2月11日
家から3.7㎞。
自転車で来たのでご近所に含めたいが。
西巣鴨の滝野川西区民センターでダンスの練習をした帰り、日が傾きかけていたが寄り道する。
そもそも家のそばの不忍通りは、本郷と上野の台地に挟まれた谷で、大昔は石神井川の川筋だった。今この川は王子で飛鳥山を突き抜け隅田川に入っているが、千駄木根津と関係なくもない。
自転車で来たのでご近所に含めたいが。
西巣鴨の滝野川西区民センターでダンスの練習をした帰り、日が傾きかけていたが寄り道する。
そもそも家のそばの不忍通りは、本郷と上野の台地に挟まれた谷で、大昔は石神井川の川筋だった。今この川は王子で飛鳥山を突き抜け隅田川に入っているが、千駄木根津と関係なくもない。
王子から板橋までの石神井川は、神田川ほど有名ではないが、景色はよく、かつてこのあたりに住みたいと真面目に家を探したことがある。
石神井川は谷深く、このあたり幾筋もの滝が落ち、そこでついた滝野川という俗名は村の名前になり、現在も北区の大きな地名である。
安藤広重の名所江戸百景に王子滝野川というのがある。
(国会図書館デジタルコレクション)
右に滝が見える。
中央の鳥居の奥に岩屋弁天が祀られていた。
尾張屋版江戸切絵図を見ると、音無川の蛇行の跡か、この辺りの窪み全体を岩屋弁天といったようだ(下図左下の赤い部分)。
この場所にいってみると、以前来たときより、また一段と整備されたような気がする。きれいにしすぎではないか? 音無もみじ緑地というそうだ。
広重には、こちらの楽しい絵もある。
(国会図書館デジタルコレクション)
中央にかかる橋については江戸切絵図で
「王子権現ヘマハルニハ岩屋弁天地内ノ外近辺ニ橋ナシ」
とある。
右側を回って金剛寺に行ってみる。
江戸切絵図には、細かくて読めるだろうか、
開山弘法大師 本尊不動尊 滝川山大師作
と書いてある。
確かに弘法大師の立像があった。
また、1180年頼朝が兵をあげるも石橋山で破れ安房にのがれ、再び戻ってくるとき10月に滝野川松橋に陣をとったというのはここだ、という看板があった。
さらに右岸を王子に向かうと、昔蛇行していた川の跡が馬蹄型の窪地になっている。音無さくら緑地というから、春はきれいだろう。
ここに面した家々は本当に素敵で、東京とは思えない。
地層の自然露頭が見える。
東京では川も崖も護岸工事をしてしまうから、こうやってみられるのは珍しい。貝の化石がとれたというから、石神井川浸食以前の太古は海底だったか。
王子七滝の痕跡といえるか、水が湧いて滴っていた。
また広重。こちらは王子不動の滝。
(国会図書館デジタルコレクション)
金剛寺にも不動尊はあるが、こちらの滝は少し下流にあった。切絵図の文章に
浄土宗思惟山三昧寺正愛(受?)院
滝不動本當(堂?)後ノ坂下レバ飛泉アリ
不動滝又泉流滝トモ云
とある。
その正受院にいってみる。
住宅地の中にひっそりとある。
今は23区内でも、昔はこのあたりになると震災、戦災に遭わなかったか、田舎のように建物が古くて良い感じ。金剛寺と違って土と林がある。
中央の小さな甲冑姿石像は近藤守重という。
北方探検の近藤重蔵のことだが、私の世代は守重と書かれるとわからない。駒込に生まれ、4年ほど正受院の東隣に住んていたとか。
本堂の左奥が不動尊である。
この後ろから広重の絵の太い滝が落ちていたらしい。
バケツを洗っていらしたお寺のご婦人に、裏にその名残の石碑があると教えられた。
回ってみると林の中にひっそりと建っていた。
新東京名勝選外十六景 滝野川の渓流
とある。東京という、あまりに新しい碑文に拍子抜けした。
