2022年7月22日金曜日

生ごみからのジャガイモ収穫

2022‐07‐20 9:40
ジャガイモの収穫は植えてから100日前後という。
台所の生ごみを試しに植えたのが4月13日で発芽が4月29日、今ちょうど100日。
まだ葉っぱが緑で光合成をやっている株もありそうだが、もともとジャガイモは真面目に作る気がなかったので試しに掘ってみる。

思ったより大きなものができている。
種芋(芋を半分に切ったもの)ではなく、台所で捨てた皮とか芽の部分を埋めただけだし、日当たりもよくないから期待していなかった。

しかしこれなら十分育てられる。
ちゃんと種芋を埋めればもっと収量もいいだろう。
妻は今まで使い忘れカビを生やし芽を出させ、私に怒られ、こっそり捨てていた芋もあっただろう。
怒らずにその芋をもらって種にすればいい。
今回もそれに近い芋を捨てさせずに使って出た皮と芽だったし。

ジャガイモの何よりいいのは期間が短いこと。
2月末から3月初めにかけて埋めれば6月初めに収穫できる。
サツマイモの前に作ることができる。

10:05
2つの芋がコガネムシの幼虫に食べられていた。
彼らは自分と比べたら山のように大きな御馳走が突如目の前に現れた。
いつもの腐った葉っぱ、草の根よりも美味しくて大喜びしただろう。
いくら食べてもなくならない。これで一生食べ物を探さずに済む。
と同じ場所で、食べては寝て食べては寝ていたら突然起こされた。
芋のすぐ横にいたから私にすぐ見つけられ、日光酷熱殺処分された。


さて、まだ葉が青いジャガイモを掘ったのは、場所を空けたかったから。
ここに挿し木で増やしたトマトとピーマンを植える。
ナス科は連作を嫌うという。
それも翌年作るのでなく、同じ年に2つ作るから究極の連作である。

トマトは100%発根するが、ピーマンは15本差して4本だけ残った。
しかし枯れてはいないが発根しているかどうかは不明。

ナスは22日までに4株で24個

左はパプリカとシシトウ。いずれも昨年自家採種して種から育てた苗だから発育が遅い。
右はオクラと落花生。これも自家採種

ようやくシシトウも実がついてきた。

07‐21 11:43
この7月22日までにキウリは4株で51本生った。
当然食べきれないが捨てるわけにもいかない。
最近おやつは味噌をつけたキウリ。
子どものころを思い出す。
1日2本ずつ食べている。

2022年7月18日月曜日

ホタテのウロ、サツマイモ植え付け終了


2022‐07‐08 18:56
新鮮なホタテをいただいた。
初めて調理する。

他の貝と比べ貝柱が大きいのは、この生物種のたまたまの特徴なのか、あるいは逃げるときに大きな二枚貝を動かすのに必要で進化したのか、私は知らない。

紐(外套膜)や生殖巣は煮つけなどに使い、ウロ(中腸線、黒い部分)は取り除くように書いてあった。しかしサザエなどは肝として食べるし、もちろんシジミ、アサリ、カキなどは丸ごと食べている。妻の反対を押し切り、私一人で食べることを条件に貝柱以外のものをショウガ、野菜と一緒に炒めた。

貝柱についてネットで調べている途中、ウロは重金属などが濃縮されているので食べないほうが良いと書いてあった。しかし食べてしまった。
ちょうつがい(蝶番)という言葉がある。たしかに昆虫のチョウの羽ばたきを思わせるが、ふつう連想するのはドアなどにある金属製、プラスチック製のものだろう。
ホタテの蝶番は、形といい、黒い光沢といい、生物の組織とは思えないほど、見事に人工的な部品にみえた。

2022‐07‐12 7:21
キウリが豊作。4株植えて6月下旬から7月18日までに34本収穫した。
内訳は夏秋節成種2株が11本、16本、品種不明の2株が4本、3本。
当然食べきれないが、あげる人がいない。

2022‐07‐12 11:40
国道16号、第5ゲート前交差点
US Air Force Yokota Baseと JASDF(自衛隊)横田基地の看板

福生市民会館で高校生対象の薬物乱用防止講演をした。
初めての土地なので終わってから横田基地周辺、国道16号線を歩こうと思った。
しかし話で聞くほどアメリカ的な景色はなさそうで、大雨が降ってきたため、予定変更、散策やめて帰宅した。

2022‐07‐17 8:31
今年はサツマイモを大量に植え付けた。
6月7日から7月11日まで一か月以上にわたり紅あずま26本、シルクスイーツ39本、不明46本。合計なんと111本。
2020年13本、2021年32本だから、今年は異常である。
大量に植えた理由は、桜の大木を切って場所が増えたこともあるが、秋に子どもたちが芋ほりに来てくれてピザパーティをするのが楽しみだから。

