2019年6月12日水曜日

横浜の地形 根岸競馬場の廃墟

6月9日、横浜市体育館でダンス競技会があった。
一回戦で負けてしまい、たっぷり時間ができたので、地形探索に出かけた。

関内から電車に乗って石川町、山手をすぎ、根岸でおりる。
国土地理院のHPから作製

海抜2mの根岸駅から出ると目の前に高台がある。
いかにも神奈川南部の海岸に見られる地形。

台地の上と下と平らな面が二つあるから、思うに、
1.平らな海底が隆起し、(台地が生成)
2.海側は波に洗われ崖ができ、陸地側は川で浸食されて谷ができ、
3.再び海底が隆起し、根岸駅など海岸近くの平坦地ができた
と、二回隆起したのではなかろうか?

ただし、西に掘割川があって台地が島状になっている。すると浸食されて谷ができるには川の水量が少なすぎるが・・・

その台地の上に上がっていく。



関東ローム層は柔らかく、このあたり大雨になると崩れそう

上がっていくと木々の間から海が見えた。

荒井由実の「海を見ていた午後」
東京に出てきた1975年、よく聴いていた。

>あなたを思い出す この店に来るたび 
>坂を上って きょうもひとり来てしまった

って、この坂じゃないだろう。
きつすぎる石段はあの歌に似合わない。
もっと広くて緩やかでないと。

>山手のドルフィンは 静かなレストラン
>晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
>ソーダ水の中を 貨物船がとおる 
>小さなアワも恋のように消えていった

せっかく来たし、好きな曲だったから、入ってみようかなと思った。
12時前だから海側の席も空いているだろう。梅雨空で曇っていたが、船くらい見えるかもしれない。

しかし、ランチが2480円、まだ腹が減っていなかった。
止まっている車や店の内装もちょっとおしゃれすぎて恥ずかしい。
私など場違いな気がしたので入るのはやめた。

ドルフィンのすぐ先に根岸森林公園がある。
不思議なことに、周囲の道が陸上のトラックのように楕円である。


慶応3年、1867年に我が国で初めて作られた洋式競馬場の跡だという。

居留外国人の娯楽施設として作られたが、1880年には日本人も入会可能となり、1888年にはレースの馬券が発売された。しかし競馬場の会頭、運営は依然として外国人だった。

明治政府は不平等条約の改正に当たり、頻繁に競馬場を訪れ、ここが外交の舞台となった。最も権威ある天皇賞もここで始まったらしい(1905年)

なお、日本人による競馬会ができたのは1906年である。

根岸競馬場は1937年に横浜競馬場と改称され、戦争が激化した1942年に競馬は休止、43年に閉鎖された。
軍に接収された後、戦後アメリカ軍が進駐、ゴルフ場や駐車場になった。

楕円の中の窪地が芝生の広場になっている。
1969年にゴルフ場だった部分が返還され、横浜市が整備、1977年に公園としてオープンした。

他の公園と違って観光客はいない。
少ない地元民だけでこれだけ広いから、気持ちいい。
公園というのは、上野のように人を集めようと整備するよりも、人が少なくてほっとする場所を目指すべきである。それには施設を作らず、イベントもせず、少々不便な方がよい。

窪地の向こうに廃墟の塔のようなものが見えた。
近づくとびっくり。
 競馬場の観覧席(一等馬見所)が残っていた。
米軍が接収してくれたおかげである。
 ほんとに廃墟。





アメリカ軍が住宅だろうか、公園の一部をまだ使用している。
通りからそこへ至る道は石畳だった。
驚いたことに、横断歩道はペンキでなく、白い石を並べていた。
戦前は横断歩道などなかったと思うので、アメリカ軍進駐時代のものだろうか。
ここは不思議な地形で、ローマのコロシアム、あるいはすり鉢のように、真ん中の芝生低地をぐるりと急斜面が取り囲んでいる。
真ん中の低地にトラックがあって、周りの斜面で観客が見たのではなく、斜面の上の尾根(すり鉢の縁)がコースだったらしい。(右回り)

しかし、こんな地形がありうるだろうか?



上の地形図を見れば、どうも横浜競馬場は、谷の出口をダムのように埋め立て、楕円の周回コースを人工的に作ったように見える。

埋める前は、この谷は北に向かい、他の谷と合流しながら、山手公園などの南を走る、本牧通りに沿った川となって海に注いでいたのであろう。

すり鉢の東北の縁を越えて外の谷(横浜駅根岸通り)に降り、そのバス通りを越えて再び狭い坂を上る。鷺山竹之丸通りという尾根道を少し歩いて、

そして東に再び坂を下り、谷底にあるJR山手駅にでた。

この駅から山手公園のほうに向かって、まっすぐな谷が伸びていて、大和町通という狭い一方通行の道が走っていた。
このあたり唯一の商店街のようで、北欧という地元の洋食屋さんで食事した。

800円のヒレカツ定食を頼んだら、カツの皿に炒めた野菜がついているのに、別皿でサラダ、さらに(平皿で)コーンポタージュスープ、(サービスという)カレイのあら汁、パウンドケーキまでついていきた。

この辺りは観光客はおらず、雨水が集まるように谷の両側のこぎれいな家家から人々が下りてくる町らしかった。

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