2021年5月22日土曜日

元麻布ヒルズと善福寺のハリス

5月16日、六本木に来た。
六本木一丁目から六本木交差点、アマンドの横から芋洗坂をおり、六本木ヒルズを見てから、環状三号線を緩やかに降りてきた。(別ブログ)
1995年
戦前、岩崎邸(いま国際文化会館)、川崎邸、李王家(東洋英和小学部)などのあった鳥居坂の下をすぎ、雑式通りを南に降りる。
このあたり麻布十番という。
古くさい名前だが、1962年に麻布網代町、麻布坂下町などを整理してできた町名で、住居表示に関する法律で正式な町名になったのは1978年である。
十番の由来はよく分からないらしい。
1940
麻布十番は東を流れる古川(渋谷川)にむかって緩やかに下っており、全体としては下町的な商店が多い。
2021‐05‐16 10:50 大黒坂下
雑式通りをいくと、大黒坂を下りてきたところに中之島のような空間がある。
初めてきたのは2008年8月13日、従弟の法事が麻布善福寺であった。

当時ここにはベンチがあったような気もするが記憶違いかもしれない。
戦前の麻布区の地図を見ると大黒坂はここで終わっていて、道路がない。
建物疎開、あるいは空襲の後、新たに広い道を作って島ができたのだろうか。

善福寺へいく前に大黒坂を上がってみる。
10:53
大黒坂を上がると鳥居坂下から登ってくる暗闇坂(右)と合流する。正面は狸坂を上がってきた道。左は一本松坂に続く。
10:55
一本松坂をすすめば元麻布ヒルズ
六本木や虎ノ門など、森ビルが作った「ヒルズ」が映画館やレストラン、ホテルなども含む、開かれた複合施設であるのに対し、ここは住居だけの閉ざされたヒルズである。
1983年から計画が始まったが、着工は2000年、竣工2002年。地上29階、222戸。

一本松坂を行けば仙台坂の上に出るが、大黒坂をもどって善福寺に行く。
11:04
善福寺入り口の石柱を見れば、まるで元麻布ヒルズ、フォレストタワーが善福寺本体のよう。
サボテンのような形は墓標のようでもあり、新興宗教施設のようでもある。
よく言ってもせいぜい善福寺本尊のようにみえる。

できるだけ周りの日照を確保しビル風を抑えようとしてこの形になったらしいが、不気味である。
バブルが近づく1983年、善福寺が森ビルに敷地を売ったらしいが、高さなどに制限をつければよかった。江戸で浅草寺、深大寺と並ぶほどの古刹(創建824年)としてこの景色は取り返しのつかない失敗だと思う。

麻布でも低地や商工業地区ならともかく、低層住宅ばかりの高台にこの形はないだろう。
寺や地権者、入居者は何とも思っていないのかもしれないが、景色は当事者だけのものではない。
善福寺というと杉並のほうを連想する。
池、公園、川の名前になっているから、行ったことのない人も聞いている。
杉並の善福寺は、無量山福寿庵と称する浄土系の小庵が江戸期に曹洞宗の寺院となり、昭和17年(1942)地名の善福寺にちなんで改名したもの。その地名はこの付近にあって古くに廃された善福寺に由来する。ここ麻布山善福寺との関係は不明。
ちなみに麻布区の区名や一帯の地名はここの山号からとったという。

11:06
ここで特筆すべきは、初めてのアメリカ”大使館”がここに置かれたことである。

1854 日米和親条約(全権:マシュー・ペリー)で下田、函館を開港。
1856 タウンゼント・ハリス、初代駐日領事として下田、玉泉寺に領事館を設立。
1858(安政5年)日米修好通商条約(全権:タウンゼント・ハリス)
1859 ハリス弁理公使に昇格、下田の領事館を閉鎖して、ここ元麻布善福寺に宿舎を移し、一室を公使館とした。
桜田門外の変は翌年である。
攘夷主義者の襲撃を受け、庫裡、書院など焼失している。

ちなみにアメリカの駐日外交使節の最上位の階級は、総領事(1856‐1859)、弁理公使(1859‐69)、特命全権公使(1869‐1902)、特命全権大使(1902‐)と変わっている。

公使館は1875年、築地の外国人居留地に移るまで使われた。

11:07
樹齢750年、国の天然記念物、逆さイチョウ
これは覚えている。
2008年8月13日、従弟の三回忌がここであり、初めて麻布に来た。
7歳年下で、防衛医大を出て退官、皮膚科として開業したが、ゴルフ中に心室細動で急死した。
彼はおしゃれで六本木とか麻布が好きだったことから、叔父たちは善福寺の室内納骨堂に入れた。叔父夫婦、彼の弟(私の従弟)、奥さんと二人の子、奥さんの両親が集まった。
私は学生時代、神奈川座間の叔父の家に入り浸り、彼の漫画を読んだり山口百恵のレコードをダビングしてもらったりしていたから、親戚では唯一呼ばれた。

全部で9人、食事中の話はまさにお通夜のようにしんみりしていた。
料理は立派だったが、すこしも旨くなかったことを覚えている。

11:08
食事が終わって、逆さイチョウを見たのは一人だったか、叔父たちと一緒だったか記憶にない。
ここに誰か有名人の墓があった記憶があるのだが、誰だったか思い出せない。

すこし歩みを進めたら、すぐに出くわした。

11:09
福澤諭吉・妻阿錦 之墓
妻は錦(きん)で阿錦はおきんと読む。

諭吉の墓が当寺に来たのは1977年で、それ以前は白金と池田山の間、上大崎にあった。
諭吉が1901年亡くなった時、葬儀は福沢家の菩提寺でもある善福寺で行われた。ところが彼は生前、白金の先の本願寺に墓を買っていて、そこに葬られる。その後墓地は常光寺のものとなった。常光寺が本堂建て替えに際し、墓の所有者は浄土宗であることを条件としてしまったため、浄土真宗の福沢家は菩提寺のここに改葬したらしい。

11:15
善福寺の墓地は元麻布ヒルズに向かう急斜面に広がる。
奥のほうは登るのも大変なので檀家たちはエレベーターを作ったようだ。

善福寺を出て、仙台坂をくだると麻布通りと古川(渋谷川下流)に出た。

11:27 枯山水で有名な福泉寺

従弟の遺骨はロッカーのようにずらりと並ぶ善福寺納骨堂に納められている。
もう二度と行くことはないと思うのに、お参りしてこなかった。


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