しかし、もっと大きな理由は、苗が次々とできてしまうからだ。
千駄木菜園では前年の芋を土に植えて出てきたつるを植える。一般にサツマイモのつるの植え付けは4月末から5月初めだが、自家製苗なので世間より1か月から2か月も遅い。
苗は数本ずつ植えるが、切ると次から次へとつるが伸びてくる。
私の性格上、苗はなかなか捨てられない。
そこで日陰でも、敷石の間でも、将来つるが伸びたら収拾がつかなくなるところまで植えてしまう。支柱を建てて空中につるを伸ばすしかないかも。
条間、株間も教科書より狭く、100本以上植えたとしても一般的なサツマイモ畑のようには収穫できないだろう。

8:36
いま生えている枝豆の株の間にまで植えていたが、さすがに空いている地面がなくなった。
ついに、無限につるを生産している種芋を思い切って抜いた。
もったいないけど捨てよう。
もうこれで土地を探し求めて悩むこともない。

さて、トウモロコシ。
2022‐07‐18 7:11
一番出来がよく熟しているものは来年の種にしようと思い大事においていたが、アリが集まってきて食べている。どうも長持ちしそうもないので収穫した。今年初めて。


2022‐07‐18 8:39
この日の収穫
アリが食っていたトウモロコシの片方は、初めて受粉が十分で粒がそろっていた。

我が家のトウモロコシは毎年生育、受粉が良くないが、予想に反して甘い。
これは粒が少ないため光合成の糖分が集中するためではなかろうかと思っていた。
しかし、この日、粒がびっしり詰まっているものも少ないものも同じように甘かった。
甘さは数年前に買って自家採種を続けている品種によるものと思われた。


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2022年7月15日金曜日

早大歴史館、会津八一博物館

長野の弟が上京、6月19日の日曜、家族と分かれ一人で2,3時間東京見物するというので、付き合うことにした。

東西線早稲田駅に約束の9時より少し早めについたのだが、彼は改札口の前に立って文庫本を読んでいた。なかなか都会ではない風貌。
漱石山房記念館、穴八幡神社のあたりを歩き(別ブログ)、早稲田大学に行く。

穴八幡のある馬場下町交差点から南門通りをはいっていく。
右に早稲田中学、高校、左に早大南門を見ながら進むと、突き当りは大隈講堂のロータリー。バス停がある。

ロータリーの西側に校舎が並び、校舎地区への入り口が正門らしいが、門らしい構築物はない。門柱・門扉を撤去したのは1935年という。
当然守衛さんもおらず、近所の人がベビーカーを押して散歩に入っていける。
きわめてオープンなキャンパスである。
2022-06-19 9:48

ロータリーから正門?を入ってすぐの右手、1号館一階は早稲田大学歴史館(2018~)、左手の2号館一階、二階は会津八一博物館(1998~)となっている。
大学の顔ともいうべき最も目立つ場所の目立つ建物が博物館になり、しかも日曜も一般公開されているのは、早稲田大学の近年の意思を感じる。

早稲田というと、1928年設立の坪内博士記念演劇博物館が有名だが、近年は上記2つの博物館に加え、2021年には1号館と坪内博物館の間、授業に使っていた4号館を隈研吾のモニュメントで飾って改装し国際文学館(村上春樹ライブラリー)もオープンした。
これらすべては大隈講堂の周辺に集まり、日曜日も開館しているというのは、キャンパスそのものをミュージアム化することを目標の一つにしているからである(公式サイトコメント)。
少子化の時代、市民への宣伝、大学のブランド化が大きな理由だろうが、こうしたことは良いことだと思う。

しかしどの博物館も10時開館、すこし間があったため、北門からでて、安部球場跡地にできた国際会議場など見てきた。(別ブログ)

10時になって北門から再び本部キャンパスに入る。
10:05 大隈重信像 朝倉文雄作。
谷中の朝倉彫塑館も早稲田大学同様、いつか行かなくちゃと思っているものの、まだ行ったことがない。
大隈が爆弾を投げられ右足を失ったのは明治22年(1889年)である。

さて、まず、2号館の会津八一記念博物館にいく。
白虎隊生存者のような名前だが、越後の人。故郷新潟市にも記念館がある。1881年8月1日生まれだから八一と名付けられたそうだ。早大教授、美術史家。
この博物館は彼の膨大な東洋古美術コレクションを中核とする。さらに東京大田区山王にあった旧富岡美術館の900余点の美術作品を一括寄贈され、富岡重憲コレクションとして常設展示されている。
10:10
日曜なのに(いや、日曜だから?)誰もいなかった。

この2号館は、震災後の1925年(大正14年)に竣工、1991年に安部球場跡地に中央図書館が開館、移転するまで大学図書館として使用された。早大では2番目に古い鉄筋コンクリート建築で、リニューアルされて1998年博物館としてオープンした。

