2018年4月5日木曜日

富山城と市立図書館、反魂丹

金沢の薬学会では何十年ぶりかで発表した。
最終日の午後で聴衆少なく、私も終わると皆と同じように帰路についた。
しかしまだ明るい。
富山で途中下車することにした。
どうせ早く帰ってもテレビを見て寝るだけ。
2時間帰宅を遅らせれば2時間見物できる。
もう二度と来ることもないだろうから。
富山駅の中にも入り込んでいる路面電車。
セントラム、ライトレールというハイカラな名前にふさわしい現代的な車両のほかに懐かしい形のものも走っている。
こういうものが残っている都市というのは民度が高い気がする。

レンタル自転車は30分以内に所定の各所に返せば無料だが、登録が必要。
二棟をつなげる三角の屋根。富山市役所。

おしゃれな市役所内部。
中央の三角屋根の下は吹き抜けで、三角の中庭のようになっている。
展望台に上がると、東に立山連峰。

西南の真下は富山城址(中央)。右は県民会館と県庁。
遠くに光るのは神通川。



南の堀に立つ看板地図。
これを見れば、いま富山市役所の南を流れている松川(桜はまだだった)は、かつての左から右へ蛇行して流れる神通川の川床で、城北の外堀であったことが分かる。

今調べたら、水害対策のために神通川の川道をまっすぐに変えたのは、1901年(明34)以降らしい。
最初は分流路を西側に作ったのだが、だんだん本流(今の松川)に流れなくなったので埋め立て、県庁や町ができたようだ。
県庁、市役所と城址の間に標高差はほとんどないから、城は大河に浮かぶような景色であっただろう。
唯一残る本丸南の堀。
模擬天守は郷土博物館



前田正甫(まさとし、1649-1706)
初代の利次ではなく、彼が銅像になっている。
江戸城腹痛事件で反魂丹をすすめ、これがきっかけで全国に評判が広まり、薬王国富山が生まれたという話は以前、薬学昔々(→クリック)で書いた。

ちなみに、
利家1ー✛利長2
    ✛利常3ーー✛光高(利高)4--綱記(綱利)5
          ✛利次(富山藩初代)--正甫
          ✛利治(大聖寺藩初代)
である。
富山藩江戸上屋敷は、前田本家のとなり、本郷の東大病院のあたりである。


美しい庭園には柵がなく、池に突き出た岬の芝生にカップルが座っている。
佐藤美術館は模擬天守より城っぽい。

復元した城門かと思ったら、城址公園の地下に作った駐車場の入り口。

富山市は道が広い。
大空襲にあったからか。
富山市立図書館にびっくり。
この木の使い方は、やはり隈研吾だった。
エスカレーターもデパートのようにフロア内のある場所に行儀よくコンパクトに収まっているのではない。建物に対して斜めの方向にあり、一階上がるごとに、天然木の床を歩いて、また違う斜めの方向に上がるエレベーターに乗る。
富山市はいいものを作った。
北陸というのは保守的、家が広い、とくに富山は教育熱心と聞くが、その通りだと思う。それにおしゃれ、ということを付け加える。

富山で途中下車した目的の一つ。越中反魂丹の店を見ること。
池田屋安兵衛老舗
中に展示物があり、店の人もいらしたが、閉店時間も過ぎていたので見学断念。
もっとも、漢方薬は買う気がないので、見学だけでは入りにくい。


車のスモールランプも付き、薄暗くなってきた。
富山市売薬資料館、廣貫堂、金岡邸、なども見たかったが、もともと時間はなかった。

なお金岡邸というのは、江戸時代から300年の歴史を持つ薬種商で、豪壮な母屋などは国の登録文化財、資料館となっている。
日本薬学会会頭であられた北大名誉教授、金岡祐一先生のご実家である。かつて私もイオンチャネルを研究していたので、生物物理の対象であったNaイオンチャネルを有機化学の面からアプローチされた合成化学者の大先生として、深く記憶している。

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