薬学雑誌 1910年度(第340号) C1-3
第80話、81話と薬学会の起源について考察した.
ところで,明治13年(1880年)以前にも「薬学会」があった.
これも下山,丹波,丹羽が中心となっている.
明治11年3月に第一回生として卒業し,母学に残った彼らは,在学生,教員,学外の賛助者を加えて毎月勉強会を開いていた.そして同年11月,「薬学会」を結成,「東京薬学新誌」を発行する.しかし資金難から明治12年11月発行の7号で廃刊,同時に「薬学会」は解散した.
この時のメンバーには,柴田承桂,大井玄洞,飯森挺蔵,熊沢善庵,松原新之助ら教官も含まれ,全51人である.翌13年1月、新年会の30人で始めた親睦会的集会よりも,ずっと薬学会らしい.中心となっていた下山はじめ,多くの会員が共通しており,雑誌廃刊から親睦会の新年会まで1,2か月足らずなのだから,明治13年創立とする薬学会は,明治11年から連続しているようにも見える.しかし現在の薬学会が,学問的大志を抱いた11年の学術結社よりも,たまたま開いた13年の親睦新年会の方を起源としたのは,81話で述べたとおりである.
ところで,第一次薬学会が発行した「東京薬学新誌」は,順天堂医事雑誌(1875),東京医事新誌(1877)に続いて1878年に創刊された.医薬系雑誌としてはかなり古い.残念ながらネットで見られず,現物は東大薬学部にもない.金沢大,東北大,京都・日本文化研究センター,内藤記念くすり博物館などにはあるようだ.関東の人なら東大法学部付属の明治文庫に行くと手に取って見られる.
ちなみに明治12年1月発行の第3号をみてみる.
裏表紙うらに「社員」全員51人の名前がある.社はSocietyの訳だ.会員即出資者という状況であった.表紙を入れて32ページ,両面印刷ではなく2つ折にして綴じている.
第三号目録
○薬学会記事
紫根の試験
有機酸分別の論
栄養論
キハダと黄檗と異なるの説
○中外抄譯
癩病「レプラ」に「グルコン油」の寄効ある説
日本酒製造法並びに酒母分析実験説
酒の説 ヲスカルコルシェルト氏著
○投書
毒蛇咬傷治験
東京薬学新誌は,表紙に毎月2号発行とあるが月1回であった.
定価7銭5厘.府内12冊分前金69銭,24冊1円33銭と,長期契約の割引料金まで示していたが,第7号で廃刊となった.
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