2017年1月16日月曜日

第11 大阪製薬と大日本製薬(明治32年)

薬学雑誌 206号400頁(1899)ほか

 2005年10月,大日本住友製薬が誕生した。
 あれから11年も経ち、製薬会社に入ってくる若者でも大日本製薬のことを知らない人が多いと思う。当時、なんか窮屈な感じであっても大日本などという時代がかった名前が残ったのは,ちょっと嬉しかった。

 大日本製薬は、明治16年半官半民会社として東京に誕生した。
設立は、それまで高価で劣悪品も混じる輸入医薬品に頼らざるを得なかった我が国の悲願であった。
 一方,明治30年,道修町の有力薬問屋21社が,共同で大阪製薬株式会社を設立する.社長:日野九郎兵衛,取締役:田辺五兵衛、塩野義三郎、宗田友次郎、小磯吉人、小西久兵衛、上村長兵衛。監査役:小野市兵衛、武田長兵衛、谷山伊兵衛(薬誌1897年189頁)。同社は翌年10月,経営悪化していた大日本製薬の器械什器をすべて買収,栄光ある商標,社名も継承することに決めた(薬誌1898年1140頁)。

 翌32年(1899)4月15日,大阪市外,鷺洲村海老江なる同社製薬所で盛大な開業式を行う。連日の雨が上がり,天高くさえずるヒバリの声と満開の菜の花畑。人力車が続々と吸い込まれる門の外には,村人集まり,屋台が軒を連ねてお祭りのようだ。
 長与専斎・中央衛生会長,長井長義・薬学会会頭,菊池常三郎・陸軍軍医総監ら四百余人の来賓,迎える社員は二百余人。社長は来賓を一々奉迎所に迎え,徽章と順序票,業務案内書を渡して事務所階上の休憩所に案内,茶菓,ビールを出し,数人集まると技師が工場内を案内した。見学が終わると「嬋妍たる美女に擁さしめて之を模擬茶店ビール店団子店等数軒を構へたる春風賞観の遊園場に導きて優遇至らざるなし」

 21世紀になり、武田,塩野義の合併のうわさが出た。ここに大日本住友も参加したとする。外国人役員を入れてすっかり変質した武田は、もう社名に拘らないのではないか? 塩野義、住友を全部社名に埋め込むことはできないから、「大阪製薬」が復活するのではないか。
 更に妄想すれば、これも噂の出たアステラスと第一三共の合併は,アステラスが東日本だからと自社名に似た「日の出製薬」を主張する。そしてメガファーマに対抗するため、厚労省主導で大阪製薬と日の出製薬が合併する。
 このとき画期的な新薬が双方に生まれていて、世界3位くらいになっていればいいな。名前はもちろん「大日本製薬」。明治16年と同じ期待を込めて。

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