2020年11月17日火曜日

歌舞伎座の無料見学部分

銀座にクレープを食べに来て少し歩いた。
和光、三越のある4丁目交差点から晴海通りを東へ。
歌舞伎座があった。
2020-11-09
何回も前を通っているが入ったことはない。
今日は何も用がないのでちょっと覗いてみた。

入ってすぐに小さな売店。
みんな食べる緑赤黒の袋、天乃屋の歌舞伎揚げは見つからなかった。

地下に行くエスカレーターがあった。
せっかくの散歩、探検だから下りてみる。

広いお土産売り場にいろんなグッズ。

入場料は3000円から8000円。
一度くらい見なくちゃいけないと思うが、今日はその気にならない。
コロナ禍のせいか4階席で気軽にみれる一幕見席(1000~1500円?)のチケットはなかった。

5階に歌舞伎座ギャラリーというのがある。
入場600円。資料館のようなものかな?
コロナで休館
同じ5階に屋上庭園があり、無料開放されているみたいなのでエレベーターであがってみた。
歌舞伎座タワーは29階建て。
2013年竣工。7階以上が賃貸しオフィスになっている。
庭園はちょうど歌舞伎座の瓦屋根の上になる。

庭園から外階段で4階に降りられる。

降りてみたが誰もいなくてよく分からない。
裏口のようなドアがあってカギがかかっていなかった。

中に入ると回廊になっていて歌舞伎役者のパネルが並ぶ

よく見れば亡くなった人だけ順に飾ってある。
中村勘三郎は最後から2枚目。
2012年私より1年上で57歳で亡くなった。
ちょうど転職と千駄木への引っ越しを前に忙しかったころだ。

パネルには知っている人と知らない人。
しかし、みんな名前が変わるから、名前と顔が一致していない。
変わるだけでなく、似たような名跡を襲名していくから、ますます覚えられない。

面白いのは顔がそっくりな人が多いこと。
知らないはずの人がいま半沢直樹などテレビで出ていたりする。

世の中、親子で似ているといっても普通、子供の顔と親の顔で比較する。
しかしここでは死ぬ前の最盛期のころの顔が出ているからほぼ同じ年齢で比較できる。
遺伝子というのはこれほど忠実に再現するものか、と感心するほど似ている。
家系図を作り、そこに母親も併せて顔写真を貼り付けていったら面白いだろう。

週刊現代https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52285?page=4 から


歌舞伎座の建物模型が展示されている。

初代は明治22年。
それまで歌舞伎の劇場は新富座・中村座・市村座・千歳座といった地名、個人名などの名前であったのが、福地源一郎らは普通名詞のような大それた名前で銀座木挽町に開設した。
シャンデリアもある最新設備、最大の劇場で、人気俳優の演じる新しい脚本で歌舞伎の殿堂となった。

第二期の建物は明治44年から。外観は洋風から和風に戻す。
大正2年には松竹に買収された。
大正10年火災で焼失。ん? 関東大震災は大正12年。火災は漏電だった。

第三期は震災後の大正13年に竣工。空襲で焼失。

戦後しばらくは廃墟のままであり、新宿移転の話も出たが(歌舞伎町の名前だけ残る)昭和25年、現地で再建された。
左が1950年竣工の第四期歌舞伎座

老朽化と一等地の高度利用のため、2010年閉場、2013年第五期歌舞伎座(タワー)が竣工した。今松竹は新橋演舞場、京都南座も経営している。

もう一度正面に回ってぱちり。

エレベーターで1階に降りると晴海通りの歌舞伎座正面ではなく、西側の通りだった。
南側が劇場という構造を考えたらあたりまえであるが。

こんど一度くらい歌舞伎を見てみようかな、という気分になる建物見学だった。

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