2020年6月24日水曜日

コロナ自粛明けの谷中銀座

6月21日、全都道府県をまたぐ移動が解禁になった初の日曜日。
このところ、人出は週が変わるたびに増えていく。
コロナはなくなったわけではないが、付き合っていくしかないだろう。

道灌山下交差点のマイバスケットあたりから長い行列。
ここらで行列といえば、もっと先のウェルシアのマスクとポポーのサンドイッチくらい。
なんだなんだと思ったら、唐揚げ屋の新規開店。

2020-06-21 12:04
からあげ専門・千駄木屋

ここは2013年来たときは大島ラーメンだった。
90年代は20店舗を展開していたらしいが、2013年に経営破綻、ここ千駄木を新本店として再出発したとネットにあったが、それ以前からここは大島ラーメンだったと思う。
店が入っているマンションの名前はベルーフ大島という。

神無備、つけ麺TETSU(本店)、いっとく、麺屋・義(ヨシ)、と不忍通り道灌山交差点付近はラーメン激戦区。大島ラーメンは2016年ころ閉店し、節骨麺たいぞう千駄木店となった。

節骨麺も入ってみないうちに閉店、今度はテイクアウトの唐揚げ屋になった。
唐揚げ専門店は道灌山交差点の動坂寄りにもある。
普通に考えれば厳しそうだが、外国人含めた一人暮らしの需要を狙うのだろうか。
向かいの西菜亭から変わった日暮里食堂も苦戦しているし、大体、飲食店が多すぎると思う。

よみせ通り
まだ人出はちょっと少ないかな。
越塚ハムのあたりは多かった。

12:07
谷中銀座入り口から南も観光客はぽつぽつ。

12:07
角の弁当屋さん、トーホーはじめ閉店したままの店も多い。
しかし人出はかなり戻っている。

12:08
越後屋酒店の前でビールケースに腰かけて飲む観光客はいなかった。
肉のサトー、肉のスズキは開いており、メンチカツも売れていた。
もともと自分の家で営業しているならいいが、家賃を払っているところはきついだろう。

地元の人は、ここでは買い物しないから観光客がいないとやっていけない。
しかし谷中はまだよい。本格的な観光地はもっと悲惨である。

不要不急、なくても困らない業種だし不安定。インバウンドをあてにして新規に開業あるいは規模拡大するときはリスクを考えなくてはいけなかった。この数年、外国人相手にさんざん儲けたところは、自業自得、自己責任という気もするが、行政の責任も重い。

この国は総理大臣自ら訪日外国人4000万人などとアドバルーンを上げた。
日本の国土は総理大臣と観光業者のためにあるのではない。
民泊法をつくり旅行者増加の追い風とし、各自治体までインバウンド産業の後押しをした。経済活性化のために日本の観光地は品の悪いテーマパーク化した。
実質移民を容認、家族の移住を認めたことも、日本を身近なものにし、友人を訪ねる旅行者を増やしたただろう。

変な投資をしなければ損害も少なかった。
そもそも経済活性化とは必要だろうか?
人口が減っていくのだから経済縮小は仕方がない。細々と現状維持を目指すべきだったのである。どの企業も前年比売り上げ増を目指すの異常ではないか。同じ口で地球にやさしいとかSDGsとか言ってたりして、ちゃんちゃらおかしい。
身の丈に合った、欧州の小国を手本にするべきだろう。
12:10
少し頭を冷やし、観光業者は5年前?10年前?に戻るべきではなかろうか。
知性のない政府に踊らされ、業者が多くなりすぎた。
今後しばらく国内旅行者だけとなり、多くのホテル、土産物店が倒産するだろう。
本来、インバウンドを見込んで新規参入した業者が5年前の規模まで縮小、撤退すればいいのだが、昔から真面目にやってきた老舗も倒産するのである。これはかわいそうだ。

池之端の鴎外荘水月ホテルは先月閉館、
日暮里のラングウッドも再開のめどが立たない。

政府がやるべきは、go to キャンペーンなど一時しのぎの政策ではない。
いくら税金をつぎ込んでも異常に増えたホテル、旅館などは救えない。
なんとか五輪後もインバウンドなしでもやっていけるレベルに軟着陸できるよう、縮小に向けた援助である。

