2020年11月23日月曜日

日比谷図書館と公会堂、市政会館

11月9日、銀座から日比谷公園に来た。
2020-11-09
南のほうに三角形の日比谷図書館がある。
2代目の建物として1957年竣工。

以前広尾(港区南麻布)の都立中央図書館のブログで書いたが、ここはただの図書館でなく、2009年まで都立図書館だった。

1908(明41)年、東京市立日比谷図書館として開館。
当時、市では15区全部に図書館を作る計画で、翌1909年には深川図書館、1910年に本郷図書館も開館(1962に千駄木、観潮楼あとに移転してきた)した。

1914年(大3)には、ここの日比谷図書館が市内19館を管理し一体的に運営する体制となる。

1943年、戦時中に東京府と東京市が廃止され東京都ができ、27館あったすべての公立図書館は都立図書館に移行、このとき日比谷が中央図書館に指定された。1945年5月の空襲で20万冊とともに焼失。

1950、日比谷を除く23区の都立図書館はそれぞれの区へ移管され、都立は日比谷、立川、青梅の3館だけのこる。(八王子、武蔵野などは市立、町立)

このころから都立図書館と区立、市立図書館との役割分担や協力関係の模索が始まり、老朽化、手狭な日比谷の代わりとなる新図書館が構想された。

1973、都立中央図書館が、有栖川宮記念公園内の都立教育研究所移転の跡地で開館、日比谷図書館から多くの蔵書を移動した。

1987、都立八王子・立川・青梅が合併、都立多摩図書館となり、この時点で都立は日比谷・中央・多摩の3館。(1976都立江東図書館ができるも1986区立に移管)

2009、日比谷が千代田区に移管され、都立はいまの中央と多摩(立川から西国分寺に移転)の2館になった。
入ると1階は千代田区の常設歴史館になっており、
だから正式名は千代田区立日比谷図書文化館という。
縄文時代から江戸、明治まで、千代田区こそが東京というのが良く分かる。
各区が発行している分厚い区史も、千代田区が圧倒的に面白い。資料の価値は自分の知識、興味によって決まり、資料数、展示数によるものではない。だから資料の古さ、数よりもそこにこめられたエピソードに価値があり、歴史は無形の財産とである。

千代田区イコール江戸
いろいろ自治体が運営する無料の資料館としては面白いほうだ。
文京ふるさと歴史館のほうが展示は多いが、あちらは100円。
港区(旧国立衛生院)は300円。
千代田区は九段の昭和館(国立)もある。

蔵書の多くが中央図書館に移り、空いたスペースは歴史館のほか、1階に喫茶、地階に食堂がある。パスタなど安いが営業時間が短い。
1階の別の展示室では荒俣宏のガラクタ漫画展をやっていた。

地形ジオラマに千駄木を探す。

4階には江戸時代~昭和戦前期に発行された約20,000冊の古書がある特別研究室があるらしい。
2階、3階は普通の図書館。

2020-11-09
閲覧室は日比谷公園の緑を見下ろし、おしゃれな空間。
やはりここは近所の区立図書館と違う。

図書館は公園の南の端にあり、隣に日比谷公会堂

2020-11-09
公会堂正面玄関は公園側、北に面している。
閉鎖されているのか、落ち葉がたまっていた。
長期休館中らしい。
渋谷公会堂、浅草公会堂、日比谷公会堂、杉並公会堂、いい響きだ。
他の区はシビックホール、文化センターなんて名前になってしまった。

横の階段が入り口だろうか?
催し物で入ったことがないので分からない。
かつては都内随一のコンサートホールだったが、東京文化会館、NHKホールなどできて地位は低下した。政治演説会なども開かれ、1960年浅沼稲次郎の暗殺事件はここである。

1929年、安田善次郎の寄付で市政会館と同じ建物として竣工。
設計は佐藤功一(1925年の安田講堂は内田祥三)
公園南側の国会通り側に回ると、市政会館の正面玄関。
1920年12月に東京市長に就任した後藤新平は東京市政調査会を設立、それに賛同した安田が寄付して建てたから、公会堂よりこちらが本質。
東京市政調査会はのち後藤・安田記念東京都市研究所となり、現在も管理している。
中に入ると、いろんな事務所が入居している。
地方公共団体から私立の法律、税理事務所までさまざま。

2020-11-09
天井は低く、エントランスの大ホールのようなものはない。

通りの向こうは日本プレスセンタービル。
ちょうど図書館の向かいになる。
日比谷図書館も三角ではなく、初代のアールヌーボー様式で再建してほしかった。

千代田区というのは公園を見ても、図書館、公会堂を見ても自治体という気がしない。
江戸東京のそのもの。国家直轄地でもいいくらい。


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