一階は会津八一と富岡重憲のコレクションが中心。
今は通行止めにした二階に上がる大階段には、横山大観・下村観山合作の《明暗》が掲げられている。二人とも、東京美術学校を排斥されて日本美術院を設立した岡倉天心に従ったメンバーで、谷中と縁が深い。つい先日たまたま狭い路地で二人がいた谷中八軒屋跡の看板を見つけた。

別の階段から二階に上がる。
10:18
かつては書庫だったか閲覧室だったか、大きな部屋は「早稲田建築 草創期の建築家展」をやっていた。今井兼次や伊東忠太(東大退官後に早大教授)のノートや、彼らが関係した有名な建物の模型が多く展示されていた。
「キャンパスと学びの空間」と題し、早稲田キャンパスの変遷がジオラマになっていた。
10:22
上が東。安部球場や神田川、椿山荘の丘が見える

会津八一博物館を出て、1号館の早稲田歴史館にはいる。
1935年、専門部・高等師範部校舎として竣工したが、入って受付のあるロビーは装飾され古さ、暗さはない。ここも無料というのがうれしい。

東大博物館は、剥製や化石標本など所蔵物を適当に一部分だけ抽出して並べているだけだが、ここは建学以来の歩みをきちんとパネルにして展示している。私はこちらのほうが好きだ。
10:28
早稲田大学は大隈によって設立されたことは有名である。

彼は明治11年の大久保利通暗殺の後、伊藤に次ぐ実力者であったが、明治14年に北海道開拓使の国有物払い下げ問題に端を発した政府内抗争に敗れ、参議を罷免された。
野に下った大隈が一緒についてきた官僚の小野梓らと明治15年(1882)10月、都の西北の田舎に設立した東京専門学校が早稲田大学の前身である。つまり彼が順調だったら早稲田はなかった。

大隈は明治21年外務大臣として中央政界に復帰、立憲改進党をひきい、明治31年には総理大臣となった。

ここ東京府南豊島郡早稲田村は大隈重信の別邸があったところで、設立2年後の1884年、彼は本邸を飯田町雉子橋からこの地に移した。

当時の五大法律学校(専修学校・明治法律学校・東京法学校・東京専門学校・英吉利法律学校)の一つであったが、東大を中心としたドイツ流の法学を中心とする学問体系と異なり、イギリス流政治学の教育に重点をおき、政治経済学の構築を目指したため、今も政経学部が早稲田の看板になっている。

校名は当初から早稲田学校とは言われていたが、明治35年(1902)、東京専門学校から「早稲田大学」への改称が認可された。ただし制度上の大学(旧制大学)ではなく、1904年に専門学校令に準拠する高等教育機関(すなわち旧制専門学校)となり、1920年(大正9年)、大学令による正式な大学となった。大学令による私立大学としては慶應と共に我が国最初である。
10:29
先に述べた会津八一のほか、大隈、小野を助けて早稲田建学に尽力した「早稲田四尊」の一人、市島謙吉(千駄木の市島邸はブログに書いた)、「都の西北」を作詞した相馬御風など、早稲田には新潟出身が多いなと以前から思っていた。
ちょうど初期の県別出身者数(創立から1901年までの卒業者数)のパネルがあり、見ると気のせいではなかった。
東京の169人は別格として、新潟は堂々2位の123人。大隈の佐賀も健闘し13位であるが、50人にすぎない。新潟、長野、静岡は100人以上で、京都、大阪や千葉埼玉など関東各県よりはるかに多いのである。
10:34
この日、私は午後から浦和でダンスパーティの手伝いを頼まれていたし、弟は銀座にいた家族と合流して早い時間に長野に戻る予定だったため、早稲田歴史館は3分の1しか見ずに出た。10分間ほど覗いた程度だから、また来よう。
出るとき受付でチラシを手に取ると、「ワセダの漫画家たち」という企画展をやっていたようである。

東海林さだお、園山俊二、やくみつる、わたせせいぞう、福地泡介のほかに長野高校剣道班で一緒だった井浦秀夫先輩の名前があった。
「島耕作」の弘兼憲史で思い出した。「早稲田を出て良かったのは、人に出身校を言うときです。まあ恥ずかしくはないし、東大のように驚かれたり構えられることもない。ちょうどいいんです」といったのは彼ではなかったか?

