2023年1月22日日曜日

東京都シニア交流ダンス大会と味の素スタジアム

 

東京都は毎年、60歳以上を対象としたシニア・コミュニティ交流会「TOKYO縁(エン)ジョイ」というイベントを行っており、コロナで二回中止していたが、今年は開かれた。
囲碁、将棋、健康マージャン、ダンススポーツ、カラオケがある。

文京区の競技ダンスサークルの人に誘われ、初めて参加した。
開催日が1月17日、火曜日というのが、いかにもシニアの大会である。

いつものダンス競技会と同じく燕尾服など荷物をいっぱい持って駅に向かったら人が多くてびっくり。山手線は通勤の人で満員、ひとり違う自分を思い、改めて退職したことを実感した。

会場は武蔵野の森総合プラザ、メインアリーナ。
まるで普通名詞のようで、どこかと思ったら味の素スタジアム(東京スタジアム)の隣という。
このスタジアムも行ったことはなかったが、調布のほうとは聞いていた。

最寄り駅は京王線の飛田給。
降りるのは初めて。とびたきゅうと読むのも初めて知った。
駅名由来は諸説あり省略。

駅舎は大きくて新しい。
通勤ラッシュの時間なのに人がほとんどいない。
いかにもイベントのための駅という気がする。

しかし東京スタジアム開設に合わせてできた駅ではなく、大正時代1916年に開業している。
2001年にスタジアム開業に合わせて全面的に改築、橋上駅とした。
おそらく、あわせて区画整理もしたのだろう。

駅からまっすぐスタジアムに道路が伸び、広い歩道に面する店は新しい。コンビニはもちろん、日高屋、すき家、華屋与兵衛、バーミヤンが並び、駅前通りなのに古い商店は一軒もない。
2023‐01‐17
左:メインアリーナ、右:味の素スタジアム

緩やかな広い歩道橋があり、上がるとそのままペデストリアンデッキでアリーナやスタジアムの入り口に続く。甲州街道(国道20号)を信号待ちせずに大量の観客が歩けるような設計になっている。

国道20号と味の素スタジアム
KFCで腹ごしらえをして、試合後はロイヤルホストで祝勝会ができる。

東京スタジアムは東京都と京王電鉄などが出資する第三セクターが建設、2001年竣工した。2002年秋、東京都が日本で初めて公共施設に命名権を導入することを決定したことを受け、2003年に味の素が命名権を買った。以後、ずっと更新を続け、今の契約は2019年3月ら2024年2月末までの5年間、11億5千万円という。
飛田給駅とスタジアムをまっすぐつなぐスタジアム通り。
ペデストリアンデッキ南端から駅方向を望む。
この下は甲州街道(国道20号)

さて、目的地の武蔵野の森総合スポーツプラザは、味の素スタジアム(写真)の西側、すなわち駅から来るスタジアム通りの西側にある。メインアリーナ(体育館)、サブアリーナ(武道場、プール)、陸上競技場(AGFフィールド)からなる。
メインアリーナの通路からガラス越しに見るAGFフィールド
もちろんAGFは味の素のこと。
味の素は東京スタジアムだけでなく、その東のアメフトが行われる補助グラウンド(アミノバイタルフィールド)、西競技場(AGFフィールド)、スタジアム周辺の広場(あじペン広場、アジパンダ広場)にも名を冠している。

これだけの巨大施設群ができる前、ここは何だったのだろう?
グーグル地図を見ればすぐわかる。
この北に調布飛行場がある。
日中戦争時に陸軍飛行場として建設が始まり、太平洋戦争の前、1941年3月に完成した。
B29による空襲が始まると、首都防衛のため「飛燕」などが配備された。
(B29の迎撃で有名な紫電改は海軍機で呉などの防衛のため松山などに配備された)

戦後アメリカ軍に接収され、1955年一部、1973年に全面返還された。
「中央フリーウェイ。調布基地を追い越し、山に向かってゆけば~」と荒井由実が歌ったのは、私が大学2年のとき、1976年である。

その後、飛行場部分を縮小、現在は新中央航空(株)が東京と伊豆諸島への定期便を運航している。そういえば田辺で一時席が隣だった長岐すみこさんはここからセスナを飛ばされていたな。

