1/20、日暮里のダンス練習場が休みなので
代官山のダンスパーティで踊ることにした。
同潤会アパートの跡地を再開発した、代官山アドレスという複合施設にある。
2019-01-20
36階建てマンションのザ・タワー、商業施設ディセ、ピーコックなどがある。区のスポーツ施設はザ・タワーの東、半地下?部分にあり、温水プールは大人400円。
タワーマンションは、公共施設を併設することで容積率の緩和を勝ち取った。
正面が代官山スポーツプラザ。
パーティは600円。
私も老人だが、もっと年取った人ばかり。
話を聞くと笹塚とか都立大とか、城西、近辺の人で、千駄木からというと「まあ」と驚かれた。
更衣室のロッカーも大きく、シャワー室もきれい。
渋谷区は金持ち。
23区というのは面白いように千差万別。
・・・・
同潤会アパートは、震災後に東京横浜で16か所に建てられた。
重厚な鉄筋コンクリートづくり。
1980年代になると設備が古くなったことや狭さ、老朽化のため順次、建て替えが進められた。
歴史的建築物として、代官山・青山・大塚女子・江戸川などでは保存運動も起こった。しかし、立地条件が良い場所が多く、高層化することにより個人負担なしで建て替え可能なこともあり、住民が建て替えを希望した。
代官山は、原宿表参道(2003)、上野下(2013)、日暮里(1999)などに先立ち、1996年に解体。代官山アドレスは2000年8月に開業した。
この日は何も見ずに帰ってしまったが、翌週、1月27日に朝倉家住宅(→別ブログ)に来たついでにまた立ち寄った。
ザ・タワーの下を通ったら、壁に昔の写真が展示されていた。
大正14年、関東大震災によって大破した青山女学院の跡地に着工され、昭和2年~3年にかけて36棟の建物が完成。
敷地面積は5,976坪、25%という建ぺい率から豊富な緑を持ち、敷地の起伏を生かした傾斜地に2階建てと3階建ての鉄筋コンクリート造りのアパート、公衆浴場、食堂などが配置されていた。(wiki)
おしゃれだと思うのだが。
住んでいた人は今時の便利なマンションみたいなものを希望された。
荒れているのは、建て替え前の立ち退いた後だろうか。
同じく震災後に建てられた駒場寮に似ていて、少し懐かしい。
その半数近くは地権者用となり、残りの200戸が1999年夏から分譲された。
1980年代、バブル以前の代官山は鄙びた場所だったようだ。
確かに昭和50年代、代官山は、東横線の急行の止まらない駅という認識しかなかった。
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