2018年9月10日月曜日

駒込村名主 高木家

庄屋は西日本、名主は東日本で使われるそうな。

家から650メートルだが、駒込病院の裏、天祖神社の境内を通るともっと近く感じる。
2013年千駄木に引っ越して以来、客人との散策で何回か案内した。

この日、家で仕事して昼になってしまう。
ランチを食べに江戸金へ行く途中、ちょっと立ち寄った。
宝永というのは1704年から1711年まで

2018-09-06
近づくと、いつもは見ない貼り紙が。
えっ、入れるの?

今まで見学会の案内をネットで何回か見たが、都合つかず、門内に入るのは6年目にして初めて。
木戸をくぐるとすぐ左(西側)に比較的新しい住居。
しかしひと気はあまり感じられず。
そのまま進んで門の裏に立つ。
傷みが目立つ。
高木家は明治以降、どうだったのだろう?
羽振りが良かったとは思えない。
江戸期をピークに衰退一路であったか?
右(東側)、明治の洋風の建物をみると、良い時代もあったようだ。
今は住まわれていないみたい。


式台付きの玄関
今の住宅、式台は家の中にあるが、昔はここから籠に乗るよう、軒の下ではあるが、家の外にあった。


舗装道路に戻り、塀の外から土蔵を望む。

ご子孫は母屋の西、北に住まわれているようだ。
道路に面した一角に高木という表札が二軒確認できたが、周りの家より小さかった。
古くて広い建物を維持することは、相当なご負担であろう。
安易に切り売りされないことに、感謝しなくてはならない。

後日、江戸時代の地図に高木家を探してみた。
尾張屋版江戸切絵図にはなく、手軽に見れて一番詳しい御府内場末往還其外沿革圖書(国会図書館)にもなかった。
武家だとどんなに小さくとも乗っているが、町家は載せなかったようだ。
左上の大きな赤は吉祥寺。その下が鷹匠屋敷(現駒込病院)、右上に岩槻街道(本郷通)と富士神社が見える。
左下赤の神明宮の右、「下駒込村」とあるところが、高木家の場所。

東京市及接続郡部地籍地図. 上卷
1912の地図にもやはり高木家は書いていない。
江戸時代に高木家の敷地であったはずの一角(富士神社からくる今もある道沿い)に駒込警察署があったことを発見した(今は民家)。


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