本来ホテル、旅館、土産物店などは電車、バスと同じで、社会にとって必要なインフラであり、国民に息抜きの娯楽を与えるものだ。それが国民を無視してインバウンド目的の経済活性化、金もうけの手段にしてしまった。しかし景勝地などはそこを訪れる国民みんなの財産であり、観光業者のものではない。
この機会に政府と業者は目を覚ましてほしい。
三密の典型のようなザクロがやっていた。
以前よりさらに賑やかになっていた。

夕焼け段々を上がり、ふと左をみる。
12:11
長らく階段の上にあった冨士見ホテルが解体されるのだろうか?
昭和から変わっていない路地の奥は通行止めになっていた。

この日は新御徒町の娘の新居に行く。
手土産は彼女の好きなイナムラショウゾウにするつもりが行列。
上野松坂屋へ行くのも面倒なので、前と間隔のあいた足形の上に並ぶ。
店内はマスクして3組ずつ入る。

浄名院そばの店は桜があって、外で待っているとミントの浮いた冷水をもてなされたりして好きだったのだが、昨年7月に閉店した。2013年だったか、秋山木野小山さんを上野の噴水から我が家に連れてきたとき途中で彼女らが買ってくれた。
今はかつて喫茶もあったショコラティエの場所だけになり、ケーキと洋菓子を売っている。
駅ビルにおしゃれなケーキ屋がいっぱいある時代、競争も厳しいのだろうか。


イナムラショウゾウの向かいもそうだが、谷中墓地と朝倉彫塑館に挟まれたこのあたりは古い家が残っている。

12:23
この建物は40年前はラブホテルだった。
塀もそのまま。
今、どういう風に利用されているのだろう。
一階は和食のたんぴょう亭である。

右側は御殿坂に面したマンションの裏にあたる。
一階が喫茶ルノワールだが、レンガ塀はその昔のネクタイ工場のものらしい。
谷中に住んでいたとき、最寄り駅は日暮里だったからごくたまに通った。

12:26
御殿坂に出るとずっと工事中だった日暮里駅の入り口が新しくなっていた。
昔の入り口がどうだったか、仮設トイレのあった昨年までの形は覚えているが、40年前の景色は思い出せない。



2020年6月22日月曜日

梅雨の桜にベッコウタケ

生ごみから出てきたジャガイモを放っておいた。
葉っぱが枯れてきたので掘ってみたら、ゴロゴロじゃなく、ころころと出てきた。

2020-05-28
ここは自転車置き場わきの暗くて狭いとこなので、気を入れるものは作れない。
適当に小松菜でもまいた。
すぐに発芽したが、ヨトウムシ?に食べられてしまった。

2020-06-06
ふと、桜の幹の下のほうに気味悪いキノコ。
根元に張り付いている。なんだろう?
 サルノコシカケと違い、やわらかい。
しかし強く推すと、汁がにじみ出るほど水っぽい。
弾力性があり、引っ張りに強いからスコップを樹皮との間に入れてこじ開けるようにするとごっそり剥げた。

2020-06-06
庭に放置するのは気持ち悪いのでレジ袋に入れた。ずしりとする。
数日後、ゴミに出そうとすると小さなハエがいっぱい飛び出た。
アンモニアの臭いがする。
キノコ(真菌類)は細菌や動物と違い、堅牢な植物体をグルコースとアミノ酸まで分解して栄養とする、という教科書の記述を思いだした。

真菌に属す、キノコ、カビ、酵母というのは生物分類学上の呼び名ではない。
単細胞のまま繁殖するのが酵母、多数の菌糸(細胞が一列にならんだ生物体としての単位)が集まった糸状菌のうち、小さいものがカビ、大きく子実体を作っているものをキノコとする。
分類学上は多くのキノコが含まれる担子菌門 (Basidiomycota)、アオカビなど含まれる子嚢菌門 (Ascomycota)、といろいろあるが、生活環の中でいろいろな形態をとるから、分類は今も難しいらしい。

2020-06-10
ほうれん草の種をとる。昨年は6月2日だった。

6月11日、梅雨入りした。
今年の雨、日差し、暑さはどうなるだろう?

