2021年1月12日火曜日

赤塚不二夫の弟子。手塚、石ノ森の早死に

旧臘、豊島区南長崎のトキワ荘跡地と復元されたアパートの外観だけ見てきた。
(別ブログ)

2020-12-28

2020-12-28
公園に設置されたパネルで入居期間をみると、最初に入った手塚治虫は1954年10月に退去しており、重なっているのは寺田ヒロオくらい。藤子不二雄が入れ違いの10月30日に入り、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などは重なっていない。みな2,3年で退去している。全室4畳半だったから狭かった。
しかし、つのだじろう、園山俊二、つげ義春などが頻繁に出入りし、まさに聖地というにふさわしい。

彼らがトキワ荘にいたのは私が生まれた昭和30年頃だが、脂が乗って第一線で活躍した時期は私の子ども時代に重なる。

家では毎月「小学〇年生」を定期購読してもらっていたが、当時の農村ではこれとて珍しかった。小学生が漫画雑誌を買ってもらうことなどありえず、私は近所や友達の家に行ったときその兄たちの少年マガジンやキングを見せてもらっていた。いとこの喜平ちゃんちは金持ちだったからか、少年画報、冒険王があった。

各部落の子供会でやる廃品回収は楽しみだった。8時ころ岩船の公会堂に集まり、リヤカーを引いてまわり、9時すぎに終わるとみんなアイスクリームをもらって解散する。私は一人残り、業者が来るまで本の山に隠れ、読みふけった。業者が来なければ昼めしにも帰らなかった。

中学になると中野の街に立ち読みに出かけた。
金井書店、森田書店、鈴木書店。

長野高校に進学した1972年には、マガジン、キング、サンデーの週刊御三家のほかに少年チャンピオン、少年ジャンプも創刊(1969)されており、帰りは本郷の駅ビルの書店で5冊を毎週読ませていただいた。

漫画を読まなくなって10年、20年たった1990年代に蔵書マンガをエクセルに整理した。127タイトルあった。島耕作全17冊、沈黙の艦隊全29冊などそれぞれ1タイトルだから冊数はかなりのものになる。

いま、その中でトキワ荘関係者だけ出してみた。

面白いのは1976年11月18日、12月4日に手塚治虫を集中して買っていることだ。
ちょうどこの年の駒場祭に彼が講演に来た。一番広い200?番教室が満員となり、彼は話しながら大きな模造紙に何枚も次々と漫画を描いていった。講演のあとその紙は生協(主催?)が抽選で学生にプレゼントするという話だったが、あのお宝はどうなったのだろう?
火の鳥などをこの時期買ったのは、生協が彼の企画セールをしたのだろう。

2020-12-28
トキワ荘記念館は年末休暇で閉館していたが、企画展のパンフレットが外に置いてあった。

寺田ヒロオは手塚治虫に次いで1953年トキワ荘に来て、手塚の向かいの部屋に入った。以降入居してくるものの面倒をよく見た。

いま寺田の絵を見ると何となく手塚治虫に似ている。影響を受けたのかな?
漫画家は公式(アシスタントなど)、非公式(あこがれ)に限らず、師匠に大きく影響される。

石ノ森章太郎は高校2年の春、漫画少年の投稿が手塚治虫の目に入り、鉄腕アトムのアシスタントを務め、上京してトキワ荘に入った。作風への手塚の影響はなんとなくわかる。
売れっ子になると超多忙で他の漫画家は手伝ったようで、赤塚不二夫は自分の漫画を描くより石ノ森を手伝っている時間のほうが長かったという。永井豪も石ノ森のアシスタントである。

赤塚不二夫くらいになると石ノ森に染まることはないだろうが、もっと若ければ絵も似てくる。石坂啓などは手塚治虫とそっくりだし、また北見けんいち(釣りバカ日誌) 古谷三敏(だめおやじ)、高井研一郎(総務課山口六平太)、土田よしこ(つる姫じゃ~)、とりいかずよし(トイレット博士)らが赤塚の弟子だったのは絵を見ればわかる。

ちなみに尊敬する高校剣道班の先輩、井浦秀夫さんは早稲田大漫研で、東海林さだおの影響を受けていると思う。

もっとも、弟子は絵が似てくるというより、手塚治虫、本宮ひろ志など大御所になると映画や読書で構想を練ることがメインとなり絵はアシスタントが書く。だから、アシスタントの絵をこちらが勝手に師匠の絵とみているのかもしれない。


トキワ荘に彼らがいたのは何歳のころだろう、長幼序列はどうだっただろう、と彼らの生年を調べたら意外なことが分かった。

手塚治虫(1928年11月3日 - 1989年2月9日)60歳
寺田ヒロオ(1931年8月4日 - 1992年9月24日)61歳
藤本弘(1933年12月1日 - 1996年9月23日)62歳
安孫子素雄(1934年3月10日 - )
石ノ森章太郎(1938年- 1998年1月28日)60歳

手塚が早く亡くなったのは有名だが、他の人も早い。
例外は藤子不二雄の安孫子くらい。
赤塚不二夫(1935年9月14日 - 2008年8月2日)は72歳だが、52歳でアルコール依存症となり健康な老後ではない。

売れているときの漫画家の忙しさは半端ないらしい。
小説家と違い週刊誌の連載がメインだし、いくつも掛け持ちした。


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