3月21日、赤津さんのパーティが浦和パルコの上、コミュニティセンターであった。
2021‐03‐21 東口
1階から7階までシネマ、レストラン含む商業施設、8階から上、図書館やコミセンのある公共部分はコムナーレというらしい。ビル全体はストリームビルというみたいが、みな浦和パルコと呼んでいる。
浦和駅1984‐86 国土地理院
2007年開業のパルコができる前、東口は駅前広場すら十分ないような裏口だった。
とくに83年から89年までは東大宮にいたから、浦和駅の4番線ホーム(宇都宮線下り)に立つと、線路の向こうがブロックの壁になっていて、飲食店の換気扇の出口などもあり、その上を貨物列車が通過していた。
1988年、貨物線を高崎線、宇都宮線の通勤電車が1時間に1本程度通るようになる。
2004年、それらが浦和駅にも止まれるよう、駅の大改造が始まった。
電車の運行を止めずに、貨物線のホームを新たに作らねばならない。またホームの分だけ幅も広げなくてはならない。
2007
線路工事は東口の再開発と一体化したもので、一番東の1番線(京浜東北線南行き)の東に新たに高架の線路を作り(上の航空写真)、順次線路を東側に移していった。
2013年3月、9年の工事で新たな5,6番線が完成、湘南新宿ラインが止まるようになった。私はちょうど転職、引っ越したときで、ばたばたしていてこのニュースは記憶にない。
2015
2021
5番線から3,4番線を見おろす。
2021
3番4番も高架になって、かつての貨物線との高低差も小さくなった。
浦和駅は中山道のある台地の東ふちに作られたため東口が低い(別ブログ)。
2021‐03-21
しかし西口広場に立てば、景色はそれほど変わっていない。
伊勢丹とコルソは、別だと思っていたが、全体でコルソというらしい。
専門店の入るコルソがA棟、伊勢丹側がB棟。
埼玉は大きな書店がなくて、大宮のそごうに三省堂(1987年)、ロフトにジュンク堂(1999年オープン、いま高島屋に移転)ができるまでは浦和の須原屋しかなかった。中山道の本店は少し離れていたが、コルソに支店があったのでよく立ち寄った。
ダンスショップのセキネもあったな。
コルソと伊勢丹は各フロアでつながっているため、歩行者が向こう側に行けるよう、間に通り道がある。抜けると柏屋楽器店。
2002年12月、家の近くでジュニアオーケストラを作るという話があり、当時小学4年生だった次女が興味を持った。
私はそれまでバイオリンというものに触ったことがなかった。当時はまっていたヤフーオークションに中国製の新品、5000円のバイオリンが出ていたので買った。
届いて早速弓を動かしても全く音が出ない。松脂を塗ったら大きな音が出てびっくりしたほどのド素人。それでもギターの経験があったので、きらきら星はすぐ弾けた。
バイオリンで何十万以下はおもちゃと言う人がいるが、すぐ飽きる私にはこれで十分。たとえ何百万しても値段に見合う音色の有難さは分からない。
次女に買った子ども用は15800円だった。彼女は楽しんで練習し上達、高校生のときバンドを組んで学園祭でかっこよく弾いていた。
この柏屋楽器にはバイオリンの弦、肩当や譜面台など小物をしばしば買いに来た。
大宮の下倉楽器などより安かった。
浦和に来る時は必ず古書店巡りをした。
大宮の古本屋は漫画と文庫とエロ本がメインで、掘り出し物がない。埼玉では浦和と川越にいい古書店があった。
11:19
中でもコルソの裏の古本屋は一番で、1995年ころからよく来ていたが、なくなっていた。
1997年2月9日、ここで戦前の新聞や修身の教科書など見つけて買っている。
昔の日本史教科書は神話から始まっていた。
途中、旧中山道にぶつかる。
浦和で一番の通りのはずだが、繁華街という感じはない。
2021‐03‐21 11:36 須原屋本店
かつては埼玉一の書店、わざわざ電車に乗って来たものだが、今ここに立っても入る気がしない。ネットに無料で読める文章が氾濫しているのも原因だろう。本屋が減るわけである。
そのまま、すぐそばの玉蔵院の枝垂桜を見に行った。
別ブログ
20210322 浦和1 調神社の狛兎、古代の地形と倉庫
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