2020-06-12
温州ミカンはあれだけ実がなったのにほとんど落下した。

もうあと数個しか残っていない。
摘果どころではない。
一つでも秋まで持つかどうか。

2020-06-15
トウモロコシはまだこんなに小さいのに雄花が出てきてしまった。

落花生

2020-06-15
キャベツはいまいち

ネギも害虫にやられている。

2020-06-15
1週間でここまで生えてしまった。

キノコというのは目に見える部分が胞子を作る子実体で、本体は見えない菌糸のほう。
本体は桜の木のほうに深くはびこっているようだ。
枝なら切除できるが、根元ではどうしようもない。

真菌なら抗カビ剤が効くか?
風呂場のカビキラーは次亜塩素酸など入っているだろう。
水虫薬のアゾール系はラノステロールの脱メチル反応を阻害し、水虫(真菌)のエルゴステロール合成を抑える。
動物のコレステロール合成も抑えるが、人間は食べ物からコレステロールを取るから問題ない。
しかし植物はシトステロールの合成を阻害されるから良くない。
まあ、それ以前に樹木に浸透した菌糸に水虫薬を染み込ませるのは不可能に近い。

ネットで検索すればベッコウタケらしい。
悪質で桜を枯らすという。
倒木防止のため、伐採する例が多い。

この老木、今年2月に大きな幹を切り落とし葉っぱが少なくなった。
抵抗力が弱まったのだろう。
強風による倒木を防ぐため、重心を低くしようと強剪定したのが裏目に出た。

家族が重い病気になったような、そんな気分である。

20190812 ほうれん草は夏に発芽せず
20190410 開花から桜吹雪まで

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2020年6月21日日曜日

サツマイモの親苗からつるをとる

4月28日、ナスの苗を買いに行って、たまたまサツマイモの鉢が目に入った。
348円
芽の出た親芋として、ここから伸びてくる蔓を切って植える。

サツマイモは食べるだけで育てたことはなかった。
伊奈町にいたころ(89.6-96.5)、たぶん91年ころだろうか、生ごみから発芽したものを抜いたらほんの小さな芋ができていた記憶がある。
一度くらいちゃんと育ててみるか。

2020-05-01
苗購入の翌29日、植えてすぐ先端を切る。
生長点を切られたら8,9枚ある葉っぱの根元から脇蔓が伸びるはず・・・。

ところがちっとも蔓が伸びない。
サツマイモは蔓を植えてから4か月以上、うちは日当たり悪いからそれ以上育てなければならない。一日も早く蔓を植えなくてはならない。

最初から植え付け用の蔓(茎)を買うべきだった。

しかし、迷っているうちに蔓が出回る時期は過ぎてしまう。
それでも梅雨入り(6/11)の直前にはぎりぎり植えられる蔓が伸びてきた。
2020-06-10

2本、切って埋める。

2020-06-10
その後、親株から蔓が伸びるたびに切って植えた。
6/10、6/11、6/17、6/18、6/21と、合計8本を数えた。
2020-06-17
隣は落花生

親株入れれば9本になる。
(写真は6本切った時点)

2020-06-17
落花生とともに、秋遅くまで占領するから植える場所が難しい。
トウモロコシ(右奥)の横に2本植える。

2020-06-17
挿し木と同じ、根がないから暑さ、乾燥に弱いだろう。
板を載せて日陰にした。

さて、どうなるか。

来年は最初から蔓を買ってくるか(ビバホーム、4月初旬~5月初旬、5本で398円)、
あるいは室内で芋から蔓を発芽させるか。
そうすれば、収穫も早くなるだろう。



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2020年6月19日金曜日

十二社、角筈村、淀橋、浅田次郎の大名倒産、

6月15日、妻が免許更新、そのあと四谷に出てランチしようと新宿に来た。
10:30、都庁前で別れた。

優良の講習動画は30分だろう。
待ち時間がある場合と、逆に動画が始まっても途中で入れてくれる場合もある。
11時過ぎに三井ビル前の広場で待ち合わせることにして、私は30分の散歩に出かけた。
2020-06-15 10:34
新宿中央公園
高層ビルが建ち始める1970年代に先立ち、1963年着工、1968年に都立公園として開園。
73年に新宿区に移管。ナイアガラの滝は1982年完成。
75年、大学に入ったころ、アベックのメッカという話を聞いたが、見物でもデートでも来ることはなかった。今まで45年の間、通り抜け程度に1,2回歩いた程度。
だから公園は初めて来たようなもの。
コロナというより月曜の10時半だから、人出はこんなものだろう。

