薬学雑誌 296号1155頁(1906)
G.KI. Pharm.Ztg. Nr 39, 1906 の文献紹介(広橋)である。
病が4つの体液のバランスが崩れることで起こるとされて以来、瀉血は重要な治療法の一つだった。発熱したアメリカ初代大統領ワシントンにこの国最高の医師団がとった処置は、大量の瀉血で、却ってこれが死因となったのではないかとされる話は有名である。
その瀉血療法の一つとしてヒルの利用はエジプト,中国以来2000年以上の歴史を持ち,19世紀欧州でも盛んに用いられたが20世紀前半に急速に廃れた.今ではスイテツという言葉、読み方を知る人も少ない。
ところが2004年6月米国FDAが生きたヒルを認可した. 販売が認められたのは,フランスのRicarimpex社が150年にわたって品種改良してきたというもの.
110年前の薬学雑誌には実用記事として何編か紹介されている.
「近来医術に水蛭を使用すること稀なりといえども、薬剤師は今日なお其の使用法を指示すべき場合少なからず・・・」.
なかなか目的の場所にヒルが付着せず患者に苦痛を感じさせた(精神的に?) ので,新しい使用法を考案したという.
「・・・接着せしむべき身体部分を、冷水を以って能く清洗し、僅微の白糖末を擦入したる後,別に適当大の空孔を穿ちたる半切れの林檎に水蛭を投し,之を林檎と共に体部に接着するときは、水蛭は酸性のリンゴを嫌忌するが故に直ちに体部に固着すべし・・・」
薬誌274号1020頁(1904),290号368頁(1906)には,飼育,貯蔵法がある.
「器中より水蛭を取り出す際は手指を清潔にし,病虫すなわち掌上に阿列布實(オリーブ実) 形を為さざるものは棄却すべし」「温度の激変を避くべし.水蛭は温よりも寧ろ寒に堪ゆ」
ヒルと薬学といえば、むしろ抗凝血物質ヒルジン.精製は蛭が盛んに使われていたころからずっと後の1955年以降.絶食,空腹にした5kgの吸血ヒル(ホラーですね)をすりつぶすという操作に始まり数十mgとれた.76年に今と同じ65アミノ酸の配列があるがpreliminary data とあるくらい構造決定は難航した.
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