第108話 東宮殿下のエキス光線ご一覧
薬学雑誌 1898(明31)年度p644
大正天皇は頭がおかしかったという話がある。
議会で詔勅を読んだ後、くるくると巻いて望遠鏡のように議員席を見渡したという。しかしこれが真であったとしても愚昧であることの理由になるか? 帝国議会など恐るるに足らず、皇太子時代の全国行啓中、きさくに庶民に話しかけるような人柄であるなら、当然ありうる行動だ。
生まれつき病弱で、学業、運動とも発達は健全でなかった。しかし漢詩1367首、和歌456首をつくり、朝鮮語も学んだとなれば、知能は十分あっただろう。
明治、昭和の大帝と比してエピソードが少ないのは、天皇制を利用したい政治権力がその権威を保つため、なんにでも興味を持ち無造作に国民と接触する彼を封じ込めたからという噂も聞く。
今でも右翼、左翼、政府、メディアは様々な文章を残す。ときに捏造もあることは正義のA新聞で周知のこと。まして戦前の皇室については、噂と真実の区別は難しい。
どんな人物だったか。この欄でも皇太子時代の東北巡啓を書いたが(2008年11、12月号)、出迎える側の食事、衛生面での裏方話ばかりで、東宮に関する記述は一切なかった。ところが偶然、私のイメージ通りの記事を薬学雑誌に見つけた。
明治31年5月26日午後2時過ぎ、明宮嘉仁殿下は
「大尉の御正服にて理科大学へ行啓あらせられたり」。
この年3月、医科大学のお雇い外国人教師、スクリバが一時帰国したドイツからX線透写装置を持ち帰った。1895年11月レントゲンがX線を発見して2年半。スクリバと近藤助教授は、頭蓋骨に弾丸を入れ二重の箱に収めたもの、それから鯛、小童2人の胸部の透視像を見せた。殿下は「すこぶる珍しきもの」を興味深く見物しただけでなく、なんと
「親しく右の御手を光線にかざし給ひ、また宮内高等官をして試みし給ひ」、
大いに満足した。さらには研究中の無線電信にも興味を示し、
「始終ご熱心にご熱覧あらせられご機嫌ことに麗しく」
4時20分頃還啓した。
このとき19歳。
21歳で結婚、歴代天皇で初めて一夫一妻を貫き4人の男子に恵まれたが大正3年ころから軽度の発語障害、大正8年には食事をとることも勅語を読むこともできないほど悪化したとされる。その7年後、47歳で崩御。
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以上の文章をそのまま、2015年1月、ファルマシア編集部に送ったのだが、不敬にあたるとのことで、没になった。理由を聞けば、そのまま3月1日号に載せたら、3月末の薬学会年会に右翼の宣伝カーが来るかもしれないと心配された編集委員もいらしたという。
私は一般参賀にも行くし、1993年埼玉に両陛下がいらしたときは、仕事を休んで旗を振りにいったし、伊勢神宮でも両陛下に旗を振れたし、皇居清掃団にも参加したかったほど、皇室が好きで、大正天皇を悪く書いたつもりは全くなかった。・・・文章は難しい。
どうも冒頭の「頭がおかしかったという話がある」が良くなかったらしい。私の子供の時分は、そのような話はいろんなところで言われており、学校の先生すら教えてくれた。しかし、その悪い評価を(少なくとも彼がお若いときは)否定できるエピソードを当時の薬学雑誌で見つけ、彼の名誉回復のつもりで喜んで書いたのに、どうも編集委員の方々は、反対に解釈されたようだ。
とにかく、薬学昔々の連載が終わるきっかけになった文章である。
雑誌の編集などはセンスのある人が一人あるいは少人数でやるべきだと思う。私の原稿を没にするかどうかは20人もいる編集委員のメール会議だったらしい。誰か神経質なほど心配性な優等生的発言の人がいれば、どうでもいい大多数の人はそちらに流れ、角は取れるが、内容もきれいごとの多い、つまらない原稿ばかりになる。
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