御土居を見てすぐ北で、カシャカシャカシャカシャと機織りの音を聞いた。もちろん機械だが、最近は珍しいらしい。
2003年、朝9時ごろかな、周りから盛んに織機の運転音が聞こえる一角があった。西陣のどのあたりであったか、まったく分からない。当時も迷いながら歩いていたから。
14年後、その音を探す暇もなく、船岡山を目指す。
このあたり道が細い。
11:57
狭い通りに古い町家が並ぶ。風情ある景色だが、目立つのが軒の上に整然と並ぶエアコンの室外機。かつてはなかった。
いくら京都が暑いと言っても、今までナシで暮らしてきたのだから、そのまま暮らせばいいのに、と、エアコンのない家に住む私は思う。暑い、暑いというのも季節を楽しむことではないか。
12:08
船岡山を目指し、カンを頼りにずんずん歩いていたら、家の切れ目に緑が見えた。
そばまで行ったが登り口がない。2003年はどこから上ったのだろう。
ようやく見つけた登り口。
前回、建勲神社は通ってないから違うところから上ったのだろう。
枕草子に「岡は船岡~」とあるらしいが高2の国語で読んだだけだから記憶にない。
百人一首の
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ 」光孝天皇
は、ここをイメージする。
当時はあちこちで摘めただろうが、斜面のほうが楽しい。
12:17 建勲神社本殿。
秀吉は、本能寺で亡くなった信長をこの山に祀ろうとした。明治になってこの神社が建てられ、祭神は織田信長である。
欧米系外国人が一人スケッチしていた。
神社の西をさらに上ると頂上、公園になっている。
12:23
標高112メートルだそうだ。昔はここからまっすぐ朱雀大路がのびていた。
というか都の造営はここを起点とした。
風水思想によれば、良い立地として
東: 豊かな川がある:鴨川
西:大きな道があり交通の便がよい: 山陽道、山陰道
南: 広大な平野や海があり視界が開けている:巨椋池
北: 山や丘陵がある
だから、この地は最高である。
四方の守り神として、青龍、白虎 、朱雀 、玄武がいて、それぞれ春、秋、夏、冬と四色が割り当てられた。
北に必要な山とは鞍馬になるが、その手前にへそのような岡がある。これを無視するわけにはいかない。南北中央線の朱雀大路をここから伸ばすのは自然である。船岡山の平たい形状はカメにもみえ、北方の玄武神にふさわしい。
朱雀大路は今の千本通りにあたる。南の方は嵯峨野線と重なる。
京都タワーはわかったが、線路も南北の道路も分からなかった。
千本通は何回か歩いたことがある。しかし、そこから船岡山は見たことがない。見えないということは山から通りも見えないということだ。千本通は途中で西に曲がることと、通りの幅が狭いため、両側に二階建てしかなくても、見えないのだ。ましてや、これだけ低い山では、それこそ近くまで来ないと見えるはずがない。
(国土地理院のホームページから)
今まで気づかなかったが、京都盆地の独立丘陵として、船岡山、双ヶ岡、吉田山(金戒光明寺の丘を含む)をみると、双ヶ岡と吉田山を結ぶ直線が東西方向に一致する。
(頂上を結べば傾いてしまうが、幅のある丘なので、天文学的な東西線と一致させていいだろう)。
この線は大極殿の北辺を通るという。つまり平安京の北の辺になる。
今まで気づかなかったが、京都盆地の独立丘陵として、船岡山、双ヶ岡、吉田山(金戒光明寺の丘を含む)をみると、双ヶ岡と吉田山を結ぶ直線が東西方向に一致する。
(頂上を結べば傾いてしまうが、幅のある丘なので、天文学的な東西線と一致させていいだろう)。
この線は大極殿の北辺を通るという。つまり平安京の北の辺になる。
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