この後大隈庭園に行ったが日曜のせいか閉まっていた。
かつて学会に来たとき昼食でグランド坂をおりて大隈通りにはいったところの中華料理屋はなかった。同じく学会のときに行った西口の三品食堂は現存するようだが見る時間はなかった。

穴八幡の前の諏訪通から地下鉄西早稲田駅に向かう途中、まだ少し時間はあるというのでサイゼリアに入った。非常に広く、ウィークデーは生協食堂のように早稲田の学生でいっぱいになるんだろうなと思った。


別ブログ


2022年7月13日水曜日

65歳からの職探し7 選挙投票所のアルバイト


私のPCのネット画面は、旅行会社、不動産会社の広告が良くでてくるが、アルバイト募集の広告もある。そのなかに7月10日参議院選挙投票日のアルバイトがあった。

あまり選挙に関心ないが、内部からの景色に興味があったので応募。
A区の選挙管理委員会がW人材派遣会社に補助員の派遣を依頼したようだ。

マニアルが送られてきたが、イメージがわかない。
大きな声では言えないが、選挙は義務ではなくて権利だと思うのであまり行かない。
ただ近年は、投票所(千駄木小学校)がすぐそばなので、庭に出たついでに行くこともある。それでも様子がわからないので下見に期日前投票に行った。鴎外記念本郷図書館の二階。
「期日前」などは特別のことと思ったが簡単だった。いまは全投票の3割近くが「期日前」らしいが、投票期間の長さ、簡単さを思うと納得する。
怪しまれない程度に係の人の動きを見て帰ってきた。

さて、当日7月10日。
6時半集合だから5時半に家を出た。
途中、千駄木小学校にいってみた。
2022‐07‐10 5:30
千駄木小学校
戸が閉まっていて準備状況は分からず、「入り口」「出口」が貼ってある以外、何の変化もなかった。

地下鉄に乗って本日の就業場所の某小学校に到着。
思ったより早くついて、改めて立候補者を見る。
議員数削減だけのワンイシューを訴える候補がいたら入れるのだが。
(NHK党はワンイシューだが、まじめにやらないから残念だ)
6:10
きょろきょろしながら体育館のほうに行くと区の職員らしき人々が働いていた。
アルバイトで来た旨を告げると紅白の横断幕で区切られた一角で待機するよう言われる。
入ると卓球台のような大きなテーブルがあり、乱雑に散らばった書類のほか、真ん中に大量のお菓子が置いてあった。
壁には連絡先やら集計表、注意書きなどさまざまなものが貼ってあり、若い職員がさらにいろんなものを貼り付けていた。

その中の1枚に「本日の男女別有権者数」というのがあった。A区全体で男女合わせて471,496人、この第26投票区は7,428人。それを立って見ていた彼の上司が「えっ、47万もいるの? 区の人口は53万くらいだよ。年寄りが多いんだなぁ」とつぶやかれた。
きけば投票所は区全体で62か所あるらしい。

やがて同じく派遣されてきたアルバイトの女性2人を含め、いろんな人が到着、6時半になって皆そろったらしく、年長の区職員のかた(責任者?)があいさつされた。

8日(金)に安部元首相が殺害され、翌土曜の期日前投票はある投票所で前回の二倍近い投票者が来たため、ひょっとしたら忙しくなるかもしれないという話をされた。

区の職員は全部で8人(うち女性2人)
アルバイト 3人
選挙管理人 1人、選挙立会人3人、警察からの派遣1人
合計 16人

打ち合わせの間、6:35に1番乗りの住民が現れた。
投票開始の7時前には見える範囲で少なくとも5人はいらした。

7時前だか後だか、投票箱をあけて一番乗りの来場者二人と管理人立会人が中が空であることを確認していた。


我々アルバイト3人は名簿班となり、来場者を真っ先に迎え、整理券の本人確認をする係となった。
PCは2台で、15分ずつ交代で休めという。すなわち、30分仕事して15分休憩となる。
PC画面とバーコードリーダーの使い方を教わる。
女性お二人は経験あるらしく全く初めては私のみ。

区の職員8人の仕事は
・会場整理 2人、
・東京都投票用紙交付 2人
・比例区投票用紙交付 2人
・予備 2人
である。
しかし、交付するブースも基本一人だから8人のうち6人はぶらぶらしている。

これは不測の事態に備えるためで、整理券をなくした人や忘れた人に対応したり、介助が必要な来場者に付き添ったりする。
それでも多いと感じるが、大学でのOSCE試験、センター入試、ワクチン接種など失敗が許されないイベントは大目に配置するものだ。失敗を許さない(恐れる)社会は無駄があっても仕方がない。

管理人と立会人はもっと無駄に見える。なんせ4人が長テーブルに並んで座り、何もしないでおしゃべりしながら離れた前方を見てただ座っているだけ。これも規定にあるから仕方がないのだろう。
彼らは区の職員と知り合いらしく「今年はエアコンが入ってよかったですね」と話していることから、何度もこの会場で仕事しているらしい。地域の民生委員とかそういう人がなるときく(ここはどうか知らない)。あとで4人とも整理券をもって我々のところにいらして投票された。

7時から始まった投票は、混乱もなく過ぎていく。
バーコードを読むと有権者情報が出て、名前と性別、年齢を確認する。「○○さんですね」といって整理券に鉛筆でチェックを入れ、「ではあちらに進み、投票用紙を受け取ってください」などというのだが、口が回らずよく噛んだ。いろんな言い回しをしたが、「これをお持ちになって3番にお進みください」と案内するのが一番楽だった。
1分間に4人くらい処理できるから、2台で最大8人ずつ進む。
通勤ラッシュのような集中はなく、行列が少しできてもすぐに解消する。

