松代駅に寄った。
経営が苦しい長野電鉄は、木島線(2002年)に続き、松代を通る屋代線(2012年)も廃止した。しかし廃止5年後の駅舎はよく保存されている。
嬉しい。
確か、単式1面、島式1面の3線のホームがあったが、そこは今、無料駐車場になっていた。
点字ブロックが残るホーム
駐車場の向こうは松代城(川中島合戦のころは海津城といった)
案内板もそのまま
バスの待合所として今も使われているようだ。
外に出ると汽車ポッポの歌碑。
作曲した草川 信(くさかわ しん、1893- 1948)は松代出身。
彼の名前を知らぬとも、彼の作曲した
ゆりかごの唄(北原白秋)
夕焼小焼(中村雨紅)
兵隊さんの汽車(富原薫・戦後GHQの指令で歌詞を『汽車ポッポ』に変更)
緑のそよ風(清水かつら)
どこかで春が(百田宗治)
は皆知っているだろう。
松代の凄さは、この小さな田舎町から童謡唱歌の作者が何人も出ていることである。
海沼實(かいぬま みのる、1909 - 1971)が作曲したのは、
あの子はたあれ S14、細川雄太郎
お猿のかごや S13、山上武夫
からすの赤ちゃん S16、海沼實
里の秋 S20、斎藤信夫
みかんの花咲く丘 S21、加藤省吾
が有名である。
音羽ゆりかご会を作ったこともあって、歌碑が文京区の護国寺にある。
作詞のほうは山上武夫(1917-1987)がいる。最初は草川を訪ねたが、そこで偶然会った海沼とコンビを組む。お猿のかごや、見てござる、ほしがりません勝つまでは、生まれた兄弟11人、など
坂口淳(1908- 1974)は小鹿のバンビを書き、歌碑が真田公園にあるそうだ。
北信濃は中山晋平(中野)、高野辰之(旧豊田村)もいて童謡唱歌の故郷と言ってもよい。
松代で他に有名なのは松井須磨子とか、硫黄島の壊滅的状況で徹底抗戦を指揮した栗林忠道とか。22年前に来たときは、松井の生家とすぐ隣の墓を訪ねた。栗林は草川と同じく長野高校の先輩でもある。
町が非常に小さいから文化の高さが際立つ。
しかし戦後の有名人は誰もいない。
明治以降、衰退する一方、眠ってしまった小さな城下町らしい。
今後も、変に観光開発されないことを望むが、しかし今官民一体となり観光客誘致に励んでいる。彼らは観光客が増えれば増えるほど魅力がなくなることが分かっていない。
0 件のコメント:
コメントを投稿