11:00~12:30、13:30~15:00、
15分前から整理券配布
とある。
区役所に電話してみると、午前午後とも1回30分で3回ずつ。
年3回ある催しだが、今回は大使館の人も招待しているというので、早めに出かけた。
10:10恵比寿駅着
めったに来ないおしゃれな場所に2週続けてきた。
10:20すぎに朝倉家住宅着。
入場料100円だが、60歳以上は無料。
きれいな庭へ回って建物を見たかったが、整理券をもらうのが先決と、中に入る。
広間に行くとすでに皆さん座って並んでいらっしゃる。
老若、ほとんど女性。
どんどん人が入ってきて
10:45に午前の整理券を配り始めるときは60人近く。
渋谷区の職員だろうか、列の整理や説明も丁寧で客も行儀が良い。
茶会は1回につき20人ずつ。
私は10:25に来て15番目くらいだったから11:00からの第一回目をゲット。
安心して時間まで少し見物した。
二階に上がってみる。
階段も普通の家より広い。手すりにも細かな意匠。
二階は他に6畳が2部屋とトイレがある。
昔は木々の間から目黒川、その先の田園、連山、富士が見えたことだろう。
降りてくると、皆さん控え室(杉の間、奥、床の間入れて10畳)にいらした。
そこで荷物を置いてふすまを開けて南の杉之間(表)に移る。
床の間をいれて12畳、南と西が障子、ガラスの部分から庭が見える。
袴の男の人が湯釜のそばにいらして(亭主?)、20人は1畳に4人ずつぐるりとコの字型に並んですわる。
年配の女性が入ってこられ、20番目にいた私の横に座り、ご挨拶をされた。床の間に向かって右の一番前(左)に座られた方が答えられたりして、ああ、これが正客というものか、とすると末席の私はお詰めになる。全くの初心者でちょっと不安・・・
お茶会は何回か、例えばこの秋も学園祭で茶道部のお茶会に出たが、毎回初心者対象、「堅苦しく考えず、気楽に楽しんでください」と言われ、膝を崩し和菓子を食べてお茶を頂くだけ、全く知識がない。
5人ほどの女性が隣の部屋からお菓子を一つずつ運んでいらした。甘さ控えめでおいしい。京都・老松の御所車という。
周りは食べ終わると敷かれていた和紙をたたんでしまっている。お皿のように前に置きっぱなしだった私もそれに従う。
裏千家といわれる彼女(席主?)による掛け軸、花、道具などの説明があるも私にはよくわからず。
正客と次客はこの部屋で点てられ、茶碗も特別。
他の客は隣の部屋で点てられたものが供された。
様子を見ていると、持ってきてくださった人にあいさつした後、すぐ飲んではいけなくて、次の人との間に置いて「お先に」というようなしぐさをしてから手に取っている。
こんなことも知らないで来てしまった。
彼らは、飲み終わると肘をついて器の裏を見たり、隣の方と話をされたり。
私はすぐ隣の席主の話に黙って頷いてたまに目が合ってほほ笑むだけ。
皆飲み終わってから正客次客の器が浄められてまた出てきて、それらや棗という茶器を皆で触ってみたりして30分はあっという間に終わった。
そのあとは邸内の見物。
敷地面積は5419平米
大正8年建築の母屋が573平米、他に土蔵と車庫。
朝倉家に関しては略。(ネットにもある)
旧山手通り沿いのヒルサイドテラスや猿楽塚、通りの向こう側の棟もすべて朝倉家の敷地であったようだ。
表と裏の間の廊下。
北側に台所など生活空間が集まっている。
中庭も大きい。
土蔵に行く渡り廊下が右奥に見えた。
ガラスは手延べの時代だから平らでなく、昔の金魚鉢のように厚くて景色が少しにじむ。
玄関わきの洋間
家族用の内玄関。
北向きで、表を通らずに食堂や私室に行ける。
本玄関は撮り忘れた。
トイレットペーパーのホルダーとか、手洗い鉢の石鹸置き場とか、細かいところにも意匠が施されている。
外に出た。
崖線にあるから高低差が激しい。
置かれている石も大きくて立派。
先ほど茶を振舞われた杉之間を外から見る。
西の端は蔵になっている。
これを建てたときの当主、朝倉虎治郎は養子に入る前、材木店で働いている。その経験を活かし、最高の材料を選んだ。
戦後の困難期に中央馬事会に売却され、さらに農林省のものとなって、昭和39年から経済企画庁の渋谷会議所として使われた。
さすがにこれだけのものは壊してマンションにはできないだろう。
現在、所有者は文科省(文化庁)、管理者が渋谷区である。
先月行った横山大観記念館は、ここと比べればずっとずっと小さいが入館料800円、それでも維持は難しそうだ。千駄木の安田楠雄邸も、建物応援団が維持に苦労している。
朝倉邸は国と区がついているから安心だが、なるほどそれだけの芸術性がある。
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