有明の月で真っ先に連想するのは鉄道唱歌。
何年か前、
愛宕山に初めて上ってから口ずさむようになった。
名曲だと思う。
汽笛一声新橋を
はや我汽車は離れたり
愛宕の山に入り残る
月を旅路の友として
ところが、4年前に千駄木に越して、
上野谷中が身近になってから、
有明の月というと奥の細道も浮かぶようになった。
弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、
月はありあけにて光おさまれるものから、富士の嶺かすかに見えて、
上野・谷中の花の梢、
またいつかはと心ぼそし。
むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。
千住といふ所にて舟をあがれば、
前途三千里の思い胸にふさがりて、
幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
行く春や 鳥啼き魚の 目は泪
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」
で始まる序文は高校の時習った記憶がある。しかし、このすぐ後に続く、
上野谷中が出てくる道中初日の文の記憶がない。
教科書に載っていなかったのか、
当時上野谷中に関係なかったから頭に残らなかったのか・・
でも千住の句は古い記憶にある。
いずれにしろ、昔の
旅立ちに有明の月は舞台装置のように使われている。
今は月を見ることがない。
都会では見えないし、田舎では車の運転に余裕がない。
千駄木菜園 総目次
0 件のコメント:
コメントを投稿