11日に梅雨入り、久しぶりの晴れ。
東京は今年最高の32度、真夏日。
妻と新宿で用事を済ませ四谷で降りた。
ニューオータニに行く。
嫁いだ娘に「行く暇がないから」と今週末が期限のペアランチ券をもらったから。
2020-06-15
四ツ谷駅から歩く。
12:29
外堀沿いの土手にはところどころに松の老木も残る。
終わってから長尾さんとこの土手道を四谷駅まで歩いたことを思い出す。
外堀が上智のグランドになった経緯はどうなんだろう?
上智大学正門
コロナで入構制限している。
埼玉から連れてきて、私はダンスに行くので別れ、電車になれていない小学生の息子を一人で家に帰した。
無責任な父親だった。
上智グランドの向こうに武家屋敷門が見えた。
明治に紀州家中屋敷の門を移築し、迎賓館東門としたもの。
ニューオータニについた。
12:37
初めて来たのは結婚前、池田さんと丸井の展示即売会かなんかに来た気がする。
紀尾井町のうち、ここは井伊家の中屋敷だった。
紀伊家中屋敷(1823までは上屋敷)は、赤坂プリンスと清水谷公園、
尾張家中屋敷は上智大学。
(井伊と紀州が交換すれば三者とも上屋敷と近くなるが)
さてニューオータニ。
東京オリンピックに合わせて1964年開業した本館は17階建て。いまザ・メインという。
その10年後、南に建てた新館が今のガーデンタワー、地上40階。
弁慶橋近く、1991年竣工のニューオータニガーデンコートはオフィスビルである。
12:46
ガーデンタワー吹き抜け
コロナのせいか人も少ない。レストランも多くは休業中。
旧館のカフェ、SATSUKIにはいる。
手の消毒に加え、体温を測られ35.7度。気温に近い。
13:17
スープまたはサラダ
メイン(ハンバーグステーキ、サンドイッチ、など選択)
コーヒー紅茶
デザート
メニューと比較すれば3500円くらいか(税・サ別)
満腹になり日本庭園を散策
誰もいない。
14:22
自撮りしていたら作業着で草取りをされている方から「撮りましょうか?」と声をかけられた。
2020-06-15
いい庭園ですね、と褒めると「じゃあ、ここで一番のものを見せましょう」
と連れていかれ、池の中を示された。
「あれです。あれは石じゃないんです」
「木みたいにみえますが化石ですか?」
「木です。加藤清正公の屋敷にあった松の切り株です」
「え?ここは井伊家じゃなかったですか?」
「いえ、清正がお家取り潰される前、その昔は清正公の屋敷でした。400年以上昔の切り株。そこから今も松の芽が出ているんです」
(ほんとかな~?)
「それにしても広い庭ですね~」
「いや~、コロナで人が出勤していないから荒れてしまって」
確かに見れば切れ込んだ植え込みからぴょんぴょん若枝が飛び出ている。
「松なんかは業者に頼むんですけど、刈込や草取りは我々係がやるんです。素人だからあっちの植え込みの刈り方なんて曲がっているでしょう」
庭を見ながらホテルを見上げてさすがニューオータニですね。泊まったことはないんですけどロビーやレストランは立派ですね、というと
「やっぱり、うちと帝国ホテル、オークラは別格だね。外資系も増えたけど大きな宴会はできないから。私はずっと宴会のほうの責任者だったんだよ。定年でやめて5年経つけどね。お金はいらないんだけど、することもないから庭仕事してるんだよ」
「熱海の初島って知ってる? あそこのホテルはうちが運営していたんだ。そこでも働いた」
私の視線をみて、
「これができたのは昭和49年、『人間の証明』知ってる? ジョー山中の。ストローハットの形だろう? 次の年に入社したんだ。」
そういえば森村誠一はたしかニューオータニで働いていた。
「こっちが舞台になったのは007ジェームズボンド、浜美枝だよ」
と、昭和39年竣工の旧館ザ・メインに向く。
「あ、私、ハトバスツアーであの上のレストランに行ったことあります」
と妻が言うと
「そう、でも、去年からあの回転レストランは回らなくなったんです。もう部品がないんです」
回転機構は、戦艦大和の主砲の回転技術が応用され、東洋一といわれたそうだ。
「あの窓ガラスは足もとから天井まで、大型トラックに2枚しか積めなかった。カーテンの長さと同じです。一枚何百万円です」
高所恐怖症の人は泊まれないな。
・・・・
4万m2の広大な日本庭園内には茶室か四阿のように溶けんだ鉄板焼きレストランなどもある。みなコロナで休業中だった。
歩いていたら創業者・大谷米太郎(1881- 1968)の銅像に出くわした。
先月、湯立坂の銅御殿の所有者として彼の名を書いたばかりだ。
富山から出てきたが仕事がなく、力があったから相撲取りになった。しかし幕下で廃業、酒屋を経て、鉄鋼業に進出、震災復興、戦備拡充、朝鮮戦争で成長し、鉄鋼王といわれた。
秩父宮邸であった2万坪の敷地を所有していたところ、東京オリンピックでホテルを作ってくれと言われ、突貫工事で開業した。
・・・・
上の池で清正屋敷の名残の松株を見ながら妻が
「あの滝の下には降りられるんですか」ときくと
「橋を渡ってそのまま下りてください。庭にある人口の滝としては、まあ一番でしょう」
14:40
彼はほんとにニューオータニが好きだったのだろう。誇りに思っている。
話が止まらなかった。
これだけ従業員に好かれるホテルというのは、いいホテルだと思った。
あまり来たことのない私は話すことがなくて残念だった。
いつか泊まってからまたお会いしたいものだ。
20200526 湯立坂、銅御殿、団平坂、
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