2026-09-01
2番畝、手前はエダマメとバジル。ネットは種まきしたばかりの大根。
4番畝、里芋は初めてのセレベス種だが巨大化し私の背丈ほどある。
8月27日から続く雨は9月もやまない。各地で豪雨被害が出た。東京でも晴れたのは9月14日だけ。
この間に、妻の姉の嫁ぎ先の義父がなくなった。
9月3日、つくばの葬儀場へ通夜にいく。
100才だから悲しい葬儀ではなかった。みんなで俳句の好きだった故人を褒めるような会だった。私自身は法事で2,3度会った(見た)だけだからなんの感慨もなく、他人の死であり義理の出席である。
長いお経の間に思ったことは、どんな健康な人でも必ず死ぬということ。
死ぬようにできている。死は進化の過程で生まれた仕組みである。生物の種が存続するというのは、その遺伝子が存続するということ。遺伝子を大事にくるんでいるのが個体であり、個体は遺伝子の乗り物に過ぎない。生物が生存、繁殖しやすいように進化してきた理由はすべて遺伝子の永続のためである。100歳の彼はとっくに遺伝子を次代に送ったにもかかわらず、個体が頑健すぎて、主(あるじ)である遺伝子が想定していた以上に長生きした。
遺伝子としては新しい住まいである次の個体が十分な食料を得て生存していくために、抜け殻のような古い個体には消えてもらわねばならない。伊勢神宮が20年に一度の式年遷宮により、古い社殿を壊すことによってご神体が1300年以上も常に新しい住まいに安置されてきたように、遺伝子も外殻を新しくすることで自らの不変を保つ。
この雨の時期に、妻の母も危なくなってきた。
こちらは1927年7月生まれの99歳。ずっと自宅で暮らし、頭はしっかりしていて塗り絵をしたり心情を書き綴っていたりしていた。1週間ほど前に入院した。熱が出て心臓も弱ってきたのか足がむくみ息も苦しくなって酸素吸入になった。妻を含めた3人の娘(といっても婆さんだが)は、見舞いに行っていたが、3人の婿さんにも会いたいと言ったそうだ。しかし私はまだ大丈夫だと思い、妻がそれ以上言わなかったので行かなかった。今までのようにじきに退院して100才を迎えられればいいなと思っていた。ところがみるみる弱り、話すこともできなくなり、最後のあいさつのように目をつぶったまま指でバッテンをしたという。
9月10日、それを聞いて次の日曜に行こうと決めた。
ところが夜になって危ないとなった。
9月11日、金曜の午後、雨の中、取手医師会病院に見舞いに行った。
もう目をつむったままで意識がない。呼びかけても反応はなかった。しばらくいたが意識が戻ることはなく、私は息子一家(彼女の孫にあたる)と一緒に帰った。
妻は夕方千駄木に帰宅したが、虫の知らせか、夜になってふたたび茨城の病院に向かった。
夜中、熟睡中に妻からの電話で起こされた。すわわち日付が変わった12日の0:10、亡くなったという。
12日、土曜。午後妻が帰宅。
聞けば娘3人だけで母を看取ったという。他の人は誰もおらず、故人が最も愛してきた3人だけに送られるというのは最高の最後ではないか。
ミカン(右)も大きくなってきた。
帰宅した妻は睡眠不足なのか、持病のめまいなのかソファでぐったりしている。彼女は私の何千、何万、何億倍も故人との思い出がある。なんせ生まれた瞬間からずっと一緒だったわけだから他人の私に悲しみは理解できるはずはない。
なにも言葉はかけず、ただ夕飯は私が作ることにした。
千駄木産の野菜(枝豆、トマト、ナス、甘長唐辛子)のみそ炒めに、株主優待の冷凍から揚げを解凍した。うまくできだが、彼女はあまり食べなかった。
2026-09-13
保存中に発芽した春ジャガ
13日、日曜、妻と二人、何もせず家でぼーっとしていた。私は他人だし人はみな死ぬものだと思っているから悲しくもない。しかし、6日後に迫ったダンス競技会の練習に行くわけにいかない。小雨があがったすきに庭に出て秋じゃがを植えた。
夕飯は味噌炒めの各野菜の比率が変わっただけで昨日と同じ。庭のスイカをとったが彼女は食べず、梨をむいたら食べた。
14日、月曜、久しぶりの晴れ。午後納棺。