1時間ごとに職員がいらして投票者を確認、出口にかかげた紙にその時点での投票者数を、前回の数字も併せて記入されていた。
まずこちらが「お次ぎのかたどうぞ」とか「おはようございます」とか挨拶するのだが、それにこたえてくれる人、「ご苦労様です」と仰る方もいる。本人確認するときも「はい、そうです」と言われる人から、ぶすっとしている人までさまざま。

初めに思ったことは、実年齢よりずいぶん若い人、老けている人がいること。
女性に関しては、妻やダンスの関係者、かつての職場の人を思い浮かべ比較したり、男性に関しては自分の風貌を思ったりする。もちろん過去、未来の自分にも思いをはせる。

18歳、19歳の人もいれば、90を超えた人も3人受け付けした。
お一人で私の前に立った93歳の女性には思わず尊敬の気持ちで驚いた表情をしてしまうと、彼女もにっこりした。

昼食は教室棟で、天重が用意されていた。ふたを開けると野菜はなく、海老が2本。てんやの天丼、観光地の天丼はごくたま食べるが、こういう、町の食堂の出前のような天重は数十年ぶり。割りばしの住所を見るとすぐ近くのようだ。同じ値段ならコンビニ弁当のほうが良いが、何十年も慣例となっているのかもしれない。

ちなみに夕食は17時半、発泡スチロール容器に入ったうどんだった。温泉卵1つ、ちくわ天1つがついていた。休憩時間は30分から40分用意されていたが、話す相手もいないので体育館に戻った。

30分ごとにある休憩は体育館隅の紅白横断幕の中に入るのだが、見ず知らずの職員の方々とおしゃべりすることもなく、座っている時間も10分もないので落ち着かなかった。外に出てストレッチなどして早めに名簿確認ブースに戻っていた。

職員の方々は我々と比べ交代の休憩時間が長いため、ほとんどの人は眠っていらした。彼らの会話から、たとえば前回の選挙では昇進試験が近かったらしく、勉強されている職員もいらしたようだ。
目の前のお菓子やお茶も最初に「どうぞご自由にお取りください」と言われたような気もするが、もう一度進められたら食べようと思い遠慮して手を出さなかったら、若い人が多いせいか午後にはなくなった。

名簿確認業務に話を戻すと、ずいぶんいろんな方がいた。
杖を着いて来られる方、車いすで家族に押されている方、突然我々の鉛筆を取り上げて何か書こうとされ家族にたしなめられる方。目の見えない方、代理投票をしてもらう方。ふだん街では見かけられない人々が投票にいらした。

家族連れも多かった。家に置いておけない小さなお子さんを連れてこられる人が多いが、中学生くらいのお子さんを連れてきて選挙、投票の様子を教えている母親もいた。
しかしある男性が若い女性を連れてきた。彼女は男の投票を覗き込んでいたが、どう見ても子供に見えない。投票者以外の大人が会場に入っていいのだろうか?

一度パソコンのシステムがフリーズしたが、再起動したら復帰し、事なきを得た。
ここで投票した区民は2980人ほど。3人で対応したから一人1000人くらい見たことになる。
安部元首相襲撃の影響はなく、前回より良いが前々回より悪いという程度。

終了時刻の20時近くになると、職員が4人真っ暗な外に出られた。ちょうど休憩時間に当たっていたので拝見した。4人のうち責任者らしき人が1秒ごとに音、10秒ごとに音声の出る時計を持っておられ、残り1分になると隣にいた職員が鐘を高く振り上げ大きく鳴らし始めた。このとき一人駆け込んできた人がいた。20時ちょうどになると責任者は2つある校門のほうに「ゲートを閉めてください」と叫び、この日の選挙は終了した。

このあと撤収。
椅子を片付けていたら、背後で声がしたので中央をふりかえると、ずっと座っていらした選挙管理人の方が選挙終了の宣言をされていた。
そのあと全員が競争のように椅子、机、横断幕、養生シート、さまざまな貼り紙、記載台などを片づけ、移動した跳び箱、マットを戻したりして20:45に終了した。毎回同じことをしている前回、前々回と比べ30分も早く、異常に速い片付けだったそうだ。

さて、アルバイトとしての総括である。契約条件を見ると
・就業時間 06:30~15:30
・休憩時間 12:00~13:00
・時給: \1,340/時 
・8時間を超える割増時給 \1,675/時
とある。

選挙終了して後始末はほぼ21時まで仕事はつづいた。
休憩時間がよく分からないので、1時間だけにすると最大値として
 1340*8 + 1675*5.5=19932
ほんとにこんなにくれるのかな?

