亀戸天神に行ってきた。
ダンスの競技会が錦糸町駅前、すみだ産業会館であり、終わった後、15分ほど歩いて着いた。
2018-04-29
スカイツリーと太鼓橋
有名なフジはほとんど終わってしまった。
遅咲きの木でも先週22日ころが見ごろだったとか。
2つめの赤い橋。
赤い橋を見ると、太宰府天満宮が舞台の、さだまさし「飛梅」を思い出す。
私は1977年、本駒込のアパートで独りギターを抱えて歌っていた。
心字池にかかる 三つの赤い橋は
一つ目が過去で 二つ目が現在(いま)
3つ目の橋は未来で、彼女が渡るのを(今が幸せすぎて)怖がったような歌詞かと思っていたが、帰って調べたら違った。
三つ目の橋で君が 転びそうになった時
初めて君の手に触れた 僕の指
手を合わせた後で、 君は神籤を引いて
大吉が出る迄と、 も一度引き直したね
登り詰めたらあとは 下るしかないと
下るしかないと 気付かなかった
天神様の細道
この亀戸の橋、今はコンクリートの階段になっているが、昔は両端にある手すりにつかまらないと登れないほど急斜面のアーチ橋だったそうな。
大宰府も階段ではなかった気がするから、それでは、さだまさしの彼女も転びそうになるだろう。
また、この詩の最後にもあるが、天神様の細道とは何か。
たとえば「とおりゃんせ」の
ここはどこの細道じゃ、天神様のほど道じゃ、というのはどこの天神だろうね。江戸時代からあるのは以下の7つ。
成子天神社(新宿区)
菅原神社(世田谷区)
平河天満宮(千代田区)
牛天神北野神社(文京区)
湯島天満宮(文京区)
五條天神社(台東区)
亀戸天神社(江東区)
今日で下の4つは行ったことになる。
天神というのは、道真が藤原氏によって九州に左遷されて死んだ後、都で落雷、大火、疫病が相次いぎ、はては左遷にかかわった者も亡くなったのだが、雷(天神)が道真の霊と思われたから。
ところで、ふる里、信州中野で「天神さん」というと別の意味になる。
掛け軸である。
子どもが生まれると親戚などは絵の掛け軸を贈る風習があった。画題は座った菅原道真や(もちろん当時は道真とは知らなかった)、ほかに騎馬武者像があった。妹がもらったのは平安装束の御姫様とか爺さん婆さんの高砂とか。
高砂の絵でも何でもこれら掛け軸を一括して「天神さん」という。どれも子どもが見て喜ぶ絵ではないが、とくに道真の絵は平安装束の坐像に過ぎず、同じものが多くあることもあって、つまらなかった。
毎年暮れに大掃除が終わると「さあ、天神さんを飾ろう」と、農家の広い座敷の4面に飾る。家は本家だったから(と言ってもふつうの農家)二、三十本ももらい、座敷の入り口と仏壇のところ少しだけ残し、それでも場所がないので重ねてかけた。
いつのころからか、我々が大きくなったからか、あるいは祖父が死んだ頃からか、天神さんは飾らなくなり、同時に座敷で年始客を呼ぶこともなくなった。
2018年、亀戸の境内はカメのいる池と藤棚がかなりの面積を占め、5月連休中、外国人いっぱい、大勢が屋台の並ぶ狭い通路(細道)を歩かねばならないということで、とても菅原道真、さだまさしを忍ぶ雰囲気ではなく、もちろん信州中野の座敷の記憶をたどることもなかった。
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