2019年2月25日月曜日

雨水のころの菜園

雨水は、アマミズと読めば指扇プラザ時代の雨漏りを連想させる身もふたもない言葉だが、ウスイと読めば暖かくなってくる二十四節気の一つで気分が良い。

暦の2月19日頃の時点(太陽黄経330度)を表す場合と、次の啓蟄(345度)まで15日ほどの期間を表す場合とがある。

今年は雨水にふさわしく暖かい。
野沢菜みたいな小松菜
立派でもったいなくて株ごと収穫できず、
外側の葉っぱを少しずつとって使っている。

育たなかった白菜。鍋には2つ使う。
葉っぱの間に土が入っていて、洗う人は文句を言う。

今年も育たなかった人参。
いつしか私の関心がなくなった庭の一角。

小さいけれど齧ると旨い。
やりようによっては珍しい食材になるだろう。
しかし妻はいつもの料理しかせず、これらは使わない。

以上、2月17日の写真4枚。

2月19日、田辺の研究所に朝採れの大根、白菜を持っていく。
2月21日、大根自家用に抜く。
2月23日、キャベツ用に人参畑を掘り起こしながら写真撮る。

この場所で一本だけ育った小松菜。

この厚くて大きな葉で巻けば、ありふれたものでも新しい料理になると思うが・・・。
私が持っていく弁当の上にこの大きな葉を敷けば、脂などが蓋につかなくて洗うのが簡単。そんな使い方しかない。

こちら、2か月遅れ、11月にまいた小松菜も肉厚に育ってきた。
同時にまいた遅まきホウレンソウは、小松菜の列の間で負けている。

30株くらい植えた白菜の中で、珍しく玉になりかけたもの。
もったいなくて取れない。
左は秋まきキャベツの苗。

我が家では普通の白菜。
日当たりが不足すると、葉っぱは精一杯光を求めるように巻かずに広がる。

小松菜の葉が厚くて緑が濃いのも、日照不足に対する適応かもしれない。
人間と違って、日蔭だと色白モヤシになるわけではない。

以上2月23日

2月24日、朝からダンス競技会に出発、庭に出ず。

2月25日、月曜くもり、早起きした。
ふきのとう。
「白い冬」は1974年リリースという。
75年から79年、駒場、本駒込、谷中のころよく聞いていた。
歌詞はもちろん秋の終わりでフキノトウは出てこない。

妻が植えたチューリップ
昨年掘って小さいものが多かったから、どのくらい咲くか。

大根は育ったものから順に抜いて大分寂しくなった。

大根は春になると葉が茂る。
あらたに作られる栄養で根は大きくなるのか、
それとも新しい葉を出すために根は栄養を供出して小さくなるのか、
数年考えているが、まだ分からない。

2019-02-25 左から、
この日、キャベツ地植えのため邪魔者として抜かれた1株だけのほうれん草。
同じく邪魔者として抜かれた分葱(ラッキョウ?エシャロット?)
市販品よりうまい(と思う)大根。測ったら600グラム。
妻のスムージーならこれで十分ではないか?と大根の葉っぱ。
爪に土が入るので最近はめるようになった軍手
庭でなら使える100円ショップの包丁。

週1の鍋以外、妻は私の野菜を欲しがらない。
何か要るものない?と聞くのはやめて、
とりあえず、台所に持っていく。

次の二十四節気、啓蟄まであと8日。
虫が出てきたらやだな。
消毒はほとんどしない。(有機農法とかではなく、ただ面倒だから。)

この菜園は、桜、ハナミズキなどの落ち葉が降り積もるから、虫が産卵しやすく、コガネムシの幼虫から見たこともない不気味なウジムシまで、微小動物の宝庫。
それが農家の畑と大きく違うところで、狭さ、日当たり悪さとともに三重苦の一つになっている。

そうそう、旧暦というのは月の形で日を決めたが、永遠連続して繰り返される朔望月の、どこが正月でどこが12月か、というのは太陽黄経で決める。
年の始まり1月は、文字からしておめでたい立春(315度)ではなく、次の雨水を含む月をあてた。
草木を含む万物が始まる月の基準日として、雨水は二十四節気の中で特別なのだ。

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