2021年5月29日土曜日

ワクチンと大手町合同庁舎、気象庁

今年65歳になるので一番若い高齢者として先行接種の枠に入った。

接種会場は大手町合同庁舎3号館。
地下鉄大手町駅は複雑だから「C2b出口から出てください」とテレビで連日呼びかける。
不安で下見に来る高齢者もいる中、当局は迷わせまいと改札から案内する係員を何人も立たせているようだ。

なるほど地下鉄大手町は出口が43もある。

大手町は千駄木からまっすぐ4つ目、8分だが、私はへそ曲がりだから神田から歩くことにした。年寄りの冷や水ではなく、以前歩いた日本橋川の続き(別ブログ)を見たかったのである。

千駄木から東の西日暮里までいき神田まで6駅11分。さらに大手町までビル街を西に歩くから四角形の1辺を行くのに3辺を使う遠回り。

2021‐05‐29 8:09 
神田駅の西口に出たら、なんとこんなところにもワクチン会場を案内する人がポツンと立っていらした。東京駅ならわからなくもないが、老人は偏屈が多いからと、神田駅にも派遣されたのか。
私はさらに偏屈だから東口に行った。

日銀前の常盤橋が今月修復が終わり渡れるようになったというので見る。
渋沢栄一像など見てから日本橋川を西に歩く。

8:28 鎌倉橋
日本橋川の遊歩道をさかのぼる。
土曜の朝はほとんど人がいない。

8:34 神田橋 南詰
大手町合同庁舎3号館の前に来たけど日比谷通りが渡れない。
地下鉄出口のほうの信号まで遠回りする。
8:38 到着

文京区はだいぶ前、4月に接種券は来ており、順天堂大学など南部の会場は月末に予約が始まったのだが、千駄木の本郷保健所で受ける場合、予約開始日が未定だった。
5月の連休を過ぎて文京区のサイトをみても千駄木のほうは依然予約開始日は発表されない。そのうち、すっかり忘れてしまった。

5月17日夜、テレビで大規模接種センターの予約が始まったと報じていたので、文京区はどうなったかと区のサイトを見ると、なんと、私の知らないうちに5/14に千駄木会場も予約を開始していて既に受け付けは終了していた。
失敗。
予約開始の連絡が来るわけではないからこまめに区のサイトをチェックするべきだった。

さらにテレビを見ていたら、この日、大阪は開始26分で受付終了。東京は開始45分で枠の4割が埋まったが夕方でも7割くらい、まだ空きがあるという。

千駄木で次回の予約開始日を待っているとまた忘れそうなので、大手町に行ってみようかな。と大規模センターの予約サイトに行ったら5月29日土曜朝9:00ですんなり取れた。

8:39
もう出てくる人がいる。8時からやっているのかな?
9時までまだ時間があるので周辺を散歩しようとしたが、係員がこちらです、こちらです、とあちこちで呼びかけられ、勝手に動き回れない。

8:41
親の付き添いできた人だろうか、外のベンチに娘さんらしき人々。
中まで入る付き添い人は首から判別票をかけるようだ。

9時には早いが私も中に入ることにした。
Tシャツの上に長袖で来て、注射の直前に半袖になればいいと思ったが、年寄りは準備が早い。半袖の人が多いので人目を気にしてここでTシャツになる。
8:44
受付はプレハブのような建物に誘導され、手の消毒、体温測定。
さらに進むと手荷物検査、スタッフはリックに触れないから自分で中を大きく開いて見せる。
免許証で身元チェック、
接種票は確認されてファイルに入れて返してもらう。
ファイルの色は4種。私は緑。

スタッフが非常に多い。親切だが多すぎて密状態。
自衛隊の設営部隊が作ったのだろう、仮設とは思えないほどしっかりした建物だが天井が低いから、何レーンもある受付のやり取りの声が一緒になってうるさい。
声も自然と大きくなる。年寄りは耳が遠いからスタッフの声も6日目で大きくなっているだろう。

「緑の人はこちらです」とどんどん誘導される。
周りを観察する暇もない。
進むと待合のイスが色ごとに大量に整然と並んでいるが、誰も座っていなくて脇を素通り、プレハブから出て庁舎に入る。再度消毒。
エレベーターホールの手前ロビーに色別でまたイスの列。
初めて座るもすぐエレベーターに誘導された。

何もない場所でも数メートル間隔にスタッフが立ち、常に誘導されるので立ち止まれず写真も撮れず。
(後で撮影禁止というのが分かった。)

緑は2階。
部屋へ入るのに三度目の消毒。意味あるのかな?とは思うが大勢のスタッフに見られているのでアルコール噴霧器のペダルを踏む。
座ると書いてきた予診票の確認でスタッフが一つ一つ質問していく。
このあと、さらに次のコーナーは医師による予診で、再び同じ質問を繰り返される。うなづくのが面倒なほどのダブルチェック、後で批判されないよう日本らしい丁寧さ。
糖尿病とか高血圧とか書いてあっても結局ワクチン注射するんでしょ?と偏屈老人は思う。諸外国はスピード優先でもっとがむしゃらに打ったのではあるまいか? 日本人は批判を恐れなんでも慎重、完璧を期す。

