2018年10月22日月曜日

特務艇はしだて 洋上パーティ

10月22日、晴海ふ頭から特務艇はしだてが出航、洋上懇談会に参加する機会を得た。

はしだては、艦ではなく艇、わずか400トン、速力20ノットという小型船であるが、内外の賓客を饗応する目的で作られた。
海の迎賓館とも呼ばれるが、災害発生時には医療、給食、指揮支援を任務とする。
本来7月25日の予定が、西日本豪雨災害でそれどころでなくなり、台風がもう来ることのない10月末に延期されていた。
月齢13(たぶん)、快晴の夜だが、ちと寒い。
しかし見学する機会などめったにないので喜んで出かけた。

一番の楽しみは登舷礼である。
かつて空母 Kitty Hawk に乗船したときは若い水兵が両側に並び、口を固く結び視線を全く動かさず敬礼している間を、緊張しながら通ったが、今回は片側に将官が並んでお出迎え。敬礼こそあるものの、なごやかに「お世話になります」「ようこそおいでくださいました」と笑顔で通過できた。

参加者名簿を見れば、幕僚長(海将)以下、将補5名、一佐14名、二佐1名、と偉い人ばかり。
ちなみに自衛隊では将官は将と将補しかない。
内勤はよくわからないが、昔の海軍(艦隊勤務)との対応は、将が中将(艦隊司令長官)、将補が少将(戦隊司令官)、一佐は大佐(武蔵など大型艦の艦長)である。幕僚長は将であるが旧軍の大将(連合艦隊司令長官)に相当する。
実際は名簿にある将官のほかに、制服の人が多く立っていて、階級章や船のことなど気軽に聞けば何でも説明してくださる。
写真を撮ってくださったり、村川豊・海上幕僚長に引き合わせて下さったり、料理を進めてくださったり、至れり尽くせり。
当初、誰も知っている人がおらず心配したが、まったく退屈しなかった。
料理は素晴らしかった。
各艦、各部隊はすべて調理専門の隊員を持つが(給養員という)、はしだてはとくに優秀なものを集めており、東大に入るよりも難しい、とウェルカムスピーチで笑いをとっていたが、なるほど普通のホテルのビュッフェとは全然違う。

例えば寿司は、普通のすしなど一つもなく、てまり寿司とかお稲荷さんと軍艦巻きの中間のような創作寿司のような、見た目も美しいものばかり。
秋ということで、サンマ、カモ、柿も使われ、松葉のような串に刺さっていたり、葉っぱにつつまれていたり、和え物は小さな器にもられ、季節豊かな懐石料理がそのまま大皿になった感じ。
おでんと海軍カレーは屋台が出た。

最後のデザートのケーキも素晴らしかった。チョコレートケーキは上にかかったチョコレート自体がおいしくて、一番下はアーモンドだけから作ったような台になっており、初めての食感。洋ナシのタルトも上品。小さかったからもっと食べたかったが、2つにとどめた。
町で売っていたら評判になるのではないか。

あんまりおいしいので、ケーキもここの厨房で作ったのですか、と聞くと
「もちろんです。すべて自分たちで作ります。冷凍食品も一切使いません」
と誇り高く仰る。
昨日、横須賀から晴海に回航、準備していたという。
「まあ、よく自衛隊なんかにいてくれますよ」
と、外に出たら引っ張りだこになる調理人(隊員)たちであることを認めていた。

後部デッキでは演奏

以前室内での音楽会にいったことがあるが、年配者のファンが多い会で昭和の歌謡(瀬戸の花嫁とか)とクラシックが演奏された。
ここでは、スペースの関係から少人数のユニットで、パーティにふさわしく、ジャズの演奏であった。ユニット(オーケストラなら40人とか)によって、得意ジャンルが決まっているらしい。
退艦するときは蛍の光だったが、出港の軍艦マーチはなかった。雰囲気、出席者によって最適の演奏をする。


晴海で停泊しているときは揺れていたが、洋上を動いているときは不思議とゆれない。

艦尾の旭日旗でかろうじて自衛隊の船と分かる。
まったく右翼がこの旗で中韓を煽るものだから、ずっと静かに平和に使っていた自衛隊が迷惑している。

日本社会と同じく、ここも人手不足、若者不足で平均年齢が上がっているそうな。
潜水艦と航空機の乗員を減らすことはできないから、他の艦艇の充足率を低くして運行しているようだ。
アメリカのように、現国籍は日本だが生まれは外国という隊員も増えてきた。
奥さんが中国人であっても、問題なければ採用するという。
これからは昔のような戦争はもう起こらず、災害救助がメインになるのではないか、などと将官のお一人と雑談した。
二階にあがると船首に出られる。
羅針盤を見ながら、東京タワー、お台場の観覧車、スカイツリー、晴海ふ頭を確認したり。

7月だったらビール片手に最高だっただろう。

とても気持ちの良い会だった。
自衛隊は皆気持ちの良い人ばかりなのである。
これは教育でそうなるのか、あるいは感じの悪い人は早い段階で排除されてしまうのか。
まあ、橋立だから選ばれた人、と考えるのが普通か。

枡酒は横須賀の何とかという銘柄だった。
枡はおみやげ。

片桐大自 連合艦隊軍艦銘銘伝
久しぶりにこの本を開いた。
茶色のシミがいくつもついていた。
ネットが普及する前、ずいぶん重宝し、私の一番大切な本だった。
860隻ではなく860の艦名について解説したもの。

橋立はもちろん僚艦松島、厳島とともに、日清戦争の時の主力艦として有名。4278トン。
完成をまって(1か月後)開戦したといわれ、当時の海軍、国民の誇りであった。東洋最大の巨艦、定遠、鎮遠に大きさで劣っても速力で2ノット上回り、巧みな操艦で3隻一緒に敵に当たり、黄海海戦に勝利した。
二代目橋立は昭和15年竣工、999トンの砲艦。

三代目が今日乗ったはしだてである。
それまでは日本三景の意味しかなかったが、特務艇はしだては、迎賓艇として、国民、諸外国との間の架け橋となることを願い命名されたという。
武装は一切なく小さな船だが、役割は大きい。


0 件のコメント:

コメントを投稿