地図
朝、駅の観光センターで「高松市内の地図はありますか?」と聞いて手渡されたのが、この地図だった。うどん店を聞いたのではなく、市内図を求めたのにうどんの地図が出てきたのである。表には市内中心部のうどん店45店舗、裏には高松市南部23店舗、北部25店舗、あわせて93店舗の特徴と場所が記されている。香川がうどん県として売り出しているのは知っていたが、ここまで徹底していると思わなかった。よたよた歩いていると地図にあるうどん店の前を通った。
讃岐おでんの特徴は知らないが、どうも櫛に刺したまま出てくることらしい。
うどんの味をコメントする能力はないが、腰があるというか団子のようにもちもちしていた。
店をきびきびと動いているおばさんは「ありがとーお」と発音する。よく考えると一日ほとんど地元の人と話さなかったから、これが彼女の癖なのか、高松の方言なのか分からない。
少し元気になって店を出た。
歩いてすぐ、この兵庫町アーケードの短い通りに、またうどん店があった。
19:55
はなまるうどん
セルフ方式で東京にもあるこのチェーン店は高松で2000年に創業。
市内に8店あるらしい。
ちなみに「はなまる」のライバル、丸亀製麺は丸亀ではなく、兵庫県加古川で2000年に創業した。丸亀に店舗はなく、四国全体でも高松に1店あるだけである。
丸亀製麺 はなまるうどん
国内店舗数 845店舗 492店舗
麺 各店舗毎で製造 全国数点の工場で製造
出汁 昆布と削り節の関西風 いりこ出汁の讃岐風
かけ小(並) 340円 330円
(店舗数は2020年5月時点)
19:56
「はなまる」の斜め向かいは「うどん市場」
ぶらぶら歩いて高松駅に着いた。
駅ビルでお土産を買おうとしたら20時閉店だった。
20:30にバスは出発、徳島駅で数人乗りこんできて、
さらに鳴門のコトバスターミナルで高知、松山からの客が合流、
新宿には翌朝7:30頃に着いた。
乗客で最年長であっただろう。
(香川県各地のブログに続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