接種は緑だけで7レーン、接種は打つ人、袖を持つ人、注射筒を渡す人、と3人がかり。
さっと終わり隣のコーナーで証明書交付。ここで8:55
職場の健康診断より速いどころか、立ち止まる隙さえ与えられなかった。
お知らせビデオをみながら15分の経過観察で初めてのんびり、9:10には出口まで誘導されて退出した。

さて、どうやって帰ろうか。
9:16 大手町合同庁舎三号館
二階の接種会場が見えた。
3号館というが1号館、2号館はない。

9:19 
接種会場の西隣は気象庁。
1997年11月6日、ここに来た。
第12回「大学と科学」公開シンポジウム「神経難病への挑戦」が日経ホールであった。
昼休みに一人、気象庁を探検し職員食堂で昼食を取った。
セキュリティなどうるさくなかった時代である。

9:21
フェンスに囲まれているのは
2020年12月7日、気象庁が虎ノ門に移転したからである。

東京駅への無料送迎バスがこの前から出ていた。
もちろんスタッフが丁寧に誘導していた。
スタッフはどう見ても素人主婦のような人から私のような老人までいろいろいて、自衛隊の人は誰だか分らなかった。
旧気象庁 正面
竹橋方面からきた人はここから合同庁舎3号館(後方)に誘導されていた。

旧気象庁の南は東京消防庁。
大手町だから行政機関だと思ったら、消防署と同じようにちょうど消火訓練をやっていた。
まあ、ビル街でも火事はある。
消防庁の東隣は日経本社ビル。

3‐5階が日経ホールという。
1997年のシンポジウム会場、日経ホールはこんな感じじゃなかった。
当時の地図を見てみる。

1995
消防庁の隣、今の日経本社の場所は合同庁舎一号館、その東に二号館と並んでいる。

日経ホールどころか日経本社ビルもここではなかった。
調べたら当時の日経ホールは大手町1-9-5 日本経済新聞社8F、すなわち1ブロック東の鎌倉橋のほうにあった。そういえばエレベータが混んでいたから8階から階段を下りたような気もする。

大手町の合同庁舎は、陸軍軍馬局があった国有地に1号館から順に1962、1966、1971年竣工した。関東地方や東京都を管轄する地方支局などが入居したが、2000年、多くがさいたま新都心に移転、1号館、2号館が取り壊され跡地が再開発された。

いま西から日本経済新聞社東京本社ビル・JAビル・経団連会館が並ぶ。
残った3号館に入居していた部局も多くが移転、ほとんど空室だったことが大規模接種会場となった理由である。

1997年11月6日、東京の地形に興味を持っていた私は、気象庁の食堂で食事したあと、国土地理院にいった。いま調べると合同庁舎1号館にあった国土地理院関東地方測量部のようである。

今は東京の地形、色分けされた地形図がネットで簡単に見えるが、当時はそうでなかった。
建物が立て込む前、明治10年ごろの地図を広げ途切れている等高線を色鉛筆でなぞったものだった。

ふらっと庁舎に入り
「等高線が分かる地図はありませんか?」
ときくと、水害を予測するときに使うものか、大きな地図を見せてくれた。
しかしコピーが数百円もする。
白黒ならただで複写してあげるというのでお願いした。
その後、タモリの暗渠、東京スリバチ学会など地形ブームが起き、やがて国土地理院が地形図を無料ネット公開するまで10年以上、そのコピー1枚は私の一番大切な紙だった。

関東地方測量部は2000年11月、合同庁舎1号館から九段第2合同庁舎へ移転した。
ちなみに国土地理院は1979年目黒東山庁舎からつくばに移転している。

・・・・
この日は大手町から日本橋川(平川)にそって後楽園まで歩いた。
南北線だと後楽園から2駅だが本駒込から7,8分歩く。
疲れていたのでコミニティバスに乗った。
ラクーアから24分かかるけど家の前まで行く。100円だし。

帰宅してから腕がだんだん痛くなり、この日夜の練習は中止をお願いした。

もらったパンフレットを見れば痛みなど注射部位の症状は9割の人に出るらしい。
発熱などの全身症状は5割、2回目接種後だと8割にでるという。
mRNAを入れるモデルナワクチンはインフルエンザワクチンと比べると有効率も高いが副反応率もすごい。過剰なほど大量の抗体を作るのではないか?

もし一つの抗原に対し「異常に」大量の抗体を作るワクチンなら、まだ人類は経験したことがなない。抗体産生系を独占したら他の免疫系に影響しないだろうか? 例えば来春、花粉症の人の症状が軽くなっていれば面白い。いっぽう免疫系が疲弊している心配もあるが。

注射から12時間、腕は上がらないほど痛くなってきた。
これが重いのか正常なのか分らない。

今、入れられた外来遺伝子は私の細胞に侵入し盛んに外来タンパクを作っている。mRNA などの核酸は長年画期的な医薬品として期待されてきたが、細胞に入れることがむつかしかった。コロナ禍は一気にその壁を壊したようだ。


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