7月12日、小日向から茗荷谷を歩いた。
すなわち南の巻石通りから荒木坂を上がり会津松平家の跡地をすぎ、
切支丹屋敷、深光寺の曲亭馬琴の墓、清華寮跡地をとおり、拓殖大学のうらを回って茗渓会館の春日通に出て、地下鉄茗荷谷駅にきた。別ブログ
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20200718 跡見正門跡から茗渓館、中央大学の進出
地形が複雑だから坂が多い。
15:43 茗荷谷駅(左)の裏
スーパー・サントクを中心に、サンマルクカフェ、コンビニ、しまむら、携帯ショップなど女子学生が好きそうな店が並ぶ
15:46
右が茗荷坂。駅の裏からだらだら下っていく。
15:48
茗荷坂をおりると右に拓殖大学(本部棟、1933年)が見えた。
ここまで駅から3分。
茗荷坂は学生相手の飲食店が数軒ある。
しかしJRの駅でないこと、車が入れず人通りも少なく、また近年大学は学内に飲食施設を充実させていることから、学生街の形成、おしゃれな通りになるのは難しい。
そのぶん住宅地としては良い。
写真の拓殖坂(仮名)をあがって歴史的建造物まで行くのはやめて反対の左を見ると林泉寺。
15:51
ここには縛られ地蔵がある。
大岡政談のいわれが書いてある。
むかし呉服屋の手代がお地蔵さんの前で居眠りして起きたら反物を盗まれたという。
お奉行は地蔵が怪しいと地蔵を縛って捕らえた。運び込まれる地蔵が珍しく、人々が見物に奉行所に来ると、勝手に入ったと奉行が怒り罰として反物を持って来いという。人々が持ってきた反物の中に盗まれたものがあり、盗人が捕まったとか。
道路から境内は見えず、階段を上がっていく。石段の上に墓と会館あり。
樹木はない。
15:52
失せもの、探し物のある人が備え付けの縄でしばると願いが叶うという。
よく考えると偉いのは奉行で、地蔵は何もしていない。
縛ることでお奉行様にあやかるということか。
いや、縛られた地蔵が念力で奉行の口を通して犯人を導いたともいえる。
超能力のあるものを縛っていじめれば、何かしてくれるとの期待かもしれない。
こんにゃく閻魔でも思ったが、願いが叶うと思う人は一般市民で1000人中何人いるのだろう? 誰かが始めると自分も、ということだ。
田端の赤紙不動と違って、こちらの顔は出ている。
ぐるぐる巻きにされているが暖かそう。
左に見えるのが初代縛られ地蔵らしい。
何百年も縛られ続け、すり減ったのだろう。修復中とのことで包帯を巻かれている。
ベンチがあったのでジュースを飲んで歩きを再開。
林泉寺の下は、15:13に反対方向の南に上がった拓殖大学東門前。一周したことになる。
馬琴の深光寺を左に見あげ、茗荷の谷を東へ歩くと地下鉄のガードが見え、右に1時間前に見た宗四郎稲荷。
左にガードをくぐるとすぐS字の坂アリ。
15:58
釈迦坂
坂上の徳雲寺に釈迦の石像があり、それが坂から見えたとか。
釈迦如来というのは阿弥陀如来、大日如来、薬師如来と比べて少ないと本立寺で聞いたことを思い出す。
16:01
藤坂
高架になった地下鉄をくぐり、線路の北側に出るとすぐある坂。
将軍家光が鷹狩の帰り、坂下の伝明寺で休んだ時、藤が立派で褒めた。以来藤寺と呼ばれ、坂も藤坂となったと。
16:01
伝明寺の藤棚
後ろは春日通のビル
16:02
左(南)は丸ノ内線と小石川車両基地。その下は事務所と整備工場になっている。
右は藤寺の垣根
この背中あたりに奈良県養徳学舎があった。男子学生寮である。
玄関にさまざまな批判で話題になった人物大の「せんとくん」がいた。
茗荷谷を通る道路はこの一本しかない。
庚申坂切支丹坂の交差点をすぎると、線路は道路の北に移り、たった一本の道が車両基地と線路の間を縫うように水道通り(巻石通り)に向かっている。
車両基地については別にかく。
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