長時間であったが、いつもより30分早く起きただけだし、夜の帰宅もダンスの練習の日と同じだった。
一方、菜園アドバイザーは午前中だけだが、通勤時間もあるし、農作業は疲れて帰宅するとぐったりして1日潰れる。しかし都の最低賃金にほぼ等しい時給1050円の3時間だから3150円。同じ1日仕事だが賃金に6倍も差がある。選挙アルバイトは高給である。

しかし、また是非やりたいという仕事でもない。
作業は簡単だが特に面白くないし、単発アルバイトは、仲間と親しくなれない。
区の職員の人とは一切私的会話はしなかった。
同じ派遣アルバイトの二人の女性(50代?と70代?)とは仲間意識があったが、休憩時間も別々でほとんど話す機会もなかった。ふっと来場者が途切れた時に交わした会話から、一人は赤羽と志村の間に在住、今度オーストラリアに行かれるというのと、もう一人は墨田区錦糸町在住、元公務員をされていたということが分かったくらい。

でも一度やってみて、よい経験にはなった。
少なくとも投票所に親しみがわいた。

地下鉄おりて家までの暗い帰り道、遅ればせながら参議院の意義について考えた。
議員の資質も、言っていることも衆議院と全く変わらない。存在価値がまったくない。
これなら昔の貴族院のほうがまだ意義はあったのではないか?

むかし読んだ誰かの主張を思い出した。
参議院は都道府県知事47人と日本学術会議から53人出してもらって100人とする。
地方の声、政治を離れたアカデミックな意見が反映され(理想通りなら)、なにより衆議院とは違う人たちの集まりになり、少しは二院制の意義が出る。
「良識の府」という言葉に少しは近づくだろう。

メリットは他にもある。なにより多額の税金がかかる総選挙がいらない。
また選挙がなければ今の国会議員がしている活動の大半はなくなるのではないか?
彼らは支持者の会合にはしごして意味のない挨拶をするのが仕事で、国のことを真剣に考えることもない。 
この選挙なしの100人は国会審議だけがの仕事であり、たいてい他に仕事と給料があるのだから、国会議員としては無給で構わない。
とにかく今の国会議員は税金の無駄そのものだ。

別ブログ

2022年7月8日金曜日

早大・沼正作追悼シンポジウムと安部球場

弟夫婦がこちらで就職した子供たちと会うため1泊2日で上京した。

弟は2日目の朝、6月19日、一人で家族と分かれ都内見物するという。
前日夜、電話で相談し一緒に早稲田を歩くことにした。

東西線早稲田駅で9時に待ち合わせ。
新宿区立漱石山房記念館、穴八幡神社のあたりを歩いた(別ブログ)。

しかし目的地はもちろん早稲田大学。
最後に来たのは1993年1月だから30年も前だ。
ここ数年都内をあちこち散歩しているが、早稲田は後回しにしていた。

理由は、大学に来るなら学生のいる平日が良いからだ。
校舎に入ったり学食でランチしてみたかったが、仕事をしているときは散歩だけのために平日休んでまで来る気は起きず、そのうちチャンスがあるだろうと敢えて目的地からはずしていた。

また、弟の嫁さんが早稲田なので、一緒に来れば昔のキャンパスの話が聞ける。平日で彼女も来る日がベスト、とチャンスを待っていたのだ。

ところがこの日は日曜、しかも彼女はまだホテルで寝ていて、昼は娘とスイーツを食べに行くらしい。女は歴史とか思い出の地とかよりも、現実のグルメのほうがいいのだろうか?

念願の早稲田は、最もつまらない日に来てしまったが、これ以上後回しにしていると行けなくなってしまう。

穴八幡のある馬場下町交差点から、早稲田中学、高校を横目で見ながら南門通りをはいっていく。
2022-06-19 9:45 早大南門
ところで正門ってあるのかな? 

早大南門通りの突き当りは大隈講堂のロータリー。
あまりにもオープンで、正門という門はない。
当然守衛さんもおらず、近所の人がベビーカーを押して散歩に入っていける。
東大のような石段や石畳の道も少なく、バリアフリーのキャンパスである。
グーグルストリートビューの車まで入っていけるというオープンさに驚く。
バス停があった。
千駄木を通って不忍通りを上野まで行くバスはここではなく、大隈会館の向こう、新目白通りから出るらしい。

キャンパス案内図の前で記念写真を撮っている留学生らしき若者と友人がいた。
キャンパスはあまり広くない。
学習院と比べるとグラウンドなど緑地、空き地がほとんどない。それでも慶応の三田よりだいぶ広い。
こうしてみると東大、京大、千葉大、埼玉大、お茶大など国立はなんと恵まれていることだろう。逆に言うと、早稲田はこの敷地であれだけの人気、偏差値を保っているのは大したものだ。公立私立の敷地の格差は中学、高校においても言える。