10:38
実の一つだになきぞ悲しき、の上の句がなかなか思い出せなかった。
七重八重花は咲けども山吹の。

ほんとに東京は道灌が好きである。
寄贈 油井一二、製作 山本豊市 1978年4月 とある。

日暮里の、馬で去る道灌の後ろから枝をかざす女より良い。
(別ブログ)

・・・

公園の北西隅に熊野神社がある。
紀州熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)から熊野権現を勧進した神社は全国にある。本来祭神は3柱だったが(スサノオ、イザナギ、イザナミ)、熊野でも祭神が増え、熊野十二所権現ともよばれ、全国の神社も、熊野神社のほかに十二所神社、十二社神社とも呼ばれる。このあたりに残る十二社という地名の起源である。
なお、出雲大社と並び出雲一宮で知られる熊野大社は別系統らしい。

新宿の熊野神社は、室町時代、中野長者と呼ばれた紀州出身の鈴木九郎によって応永年間(1394年 - 1428年)に建てられたとされる。
彼は当初ふるさと熊野三山の若一王子を祀ったところ(王子権現と同じ)、馬の売買などで財を成したので後に熊野三山から十二所権現をすべて勧進したという。

10:41
江戸時代、甲州街道の南を流れる玉川上水から分水し、角筈村を北に流れ青梅街道辺り(淀橋付近)で神田川に入る用水があった。その途中に用水溜が2つあり、まわりは「熊野十二社」の境内になっている。
地形から見て標高差があるから、池を作ったら滝になるだろう。

復元江戸情報地図

江戸時代からここは郊外の景勝地として知られ、弁天を祀った大の池のまわりには茶店、料理屋ができた。明治になると花街となり、最盛期には茶屋や料亭が約100軒も並び、この賑わいは戦前まで続いていた。大滝の水が枯れたのはいつか知らぬが、池は中央公園が完成した昭和43年に埋め立てられたらしい。

角筈村の十二社権現や、それを建てた中野長者で思い出すのは浅田次郎「大名倒産」である。この辺りが舞台になっている。
文芸春秋2016年12月号
コメディタッチでありながら、きちんとした時代考証と巧みな言葉遣い、
さすが浅田次郎と感心した。

主人公である丹生山松平家の先代は家督を譲ったあと、角筈村の北隣、柏木村にある下屋敷に隠居し、ときに百姓与作あるいは茶人に変装して、破たんした藩財政をなんとかしようとする。すなわち妾の子を当主にして「大名倒産」させ(公儀による取り潰し)、最悪彼の切腹と引き換えに借金を帳消しにしてもらおうと画策するのである。

大陰謀の合間に百姓仕事を楽しむ先代は、毎朝下屋敷から神田川の土手道をあるき、淀橋まで来て、欄干に腰かけ青々した畑を見ながら莨を一服した。

淀橋は姿不見(すがたみず)橋ともいった。
さらに昔、中野長者が金銀財宝を下男に運ばせ、甲州街道辺りに隠した後、この橋まで来て口封じのため下男を殺害した。村人たちは律儀だった下男を探して、この橋で血だまりをみて、納得、姿不見(すがたみず)橋と名付けた、との伝説がこの小説にも書いてある。

淀橋から用水路沿いに上れば、熊野十二社権現である。
茶人に変装したご隠居がしばしば腹心と大名倒産のために密談するのは、境内、大池のほとりの茶室であった。

浅田が創作した越後丹生山藩松平和泉守は、小石川に上屋敷、駒込に中屋敷、柏木村に下屋敷をもっていた。
三つ葉葵を紋所とする御家門で、小石川に上屋敷を持つものは確かに松平播磨守(常陸府中)、松平大学頭(陸奥守山)とあり(別ブログ)、架空の藩であっても、いかにもありそうな設定で感心した。