帰って調べたら、新東京名勝選外十六景というのは、昭和の初めに15区から35区になることを祝して、報知新聞が主催、市民の投票で新しい区から新東京八名勝を選んだ。池上本門寺や日暮里諏訪神社が選ばれた。そのとき漏れた中から十六名勝を選んだらしく、ここのほかに新井薬師、堀切菖蒲園、哲学堂などがあった。
このことから崖がコンクリートで固められたのは近年のことであり、それまでは江戸時代に近い景色だったのかもしれない。
(国会図書館デジタルコレクション)
中央にかかる橋については江戸切絵図で
「王子権現ヘマハルニハ岩屋弁天地内ノ外近辺ニ橋ナシ」
とある。
右側を回って金剛寺に行ってみる。
江戸切絵図には、細かくて読めるだろうか、
開山弘法大師 本尊不動尊 滝川山大師作
と書いてある。
確かに弘法大師の立像があった。
また、1180年頼朝が兵をあげるも石橋山で破れ安房にのがれ、再び戻ってくるとき10月に滝野川松橋に陣をとったというのはここだ、という看板があった。
さらに右岸を王子に向かうと、昔蛇行していた川の跡が馬蹄型の窪地になっている。音無さくら緑地というから、春はきれいだろう。
ここに面した家々は本当に素敵で、東京とは思えない。
地層の自然露頭が見える。
東京では川も崖も護岸工事をしてしまうから、こうやってみられるのは珍しい。貝の化石がとれたというから、石神井川浸食以前の太古は海底だったか。
王子七滝の痕跡といえるか、水が湧いて滴っていた。
また広重。こちらは王子不動の滝。
(国会図書館デジタルコレクション)
金剛寺にも不動尊はあるが、こちらの滝は少し下流にあった。切絵図の文章に
浄土宗思惟山三昧寺正愛(受?)院
滝不動本當(堂?)後ノ坂下レバ飛泉アリ
不動滝又泉流滝トモ云
とある。
その正受院にいってみる。
住宅地の中にひっそりとある。
今は23区内でも、昔はこのあたりになると震災、戦災に遭わなかったか、田舎のように建物が古くて良い感じ。金剛寺と違って土と林がある。
中央の小さな甲冑姿石像は近藤守重という。
北方探検の近藤重蔵のことだが、私の世代は守重と書かれるとわからない。駒込に生まれ、4年ほど正受院の東隣に住んていたとか。
本堂の左奥が不動尊である。
この後ろから広重の絵の太い滝が落ちていたらしい。
バケツを洗っていらしたお寺のご婦人に、裏にその名残の石碑があると教えられた。
回ってみると林の中にひっそりと建っていた。
新東京名勝選外十六景 滝野川の渓流
とある。東京という、あまりに新しい碑文に拍子抜けした。
帰って調べたら、新東京名勝選外十六景というのは、昭和の初めに15区から35区になることを祝して、報知新聞が主催、市民の投票で新しい区から新東京八名勝を選んだ。池上本門寺や日暮里諏訪神社が選ばれた。そのとき漏れた中から十六名勝を選んだらしく、ここのほかに新井薬師、堀切菖蒲園、哲学堂などがあった。
このことから崖がコンクリートで固められたのは近年のことであり、それまでは江戸時代に近い景色だったのかもしれない。
もう一度尾張屋の地図を見ると、音無川左岸(北側)に「湯タキ、木タキ」と読めるが、滝だろうか。広重の絵にみる「弁天の滝」「不動の滝」のほかに下流の王子権現から落ちる「権現の滝」、さらに王子駅の北、東向きの崖線に「稲荷の滝」「名主の滝」「大工の滝」「見晴らしの滝」「飴屋の滝」があったという。これらのどれが王子七滝かは知らない。
この日の収穫は正受院だった。
暖かくなったらまた寄りたい所だ。
千駄木菜園 総目次
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