調布基地が縮小されて生まれた広大な土地は、しばらく建物も経たず、公園やグラウンドになっていたようだ。1996年の地図を見れば、都立府中養護学校(現けやきの森学園)、調布福祉園(介護施設)しかない。

飛田給駅と調布飛行場(1996)
飛行場周辺は関東村運動場として緑のまま(土のまま)である。
(関東村というのは米軍の施設や住宅を総称して付けられた名称)

今の地図を見れば、西南の隅に東京スタジアムや武蔵野の森スポーツプラザができ、さらにその北西に、榊原記念病院(2003年代々木から)、警察大学校(2001年中野から)、警視庁警察学校(2001年中野から)が移転してきている。
その北には東京外語大学もある。

この大学は戦前戦中の1940年から44年にかけて麴町区竹平町(すなわち神田一橋)から滝野川区西ヶ原町の元海軍爆薬製造所跡地に移転した。私の学生時代、高校の後輩が在学していて駒込駅の北に通っていると聞いたことを思い出す。

近年になって、府中のほうに移転(2001年)したことは知っていたが、ここだとは思わなかった。なるほど、調布基地は広く、北西の半分は地籍が府中市である。

西が原の外語大旧キャンパス跡地は、北区の「西ヶ原みんなの公園」となり、自転車で何回か訪ね、このブログにも書いた。
(別ブログ 20190117 本妙寺と下瀬坂

さて、東京都シニア交流ダンス大会に戻る。
競技以前にまず思ったのは、コロナ対策の厳重さ。
参加者に書類が送られてきて、当日まで二週間の体温健康状態を毎日記入し、ワクチン3回以上の接種証明を出さねばならない。こんなもの必要だろうか?
今はダンスも他のスポーツ同様、競技中はマスク不要となってきているが、今回は競技中も着用を義務付け、しかもウレタン不可、不織布マスク限定。
2,3年前のまだ得体の知れなかったときならいざ知らず、ワクチンもマスクも関係なしにどんどん感染することが分かっているのに、メディアも当局も真面目で神経質な人に合わせるから、いつまでたっても根拠のない(効果の大してない)習慣がなくならない。

当然スタッフも大量に用意された。検温、消毒、書類整理などで多忙な受付時間がすぎると、多くの学生アルバイトは夕方の後片付けまですることがなく、あちこちに立っていておしゃべりしたり、たまにトイレの場所を教えたり、エレベーターのボタンを押すことくらいしかすることがない。
お役所のすることは予算さえとれば、いくら金がかかっても構わないようだ。
2023‐01‐17
会場のメインアリーナはとても立派だった。
ダンス競技会は千駄ヶ谷の東京体育館、駒沢オリンピック公園体育館も使われるが、ここの広さ、豪華さにはかなわない。
ふつうは体育館の床を傷めないように女性はヒールカバーをするのだが、今回は特別に板を敷き詰めたのでヒールカバーも必要なし。

開会式から閉会式まで、キンタローがゲスト(縁ジョイサポーター)として立ち会い、全日本10ダンス現チャンピョン山本武志・木嶋友美組、三笠宮杯2020年ラテン優勝、2021年スタンダード優勝の大西大晶らトップ選手が、午前、午後、昼休みにデモ、講習会を行うという豪華さ。表彰式には小池都知事も来て賞状を手渡した。

ちなみに他の部門の縁ジョイサポーターは田中寅彦(将棋)、山本リンダ(カラオケ)ら。
いったい、いくら金をかけているのだろう?
参加賞は、後援の理研ビタミン社の製品(ドレッシングとかつおだし)。
これはいいとしても、あとはシニア向けらしく、車の運転注意や特殊詐欺の啓発チラシなど。
参加記念の大会バッジと「街の安全見守り」バッジと、誰もつけるはずのないバッジが2つも入っていたが、業者と癒着しているのではないかと思うくらい税金の無駄遣い。

それでもこの会は楽しかった。
納税者には申し訳ないが、シニアたちは競技会というよりお祭りを大いに縁ジョイした。
最高齢は89歳、平均年齢71歳、のべ470人が参加した。(実質は115組)。
団体戦はわが文京ダイヤモンドチームが30チーム中3位、賞品は全く嬉しくない、お茶だった。シニアと言っても一日中お茶を飲んでるわけではないぞ。
個人戦は(私は若いほうなので)スタンダードが4位、ラテンが5位だったが、惜しくも入賞は逃した。


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