10月26日夜、翌日の日本薬史学会に参加するため、長岡を経て新潟に入る。
これまで新潟に来たのは2回。ネットなどで日付も調べれば、
1989年10月2-4日 神経科学学術集会
2002年10月2-4日 日本臨床精神神経薬理学会
1989年は息子が生まれたという電話を家でもらって、大宮から新幹線に乗った。この日は月曜。土曜から取手に行き、月曜も休みをとって待っていたが、生まれないので家に戻ったところ電話があった。
新潟では吉川公平と万代口、東側の飲食店街で飲んだ覚えがある。今よりゴミゴミしていた分、手ごろな店があった。何処に泊まったかは記録も記憶もなし。
2002年は一人で来た。
ダンスを始めていたのでネットで探し、南口のバイパス沿い、周りに何もないようなところのダンスホールで踊った。ホテルは不明。テレビで拉致被害者の帰国について放送していた。
2018年、泊ったのは古町の新潟カントリーホテル。
駅前からの大通りをあるき、万代橋を渡って本町通りとの角。
繁華街というかオフィス街。
チェックインして振り返ると、たぶんホテルのレストランだったであろう一画が吉野家になっていた。ホテルに泊まるときは寝付けなくて腹が減るから、24時間営業の店とは相性がいい。
翌朝、例によって散歩に出る。アーケード街を南に歩くとすぐ、小さな店舗がハーモニカ状につながった通りにぶつかった。
ここは覚えている。2002年に来た。
人情横丁、本町中央市場商店街協同組合という。鮮魚や野菜、干物・乾物などから茶・菓子・雑貨に至るまでなんでもある。
しかし開いていない。
以前も、きた時間帯は忘れたが、閉まっていた。
新潟の人は朝が早い、なんてことはなく、6:45だと誰もいない。
輪島のように観光地化しないと難しい。
橋の跡があるから、川を埋め立てたところに店が並んだようだ。
このあと、新潟大学、海の方まで歩いて(→別ブログ)、戻ってきた。
雪降るせいか、中くらいの通りなら雁木をつなげ、アーケードの商店街がいくつもある。
雪があっても財力がなければ、こういうものは作れない。
ホテルの面している本町通り商店街もアーケード。
8:00、ホテルのとなり、新潟本町食品センターはちょうど開いたところ。
ぐるりと囲む店舗はまだ荷物を運びこんだり準備に忙しい。
生きたカニもいる。
フードコートのように真ん中で食事もできるようだ。
大通りを薬史学会会場まで歩く。
赤さびだらけの長岡と違い、きれいな県庁所在地。
長野や松本より都会のような気がする。
港があるからだろうか。
そういえば、新聞などで地元に来ることを来阪とか来熊、来仙とかいうが、新潟の場合、来港というらしい(明治時代)
新潟は万代橋の北側、つまり信濃川の左岸で発達した。
しかし海抜ゼロメートル、とは、昔はどうやって排水したのだろう。
少なくとも排水路が縦横に走っていたに違いない。
先ほど行った人情商店街は、そのような排水路を埋めた跡にできたと思われる。
万代橋の手前にホテル・オークラ
2002年に来た学会はここだった。
臨床精神薬理では、新しい創薬テーマとか、基礎研究に役立つ情報は取れないが、不満足ながら使われている薬物の発表はある。
中に入ってもほとんど記憶なし。
万代橋の向こうに見える新潟日報メディアシップが学会会場。
2002年に来たとき、万代橋のたもとはもう少し緑と空き地があった気がするのだが記憶違いか。
無事学会での講演が終わり、20階の展望台へ。
雨が上がっていた。
ANAホテルから駅方面
新潟港と朱鷺メッセ
佐渡は見えず。
万代橋
信濃川。長岡は見えず。
新幹線の向こうはサッカースタジアムだろうか
新潟の高校生は20階のこんなおしゃれなところで宿題をしたりおしゃべりしていた。
ちゃんとテーブルもあり、夏も冬も快適。
歩道橋の上でおしゃべりした私たちとはえらい違いだ。
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