9:48
ここに来たのは少なくとも3回ある。

1.1977年ころの学生時代、学園祭にきた。ぶらぶら歩いていた女の子二人に声をかけた。日米会話学院の学生だった。女子大の学園祭に行っても歩いているのは男ばかりで、女子学生は模擬店などに忙しい。ナンパするなら女子大よりも早慶のキャンパスのほうが簡単だと知った。
2.1991-12‐17~19 第15回日本神経科学会 
3.1993-01‐14,15 NYアカデミーシンポジウム(沼Memorial)

後述するが、このほかに高田馬場から古本屋を覗きながら一度くらいここまで来たことがあるかもしれない。

ロータリーから入ってすぐの右手、1号館一階は早稲田大学歴史館となっている。
日曜も空いているとは驚き。しかし開館は10時だからまだ少し早い。

建物は古い部分を残しながら高層化させ、伝統と品位を残しつつ、高度利用している。
9:48 1号館の隣、3号館

ロータリーから入ってすぐ左の2号館は会津八一博物館だが、ここも10時から。

それまでに学会で記憶のある国際会議場に行ってみる。
北門から出てグランド坂通りを挟んで向かいにある。
9:56
早稲田大学総合学術情報センター 1991年4月開館

ここに、中央図書館とシンポジウム会場となった国際会議場、井深大記念ホールがある。
入ってみると10時開館の図書館の前に人が並んでいた。日曜というのに早稲田の学生は勉強家だ。

1991年12月の神経科学会はできたばかりの国際会議場と大隈講堂などが会場となった。
学会のことは全く記憶にない。学会とは全く関係なく、公衆電話で三川先生に電話したことだけ覚えている。学位のことで訪問するアポイントを取るためだったと思うが、ずいぶん緊張したことだけ記憶にある。

1993年1月は、京大沼正作先生(1929 - 1992年2月15日)の追悼国際シンポジウム(New York Academy主催)があり、森泰生氏が世界中から称賛された脳のCaチャネルのクローニングについて講演していた。まだ若く、英語の上手い人だなと思った。彼は沼先生が亡くなった後、その年12月にアメリカ、シンシナチ大学の客員助教授となっていた。

この7か月後、私が彼のいるラボに留学するとは、思ってもいなかった。以後、30年近く親しく付き合い、この3月にも京都で会ってきたのだが、当時はステージから遠く離れた客席から雲の上の人を見るようなものだった。

さて現実に戻ると、10時になってぞろぞろ人々が図書館に入っていく。
それとは逆に、我々は博物館に行こうと国際会議場、総合学術情報センターを後にした。
ふと銅像に気づいた。
10:01
そう、ここには安部球場があったのだ。

銅像は野球場の建設について大隈重信を説得した初代野球部長安部磯雄と初代監督飛田穂洲である。この2体は取り壊す前の球場のセンター後方にあった。

早大野球部は1901(明治34)年創部、球場は翌1902年に完成、最初は当然のことながら安部球場ではなく戸塚球場といった。当時はプロ野球もなく、慶應の三田綱町球場とともに東京の代表的な野球場だった。神宮ができるまでは六大学野球も行われ、1933年には日本で初めてナイター設備が完成、1936年には日本職業野球連盟結成記念大会がラジオ中継された(わが国最初のプロ野球中継)。

1987年11月の「サヨナラ安部球場」全早慶戦をもって球場は閉鎖、野球部の練習場は東伏見に移転した。1989年スタンドの取り壊しが始まり、1991年4月に総合学術情報センターがオープンした。
グランド坂通りに工事のフェンスがあったことを覚えている。
いつだったか不明だが、それは前述の3回ではないことが明らか。つまり、89年か90年に来ている。何の用だったか、それこそ散策だったのだろう。

フェンスの向こう側は見たことがなかった。
幸い昔の航空写真がある。
国土地理院 1984-10-31撮影
ホームベースは南側。
穴八幡や國枝卓氏のいらした甘泉園住宅も見える。

こうしてみると、安部球場という名前や歴史は立派だが、今の野球場とはだいぶ違う。予想に反して観客席があまりない。球場全体は四角形であり、外野フェンスは円弧になっておらず、センターが角になっている。
拡大すれば、そのセンターの角に木が見える。
碑文によれば、ここに銅像が立っていたのだろう。

(続く)

2022年7月6日水曜日

ピーマン挿し木、トウモロコシの雌雄同穂

東京都心は、6月24日に真夏日となり、翌6月25日から7月3日まで35度以上の猛暑日が9日間続いた。
1875(明治8)年赤坂葵町(現在のホテルオークラのあたり)に日本初の気象台、東京気象台ができて以来、史上最長という。
(今までは2015年7月31日〜8月7日の8日連続)。
これが6月というから夏本番が思いやられたが、台風4号のおかげで暑さが一時和らいだ。