10:44 
熊野神社前交差点。十二社通り(左右)と北通り。
右向うが新宿公園、熊野神社
池は神社と今の道路をはさんで西側(写真、右手前)にあった。
江戸時代どころか戦前の面影もないが、かつて畑の広がっていた角筈村を歩いてみる。

10:45
ビルに囲まれた交差点から入るといきなり昭和。
このギャップはすごい。

カレーの匂いがしてきた。45年前も同じ匂いだっただろう。
余計懐かしさが募る。

10:48
柳橋。川は暗渠になっている。
柳は記念するため近年植えたものだろう。
かどの八百屋さんも良い感じ。

古地図をみれば幡ケ谷村と角筈村の境を流れ、神田川に合流する川がある。
杉並区和泉の窪地を源流とし、玉川上水と神田川の間を流れた。
暗渠となったのは昭和30年代で、橋も川跡もしっかり残っているのに固有名詞としての川名がない。
神田川笹塚支流、東京都下水道局十二社幹線(法律上の名称)、和泉川、砂利場川などさまざまに呼ばれる。

橋の袖に昭和7年と書いてある。
ちょうど淀橋区となり東京市に編入された年で、往来も賑やかだったであろう。

振り返ると都庁のビルが見えた。
1977年、中学の同級生町田憲一君が高専を終えて、さらに勉強するため上京した。
彼のアパートは東中野にあり、泊まりに行った翌日、新宿の高層ビルを目指して二人で歩いた。
この道を通ったかもしれない。

10:55
幡ヶ谷村(左)と角筈村(右)の境をあるく。
この辺り丘もあって地形が複雑。たぶん江戸時代は境に川があったのだろう。

10:56
左、角筈村(いま新宿区西新宿5丁目21)
向う、幡ケ谷村 渋谷区幡ヶ谷3丁目23
右、本郷村 中野区弥生町1丁目1
すなわち3区の境になっている。中野区側の家が貴重。

角筈村は文政元年の朱引きの内側、すなわち江戸市中だった。
(ただし墨引き線には入らない)

3区境からすぐ先に橋が見えた。
神田川が北東に流れていた。
そのままいけば淀橋をすぎて、4月に歩いた落合で妙正寺川と合流する。(別ブログ)
10:57 菖蒲橋
アヤメ橋の名は新しそう。
すぐ上流に宝橋、その上流が山手通りの中野長者橋である。
ここまでくると、宝を隠した中野長者による殺害現場?淀橋まで行ってみたくなる。
しかし、待ち合わせ時間が迫っている。
高層ビル街に戻らねばならない。

10:59
柳橋に通じる暗渠道。
グーグルビューを見たら、真ん中に滑り台があり、右街灯の向こうは錆びたトタンの家だった。変化は速い。

11:00
再び都庁が見えた。
どう考えてもこういう家が残るとは考えにくい。
新宿から歩ける便利さ、マンションにならないのが不思議なくらい。
と思いながら急ぐ。

11:03
新宿中央公園の北まで来た。
バス停を見たら「十二社池の下」という名前だった。
よく「熊野神社北」、「中央公園北口」などとつけなかったものだ。

早歩きしながら妻にメールする。
11:06 「ごめん、いまセンチュリー」
11:08 「住友三角ビルにしよう」
と、ふと気づいたら
10:48に「講習、11時半からだって」とメールが来ていた。

可哀想に、混んでいて1時間待ちか。
もう一度神田川、淀橋の方に行こうかと思ったが、高層ビルも懐かしく、12時までそちらを見物することにした。(別ブログ)

ちなみに、ヨドバシカメラに名を遺す地域名としての淀橋は、明治22年、南豊島郡柏木村、角筈村が合併した淀橋町から始まる。明治29年には 南豊島郡と東多摩郡が合併し豊多摩郡となり、郡役所もおかれた。
1932(昭和7) 淀橋町、大久保町、戸塚町、落合町が合併、淀橋区となり東京市に編入される。
1947(昭和22) 四谷区・牛込区と合併、新宿区となった。



別ブログ
20200502 神田川と妙正寺川は合流しない?
20190502 金杉踏切から日暮里、道灌像、ラングウッドへ
20200606 三百坂と陽だまりの樹
20200615 ニューオータニ庭園の松でおしゃべり

千駄木菜園 (総合)目次