2022年4月2日土曜日

京都9 京大・西部講堂とノーベル賞

 

3月19日、
鴨川の土手を上がり京大薬学部、医学部を過ぎ、東大路通りに出た。
通りを渡れば京大正門、時計台のある吉田キャンパス本部構内だが、その前に西部講堂を見にいった。

2022-03-19 14:12 西部講堂
初めてきたのは16年前の2006年12月。
衝撃だった。
大通りから見れば、草の生えた空き地の向こうにお寺のような建物。
無断駐車禁止、ごみ投棄禁止の立て札、
群なすカラスが鳴いていて、立派な瓦屋根には大きな落書きの黄色い星3つ。
16年で木が大きくなったのか星は見えなくなっていた。

北側は、生協購買部、サークルの部室であったが、これもガラスが割れていて荒れていた。
いまは建て替えられて空き地がなくなった。

京都で一番の観光スポットは金閣銀閣などではなく京都大学だと思うが、その中で一番の魅力は時計台ではなく、この荒れるに任せた西部講堂ではなかろうか。

チケット販売所のような造作があるが、今使われている様子はない。


14:14
講堂の周りは廃車と廃タイヤ。
東大駒場寮の東裏を思い出す。
自動車部が使っているのだろうか?
こんなに廃タイヤは必要なく、他の大学なら撤去させて新たなビルを作るだろう。

裏に回る。
以前来たときは、誰かの洗濯物が干してあり、もっとしっかり野菜が作られていた。

今も誰か住んでいるようだ。
しかし16年前の人なら老人になっている。
学生が代々住んでいるのか、関係ない市民が入れ替わり住んでいるのか、ただの旅行者にはわからない。

学生であれ、部外者であれ、不法占拠にみえる。

しかし、あとで書こうと思う吉田寮とともに、西部講堂の存在こそ、東大と比較したときの京都大学を表している気がする。

東大との比較で分かりやすいのはノーベル賞受賞者である。

日本の大学を出たノーベル賞受賞者は、外国籍の3人(南部、中村、真鍋)を含み28人。
そのうち東大9人、京大は8人と拮抗しているが、東大は佐藤、川端、大江の文系、ビッグサイエンスの小柴らを含む。世間一般が抱くノーベル賞学者のイメージは、大隈らコツコツと研究する人々で、湯川朝永福井利根川野依赤崎本庶吉野まで京大が圧倒的に多い。

これは明らかに差がある。

入試の段階では大して差がないだろう。
関東、関西の高校生の差はお笑いに差があっても研究者資質では差がないだろう。
九州の高校生がどちらに行くか考えた時、大都会か古都か、どちらを好むかという差もたいして関係ないと思う。

カギは大学4年間とそれ以降にあるだろう。

1.中央と地方
政府の諮問委員会とか調査部会の委員は東大教授が多い。
事務局としては1,2時間の会議に新幹線で来てもらうのは申し訳ないし、交通費もかかる。

教授が留守をするのは構わないが、雑用を助教がさせられたら研究室にしわ寄せはくる。
学会の事務、著作の時間も東大教授のほうが多いだろう。
普通の教授は忙しい忙しいと言いながら、案外喜んで引き受けている。

研究の進捗が遅れても、学会報告だけはしなければならないとなると、小さい研究ばかりになる。

ノーベル賞間違いないと思われた沼先生はほとんどそういう雑用は受けなかった。
京大生理学教室の野間先生はしょっちゅう我々のところに話しにいらしたけど、同じ生理学の東大伊藤正男先生は、余り学生指導はされなかったのではないか?
伊藤先生でなくても、学生を放任している教授は多い気がする。
教授と学生の距離は、たぶん明治以来、伝統のようになっているのではなかろうか。

脚気菌、スモンキノホルム説を押し通した東大医学部に対し、脚気ビタミン説(島薗)、スモンウィルス説は京大から出た。教授と違う意見は出しにくいという権威主義は、もう緩んでいると思うけれども。

2.進学振り分け
京大理学部は物理学科も生物学科も併せて一括で募集する。
1年後に各学科(系)に分かれるようだが、その選考は東大のようにぎちぎちではない。

東大は2年前半までの3期の成績で進学先が決まる。
この1年半、好きなことを考え、好きなところに行けるのと、嫌いな科目を仕方なく勉強して、その挙句に興味ないところに進学するのは違う。

京大理学部、進学振り分け2016

1970年代の東大は、物理と生物は入試から科類で分かれていたし、1年半後の進学振り分けでは理学部の各学科はたいてい定員以上の志望者がいて、きっちり成績順で振り分けた。さらに、生物学科(24人)などは、その中でも動物12人、植物8人、人類4人を別々に採用した。私は植物学科に行きたかったが、8人だと最低点が読めず、特に興味もなかった薬学に志望届けをだした。留年したくなければ、よほど成績が良くないと、希望通りのところには行けない。

一方、京大は物理と生物も区別せずに理学部一括で入試があり、それ以来一緒に過ごす。
将来学際領域で研究するときは交友関係が役立つだろうし、入試延長のような教養定期試験用勉強でなく、じっくり本を読みながら自分の興味、専攻先を見極められる。こちらのほうが優れていると思う。

3.西部講堂と吉田寮とノーベル賞

ノーベル賞と一番関係あるのは、この廃墟のような2つという気がしてきた。
不法占拠のような問題になってから何十年もこういう建物が存在しているのは、大学の緩さと、住人(学生)の頑固さが日本の大学で頭抜けているからだろう。

大学の緩さというのは、教員、学生の雑用が少ない(少なかった?)ことを意味する。
今、大学(国)は管理が細かくなっていて、研究以外の雑用が多すぎる。

学生の頑固さは、たいていの場合、問題になるけれども、基礎学力のある頑固者100人のうち一人くらいはノーベル賞につながるかもしれない。上の言うことを聞いているばかりの優等生では学会発表はそつなく何度もできるだろうが、ノーベル賞は難しい。

14:18
隣のサークルの部室は新築したとき、ぎりぎりまで西部講堂まで迫ったが、講堂は壊せなかったようだ。この日、楽器の練習をしている学生が二人いた。
部外者として西部講堂はずっと残っていてほしい。

東大路通をわたって本部構内に入る

14:21 京大博物館
入館料400円は珍しい。たいてい大学の博物館はただである。
コロナで予約者しか入れず。

14:26
福井謙一先生ノーベル化学賞受賞の記念碑
本部構内北西の隅、総合研究1号館の東にある。

受賞は1981年就職した年だった。
有機化学研究所の友人たちと盛り上がったが、内容は難しくて深入りできなかった。
まだ若かったし、会社もゆるかったから、企業研究にも夢があった。


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