15日、火曜、大雨の午前中に告別式。家族葬だから皆顔見知り。死の数日前に書いて死後発見された「お礼の手紙」が額に入ってあった。たどたどしくも長文であり、苦労して書いたことを思うと涙が出た。写真も飾ってあり、若き日の義母と小学生の3人の娘(文字通り)が一緒の一枚があった。写真の娘たちがその後の各人の娘とそっくりなことに驚いた。遺伝子というのは不思議である。同じようでいて少しずつ違い、全く同じならそれを包む外套まで同じになる。
焼香が終わり、最後に皆で棺に花を入れた。
後から少し大きな花が追加されてきた。前にいた妻を含む3人の娘が入れ始めたとき皆は遠慮して、3人だけが最後のお別れをする形になって、涙を誘っていた。
あらためて祭壇を見る。故人の遺影と供花に添えられた木札の名前。
彼女はこの世から退出したが、3人の子供と8人の孫、7人のひ孫に遺伝子を残した。遺伝子の保護者、中継者として十分な働きをし、悲しむよりたたえるべきものだが、個体である我々は、やはり遺伝子よりその外側の乗り物のほうを大事に思ってしまう。
遺伝子こそが生命の本質で、それが永続するように、乗り物、外套を進化させていくという考え方はリチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」で有名になった。もともとこういう考え方は複数の研究者が述べていたのだが、「利己的な遺伝子」というタイトルや個体を「生存機械」「乗り物 Vihicle]という分かりやすい比喩を使ったことで爆発的に広まった。
原著 The selfish gene が出たのは私が大学2年の1976年。日本語版の初版は1980年。「生物=生存機械論」というタイトルだった。
駒場時代、2年生の終わり、薬学に進学が決まった70人で自己紹介文集を作った。私は代々木オリンピックプールのスケート場に行ったことを書いたのだが、渋谷雅明氏が、利己的な遺伝子のことを書いていた。彼は原著を読んだのだろうか?
名著でありすぎたため、その内容はあちこちで取り上げられたから、かえって読んだような気分になり実際に読んだことのない人が多いのではないか。
私もその一人である。今回近くの図書館にあるかと思って検索したら初版のほか、増補第2版、30周年記念版、40周年記念版があった。「利己的な遺伝子」という原著の直訳タイトルは第2版からである。
借りてきたものの、その分厚さに、読むのを躊躇している。多分読まずに返すだろう。
2026-09-08
もともと生物は自己犠牲によって種族全体を生かすものが多くいる。群れを守るために敵を引きつけるよう鳴く鳥などである。これは、「種や群れの存続(全体の利益)のために進化してきた」というグループ単位の淘汰説で解釈されてきた。しかし、この説には理論的な欠陥があった。もし「種のため」に尽くす個体群の中に、一頭でも「自分だけ生き残ろうとする利己的な個体」が現れると、その利己的な個体のほうが多くの子孫を残すため、あっという間に群れ全体が利己的な個体ばかりになってしまうからだ。
ところが利己的な遺伝子説はこの矛盾がない。同じ群れの仲間を助ける行動は、一見すると自己犠牲的だが、遺伝子の視点で見れば「自分と同じ遺伝子のコピーを増やすための合理的行動」であるからだ。すなわち自然淘汰の単位は「個体」や「群れ」ではなく、「遺伝子」そのものである。
大量に卵を産む魚類なども、遺伝子を残すために犠牲となる個体を余分に作る。これらの仕組みは遺伝子で決まっており、各個体が考えて大量に産むわけではない。
2026-09-08
同じ種(ピノガール)をまいたと思うのだが、縞のある実とない実の2種類ができた。
同じ株にできているのか調べようとしたが、つるがこんがらかっていて分からない。
2026-09-08
板幅は18センチ
縞がない小玉スイカ。
個体が自己犠牲になるのは人類でもみられる。
国民を守ろうとした特攻隊は、社会が強いたもので、個体が内蔵する遺伝子のせいではないだろう。
しかし、子供や孫のために自己犠牲になるのは遺伝子の仕業かもしれない。DNAという物質である遺伝子に意志などあるわけではないのだが、人類全体よりもとくに自分と同じ遺伝子を残すように進化して(仕向けて)いるのかもしれない。他人の私より妻や孫のほうをかわいがる理由は、それで説明がつく。








