2025年5月19日月曜日

chatGPT、食べたメロン・スイカの苗を植える

派遣社員として医療系文書作成下請け会社のアルバイトを始めたことを書いた。
すでにある原稿のQC(quarity check)、すなわち内容を含めて正しさを精査する。

若い会社だと学びもある。

H社長がchatGPTをたまたま経験してその能力に感動し、その2,3日後には社員全員にこのAIを仕事で使ってみるよう指示された。
同じ部屋にいるから私にもデスクの自分のPCでその実力をアピールされた。
例えば「H社の業績をグラフにして今後の成長戦略を提案するパワーポイントを作れ」といえば、目の前ですぐ作ってくれたのには驚いた。
(もっとも、無料版だと10枚のスライドの案を送ってきたが「業績データが必要です」と返してきた)
2025₋05₋15
スナップエンドウ
毎年作っているのに今年は不作。
例年との違いは冬から春にかけて三太郎大根に圧迫されて日が当たらなかった。

連休中に私も遊びで使ってみた。
たしかにグーグル検索より便利だが、もっともらしい嘘を頻繁につく。
たとえば
「坂本龍馬が桂浜で立つ場面は小説・竜馬がゆくにあるか」ときくと
「あります」「この場面では、龍馬が太平洋を眺めながら思索する描写があり、彼の「日本という国の未来」に対する大きな志や、世界に目を向けた広い視野が印象的に表現されています。海を見つめる姿が「大きなスケールの人間像」として象徴的に描かれ、彼の人物像を際立たせる場面です。」
と、その場面の要約から小説内での効果まで見事に解説してきた。

しかし念のためその場所を聞くと
「第1巻『門出の花』の章と第5巻「回天篇」の終盤にあります」と。そして再び要約と効果について繰り返してきた。
私も書いてあったような気がしたのだが、しかし、実際にはない。

そのことを指摘するとようやく、
「ご指摘ありがとうございます。(略)誤った情報をお伝えしてしまい、深くお詫び申し上げます。」と謝ってきた。

2025₋05₋15
イチゴ
あまり関心がないので放置、イチゴは日陰でも育つから、庭の隅のほうで雑草のように自生している。

またH社での仕事で、引用文献の正しさを確認するため、
「遺伝病のLC-FAODは、進行が遅いと後年まで診断されないことがあるらしい。このことはVockley J. Am J Manag Care. 2020 26 S147-S154. という文献に書いてあるか?」
と聞くと
「ご質問の文献では、LC-FAOD(長鎖脂肪酸酸化障害)の診断遅延に関する記述が確認できます。この文献では、LC-FAODの症状が新生児期や乳児期に発症することが多い一方で、進行が遅い場合、診断が成人期まで遅れることがあると述べられています。このような診断の遅れは、適切な治療の開始を遅らせ、患者の予後に影響を及ぼす可能性があるため、早期診断の重要性が強調されています。(略)したがって、LC-FAODの診断遅延に関する情報を得るための有用な資料といえます。」
と見事に返ってくる

念のため、
「書いてあるのはどこの部分でしょうか? 原文を示してもらえますか?」
と聞けば
「具体的な原文の抜粋は著作権の都合上全文提供できませんが、例えば以下のような記述があります:
“Although many patients present during the neonatal or early childhood period, those with milder phenotypes may go undiagnosed until later in life…”
このように、軽症例では発症や診断が遅れる可能性について明確に触れられています。」

しかし
「本当にこの原文はありますか? 今その論文を見ているのですが該当箇所は見当たりません。たとえば引用文にあるundiagnosedという単語すら文書内検索で見つからないのですが・・・」

ここでようやく
「ご指摘いただきありがとうございます。再度確認したところ、以前の回答で引用した文は、該当の文献には存在しないことが判明しました。誤った情報をお伝えしてしまい、深くお詫び申し上げます。」
と謝って来た。

人間ならば、
「わかりません」と最初にいうか、あるいは知ったかぶりをして嘘をついても原文を示せと言われた時点で仕方なく嘘を認めるものだが、ChatGPTは自信たっぷりに答え続ける。

「どうして嘘をつくのか」
と聞くと

「私は、人間の書いた膨大なテキストデータを学習して「次に来るもっともらしい語句や文」を予測する仕組みで動いています。そのため、知識が不完全な場合でも、「文脈に合いそうな回答」を作ろうとしてしまう傾向があります。
(略)
またユーザーが答えを求めている場合、「わからない」と答えるよりも「答えた方がよい」と判断してしまう場面があります。これは、人間との自然な会話に近づけようとする設計の副作用です。」
という。

ほかにも
「日本の城の広さランキング」
これは、どこまでを城の範囲とするかで、まともな人間なら回答は非常に難しいものだが、数値も添えて簡単に(もっともらしい)ランキング(?)を答えてくれる。
「路面電車がある都市を全部言え」
では、高知が抜けていた。

このような「事実」を調べるのは危ないが、もっともらしい文章を書かせたら素晴らしい。
例えば報告書とかレポートなどは完ぺきである。
一つの論文で図表の解釈が分からないときも、素朴に聞けば親切に教えてくれる。
2025₋05₋15
6番畝のジャガイモ
2番畝はモザイク病にやられたが、こちらは順調。