そんな猛暑の中、ピーマンを挿し木した。
シシトウとパプリカは昨年自家採種したが、ピーマンは作らなかったので種がない。
苗も買わなかった。
そこでパート先でピーマンの脇芽をとって捨てるところをもらってきて挿し木した。
数年前、越冬用で秋に挿し木をしたことがある。
2022‐07‐03 10:42
上の鉢は左からイチジク、ピーマン(一次)、サツマイモ発根処理中)
下のプランターがピーマン二次、14本

挿し木は本来は梅雨時にする。
しかし記録的に早い梅雨明けと猛暑でうまく根付かなかった。
直に地中に埋めるより,水上げすなわち水を張った容器で2,3日置いたほうが良いことをサツマイモで実感したため、ピーマンも室内に3日おいてプランターに植えた。
すなわち6月25日に挿し穂を取り、水につけて28日に土に移した。
14本のうち、4本が生き残っている。
2022‐07‐06 9:15
実生のシシトウ、パプリカは信じられないほど発育が悪い。

来年、ナス科は挿し木にしようかな。
市販の苗の脇芽から刺し穂をとるから、苗よりは遅いけど、実生より早いかもしれない。
少なくともトマト、ピーマンはパート先で脇芽が大量に出るから試す価値はある。

2022‐07‐03 14:21
この日の収穫
いつもの年ならここにキャベツが加わるのだが。
この日でナスは6個目、キウリは13本目。
枝豆は二回目。

2022‐07‐05 6:58
トウモロコシも大きくなってきた。

ここでトウモロコシ栽培歴を書いておく
2018 ビバホーム苗2本
2019 長野苗2本、ビバホーム苗2本
トウモロコシはある程度まとめて植えないと受粉がうまくいかない。しかし苗を多数買うのは高額になるので前年自家採取した種をまくことにする。
2020 ハクビシンにやられる
2021 生育不十分
2020 さて、どうなるか?

ふと奇妙な株を発見
茎の頂上に雄花が出たが、なかに丸い粒がいくつかある。
ウィルスにでも感染し水疱ができたのかと思ったら、雌花とおなじ髭が伸びている。
どうも雄花と雌花がまじった穂のようだ。
30本のうち、他にも雄花と雌花がまじった株があり、2本とも発育が不十分な株であった。
初めて見た。こんなことがあるのだろうか?

雄蕊の残骸とわずかばかりの実


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2022年7月5日火曜日

キャベツのコナガ被害、ヒキガエルの糞

2022-07-01 5:54
今はキャベツの収穫時期。しかしコナガが防虫ネットの中で飛んでいる。
6月14日にベニカで消毒した。



5:54
20株植えて、4玉を家で食べ、2玉を人にあげて、14株を廃棄した。
来年はやめようかな。

6:03
朝日がさす。
桜を切ってこの畝も日当たりが良くなった。
キャベツ以外のものを考えよう。

キャベツの場所が予定より早く空いたので、サツマイモを植えようかな。
千駄木菜園ではイモの苗を自分で作っているから世間より植え付けが遅い。

私は野菜を収穫して食べるより、植えて育てるほうが好きだ。
だから廃棄する悲しみより、土地が空いた喜びのほうが大きい。
キャベツが虫でダメになったことは悪いことばかりではない。

話は変わる。
2022‐07‐02 6:55
家のドアを開けたら落とし物。
ボールペンではないよ。ペンは大きさ比較のために置いたもの。

ひと月前に見た時はネコの糞だと思ったのだが、臭いはネコより薄い。
ネコやヒトは、アンモニア、スカトールなどインドール系のきつい臭いがするが、これはドブ川のメタンのようなにおいがする。色は黒い。

一番の違いは中に未消化の虫の死骸が見えることだ。
どう考えてもネコではない。
ネコなら穴を掘ったり砂を掛けたりする。

ふとこのあたりに江戸の昔から生息するヒキガエルが思い浮かんだ。
昼は潜んでいるが毎晩庭を歩き回っている。
しかし、カエルにしては大きすぎないか?
金魚の糞のようにもっと細長いか、どろどろして形がないものかと思っていたが、しっかりうんこの形をしている。
ネットで検索したら、このくらいの大きさだった。間違いない。
今年はもう4,5回見ている。
数日前に踏みそうになったもの
猛暑が続いて雨が降らないからそのまま残っていた。
食べた虫がはっきり分かる。
カメムシか小さな甲虫類のようだ。
容器に入れて水にそっと溶かし、顕微鏡観察すれば、もっとちゃんとした報告ができるのだが、やる気が起きない。定年退職したから時間があるはずなのだが、面倒だ。
2022‐07‐05 6:16
その糞の持ち主がいた。こちらを見ている。
桜の大木と周囲の藪という隠れる場所がなくなったせいか、よく目にするようになった。
少なくとも2匹はいる。

キャベツもどうせネットの中に成虫が乱舞しているのだから、ネットを外してしまったほうが良かったか。そうすればヒキガエルがコナガを食べてくれたかな?


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