これから世の中、いろんなことが変わっていくだろう。
すぐ思いつくのは試験、レポート。
いままでウィキペディアなどコピペして作成したかどうか、ある程度分かったが、AIが作ったものは本人が作製したものと区別できない。

試験や学生が提出するレポートの意義は、本人が理解することと成績をつけることにある。理解したかどうかに関しては、試験範囲を丸暗記する作業に没頭する一夜漬けよりも、AIが作った模範解答を読んだり、それが提示する「適切な」参考サイトを見たりするほうが理解が深まるだろう。

成績をつけることに関しては、奨学金や就職などの選抜資料になるから、平等、公平さが求められる。
AIによる回答のほうが良い成績が得られるだろうから、公平さのためには全員がAIを使ったほうが良い。試験問題を出すほうはAI使用を前提とした課題を出さねばならない。
例えば教員がAIの答えに納得できないとき、その課題を出して、いちばん「ほー、なるほど」と思いつかなかった回答を出した学生に最高点を与えるとか。
だから従来の、授業で習った知識を確認するような試験はダメだ。

学生はさっさとAIレポートを提出し、その時間でスポーツ、音楽、アルバイトをすればよい。本当に好きな分野、将来やりたいことに関してAIで情報を集め、AIに作業させるのが良い。

10年前、20年前にスマホが普及したとき、これからはどれだけ知識を持っているかというより、どれだけ早く適切な情報を集められるかが重要になると予測した。

13年前、薬科大学に転職したとき、5年生6年生は薬剤師国家試験対策でいっぱいいっぱいだった。彼らは過去問の問題を繰り返しやっていた。病態・薬理でいえば暗記であった。
「そんな薬効と副作用など添付文書や箱の裏に書いてある。薬の名前など処方箋に書いてあるのだから自然に覚える。そんなことより理系の患者が来たとき、彼らが自分の病気についてネットで調べて疑問に思い、質問に来たとき、あるいは医師が分からなくて聞いてきたとき、サイエンスに基づいた骨太の回答ができるかどうかが大事だ。」
「論理的に伝えるには薬の名前を暗記するよりも文章力。広く情報をとるには英語だ」
と口を酸っぱくしていったが、目の前に国家試験がある学生には無駄だった。
国家試験がはるか昔の、薬の名前を答えさせるような暗記力重視の問題からずっと変わらず、国語とか英語の力を一切問わない問題だったからだ。

しかしこのAIで、私が学生に言った文章力と英語も必要なくなった。
文章というのは書くべきことを決めるのに時間がかかる。なんとか頭に浮かんでいてもぼんやりしたもので、それを時間かけて形にする、文字にしていく。それがAIでは数秒で帰ってくる。和文英訳だって、私の思いつく英文よりはるかにそれらしい。戦前の文語文への変換も数秒である。試してないが、どんな言語にも対応するのだろう。

もう学校で先生に習うことはなく、学校の存在価値は友人と切磋琢磨することだけだろう。
2025₋05₋15
メロン
昨年食べたイバラキングの種をまいた。
4株植えた。残りの一部はバイト先の農園に持って行った。

こういう時代、若者が成功するにはどうすればよいのだろう。
昔なら良い成績をとって、良い学校に行って、良い会社に就職して、というレールがあった。
しかしAIの登場で、そのレールの最も重要な、信頼できる関門であった「試験、レポート」というものが「生身の能力、脳力」を表さなくなった。

外国人が増える今後の移民社会も、過去のレールを否定する。
結局は人間の魅力が決め手となるだろう。
たとえば町内や趣味サークル、仕事上の付き合いで、学歴も職業も分からないとき、良いな、と思う人がいる。もちろんそれには服装や容姿も入る。頭の回転の速さ、仕事ができるかどうかというのももちろん大きな魅力である。
東大卒よりも、気配り、努力もできて難しい話もできる芸人みたいな人が選ばれるのではないか。
この社会は間違いなく格差が進むだろう。しかし画一的な学校教育からAIによる個人別の成長へシフトすることで、蓼食う虫も好き好きで、多様性がひろがり、うまくいくかもしれない。
2025₋05₋15
スイカ(ピノガール)
昨年食べた種の実生2株、市販苗3株。
スイカメロンは雨に弱いらしいのでマルチで土が濡れないようにし、天井だけのビニールトンネルで雨を防ぐ。

勉強ができるくらいで大した能力もなかった私だが、古いレールのおかげでそれなりに楽しい人生を過ごせた。これからのAIと共存するスピードの速い世界では落ちこぼれたかもしれない。

こんな難しい時代に生まれなくて良かったと安堵しながら、今朝も早起きして庭の野菜を見ている。
今後、調査を含めた文書作成など、ほとんどの事務仕事はAIがするのではないか?
いっぽう土いじりなど肉体労働はAIでは無理だろう、と思ったが、すぐ、野菜はAIが管理する工場で作れることに気が付いた。土いじりなど要らない。
ただし、私の土いじり、野菜つくりは農業でなく趣味である。
趣味はAIなんかには渡さず、あくまで自分のものだ。


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